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もち米四段仕込み二ダー。



(ヤプログでは画像をクリックしてください。)



酒どころ新潟の名酒だそうだ。いただきものであるが、皆様におすそ分けしたい。せめて、見るだけでも。

画像の柄杓の置き方が逆だったような気がします。これじゃ手水ですわな。



うまい酒にはワケがある 数少ない、もち米四段仕込み

かめぐちとは、しぼられた酒を最初に受けるところ。姫の井「かめぐち酒」は、適度に発酵したもろみをしぼったそのままの生酒、原酒をかめにつめました。この時期にしか味わえない厳寒づくりの一番しぼり。大手の酒蔵とは一味違う「手造り」の地酒をお楽しみください。

説明。米どころ新潟の酒米、天然伏流水の湧水、越後杜氏の技、雪深い無菌の仕込み蔵、そして数少ないもち米の四段仕込みは、酒のコクとまろみがつき、本当のうまみが好評。お蔭様で北海道から沖縄まで、多くの愛飲者へ・・・。

尚、姉妹品として、この酒を「雪中貯蔵かめぐち酒」としてビン詰めにて五月より夏期に販売しています。



ということですので、5月以降、ビン詰めをお買い求めください。

芋焼酎の本場にいる人間として、大変珍しいものでありました。神戸にいる私の叔父が年二回、酒を送ってくれます。山田錦と白雪でしたか、よくわかりませんが、大吟醸だか生酒だか、これもわかりませんが、お味の方にいたっては更にわかりません。通の人にはヨダレが出そうなのでしょうが、本当に私は申し訳ない。今年はこのかめに梅を漬けようと決意いたしました。



ところで、最近は韓国で凄い日本酒ブームだそうです。ワインのソムリエみたいに、日本酒の利き酒の資格があるようで、これに合格した人がレストランや日本料理店にいるそうです。資格者を何と呼んでいるのでしょうか。多分、「利き酒師」ではないかと思うが、真に受けない方がいいですよ。彼らに「士」を名乗らせたくはありません。ペテン師、詐欺師の「師」ですね。韓国でもサケでしょうが、ニホンサカリとも言っているようです。これは日本統治時代に朝鮮半島に流通していた日本酒の銘柄なんですね。嫌韓もいいでしょうが、我らはかつての統治者の子孫であるので、チョンさんたちを見下すことも無いけど、微笑ましい大分遅れた人々だ、つまりちょっとの優越感と軽蔑心でやわらかく見てやらねばならないと思う。嫌いだからといって、彼らに口汚い罵詈雑言を浴びせていては、日本の誇りはないでしょう。

酔っ払っている訳でもないのに、話が脱線しました。贈り主に感謝・感激、サンキューベロマッチ!
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[ 2011/02/25 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

花尾神社



どこからでも目に付く、畑の中の大鳥居。





花尾神社社殿。

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平成の大合併で鹿児島市花尾町となったが、旧日置郡郡山町花尾、私は先週の土曜日午前中にここへ参拝してきた。

その日は朝の8時に待ち合わせであったが、それだけで用件は済まず、3時間ほど時間を潰さなければならなくなった。私の自宅から片道50分はかかるので、自宅へ帰るわけにもいかず、相方に「この辺には本屋さんはないの?」と聞けばないと言う。それじゃ花尾神社に参拝して、昼食を早飯しようということになった。それでも退屈で時間を持て余すようなら、この近所に火山蝿さんが住んでいるから、彼に電話でもしてみようと考えた。結局、電話することは無かったが。



「花尾」とは、何と美しい響きの言葉であろうか。尾根に千種の花が咲き乱れていたので、このように呼ばれたのだという。今思い出したが、南薩方面に行くと「花渡川」という川がある。正式には「けどがわ」と読むのだそうだが、私はこの漢字の字面が好きだ。この二つとも、私はペンネームかハンネに使わせていただきたいくらいである。



花尾神社は、藩祖・島津忠久公が三州(薩摩・大隈・日向)の守護職に任ぜられて下向したおり、頼朝公の尊像を安置したのが始まりとされる。建保六年(1218年)。.

後に忠久公の生母・丹後局が亡くなり、ここにお祀りされた。安貞元年(1227年)。.以来、歴代藩主に崇敬された。拝殿内の彫刻等の装飾が美しく、「さつま日光」と呼ばれる。先日の「南日本新聞」という地方紙に偶々この神社のことが載っていた。義弘公朝鮮出兵の時から続く「太鼓踊り」という芸能があるのだそうだ。花尾小だったか、中学生だったか、「わが故郷」といった感じで紹介してましたよ。ここで武運祈願、志気を鼓舞したのでありましょう、半島では島津勢は勇猛果敢、大活躍でした。我がご先祖様に改めて感謝。

















[ 2011/02/22 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

美人局(つつもたせ)

最近は「コピペ」という言葉をよく聞くが、これは Copy and Paste の略したものであり、複写して転写することである。他人の文章のコピペは、読まされる側の人間にとっては、正直言ってつまらない。自分が感動した同じものを皆さんに感じて欲しいとしても、何等かの工夫がないと、コピペは基本的に私は面白くない。特にちょっとネットを覗いている人なら誰でも知っているようなことをコピペでまーーた読みたくはない。アンチテーゼとして示したり、自説の前置きに使うなり、コピペ者の意図やセンスを窺い知れるようなものであって欲しい。そう言いたくなるのは訳があって、実は、私はコンピューターとともに登場してきた「コピペ」という言葉自体が嫌いである。気に食わない。



日本語には多くの外来語もある。日本人みんなが使えば正しい日本語となるのだそうだ。考えてみれば、外国人が日本語を学ぶとすれば、語彙的には多くの日本人が頻繁に使用している言葉をまず学ぶことでしょう。言語は時代により意味も用法も変遷してきた。使われなくなって消滅した言葉もあることだろう。

今から三十年ほど前のこと、当然その頃は「コピペ」という日本語は存在していなかったが、「転写」と「移記」はどこがどう違うのか、と言う奴(友人)がいた。「移記」という言葉は今では日常的に使われることはまずない。しかしこの言葉は戸籍や登記などでまだ生きている。だから、国語辞典にはないが、法律用語辞典には載っているはずである。というのは当の私はこれを確認したのではないが、いかにも”それらしい”ではないか。転写された元のものは、転写された後も生きているが、移記された元のものは、移記された時点で効力を失うというか死んでしまう。「移記」は大昔から使われていたのであろうが、明治5年、壬申戸籍の頃はその全盛であったのではないかと思う。戸籍や登記がコンピューター化され、これらの言葉が消えるのではないか、危惧されるところである。単にコピペと言われても、私は戸惑うことでしょう。



たとえば、「授産施設」「授産所」「職安」・・・もしかしたら消え行く運命かもしれない。「知的障害者授産施設」というのがあって、これは障害者職業訓練所ではいけないの?と私が言えば、お役所に勤める友人は、「授産」という言葉はまだ法律に書かれている文言であるので、授産施設が正しいのだと言う。明治のはじめに廃刀令、四民平等ということで士族が職を失った。彼らに職を身に付けるため作られたのが、授産所だったのだという。ねずプロでキムラヤのアンパンのお話がありましたが、木村さんも最初は明治政府の授産所でパン製造を学んだのでした。



「美人局」という言葉は、美人の湯というのもあるからといって、「びじんのつぼね」とは読まない。「びじんのきょく」といって、美人の女子アナの多いテレビ局のことかと勘違いするひともいない。鼻の下の長いおじさんが綺麗な女性の後を付いていき、あるいは逆に連れて行き、ラブホあたりで「さあて始めようぜ」という時に、この女の彼氏だ、夫だという男性が乗り込んでくる。「てめー、俺の女房になんてことしやがる、落し前つけてもらおやないか。」まあ、大抵の男は精神的にも物理的にも一瞬にして縮みあがってしまうことでしょう。自業自得だとはいうものの、それは怖いことでしょう。金品を巻き上げられることとなる。私は経験無いので、よくわからないが、相応のことをさせられるのでしょう。こちらの「美人局」という言葉は法律には載っていないが、刑法上は詐欺、脅迫の類でしょう。



似たようなのに「ハニートラップ」というのがある。今や完全な日本語と言っても過言ではない。直訳すれば、「甘い罠」ということであるが、スパイ物でよくあるいわゆる「色仕掛け」である。これは怖い兄さんは出てこないが、本当は危険極まりないものである。最悪、国家を売ることにもなってしまう。総ての国民が被害を受ける。言葉の表面から受ける「甘い」印象とは大分違うのである。刑法上はかなり重い罰を受けていただくことになる。

美人局にひっかかれば怖い目にあう、嫌だ、ごめん被りたい、そんな認識を世の男たちは確実に抱いているのであるが、はまってはならない「ハニートラップ」というものに恐怖心を付加する方法は無いものだろうかと思う。啓蒙も大変だろうから、「ハニートラップ」という言葉を使わないようにして、「美人局」にしたらいかがであろうか。また、忘れ去られようとしている任侠道の親分衆に出番がやってくる、素晴らしい。と、私は思うけど。(大笑)
[ 2011/02/22 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

しあわせの歌

私は腕時計というものをしない。だから一個も持ってはいない。携帯にも車にも時計は付いているので、特別に困ったこともない。若い頃、美術品に興味を持ったことがあり、その時以来である。他人様の陶器類を触る時、腕時計は外したほうがいい、と目利きの方に注意された。時計で陶器を傷つけてしまう恐れがある。楽焼系統のものは特に脆い。また、紙や絹に描かれた日本画などは、手を触れてはならないのは言うまでも無いが、作品の前で唾を飛ばすな、とも教えられた。作品にシミをつけてしまうし、そこを虫に食われるのだと言う。作品の前では口にハンカチを当てて話すことになる。そうそう、木彫の虎の尻尾を折ったこともあった。何かの拍子で、腕時計を作品に当ててしまわないとも限らないので、腕時計を持たないことにしたのだった。



自分の室内ではPCにも時計が付いている。しかし、我が部屋にはどうしても壁に時計が必要である。、しかもそれはアナログでなければならない。私の長年の習慣であるので、壁時計がないと仕事や生活のペースがつかめない。乱れてしまう。ついには狂ってしまうことになる。

逆に、腕時計をしている人は、腕に何かないと落ち着かないのかもしれない。武士は絶えず腰に二本差していたので、刀を携えずに歩く姿も、誰が見てもお侍さんだと分ったと言う。あるべきものがあるべき場所にない、というのは変な感覚がすることであろう。実は、我が家の時計は秒針は動いているが、11時3分で止まったままである。もう数日になる。何の役割も果たすこともなく、針が空回りしているのか、電池の寿命が尽きるまで、ただ秒針だけが回り続けることだろう。この時計の行為を徒労というのではないか。私は高校時代に教師から、ギリシャ神話のシジフォスを例えて、「徒労」という言葉を教わった。余談ながら、君らは解からんだろうが、「還俗」「幽玄」という言葉くらいは覚えて置けよ、と言われたものだ。



徒労は人間の退廃の一つではないか、と私は思う。どうして、と言われても、それはもう、女性がチビ、デブ、ハゲが嫌いなのと同様に、生理的にそのように感じる。退廃的な小説が好きだ、という人がいたが、それは読み物の世界はそれでいいでしょうが、現世・俗世では退廃から逃れる、或いは断ち切ろうとすれば、死ぬしかないではありませんか。これは私が死ねと言っているのではなく、死ぬなと言っているつもりである。



「しあわせはおいらの願い 仕事はとっても苦しいが 流れる汗に未来を込めて 明るい社会をつくること」

これは昭和三十年・四十年代によく歌われたのであるが、私は気恥ずかしくて歌えなかった。これこそ徒労ではないか、と私は思っていた。くる日もくる日もベルトコンベアの前で、機械の歯車の一部であるかのように働かされる姿を想像した。製造業関係者からは、何を馬鹿なことを言う、と怒られるかもしれません。しかし、その代わりに当時の私は、自分はこれでいいのだろうか、こんなことしていていいのだろうか、という強迫観念に絶えず襲われていた。



この歌は昭和三十年、電気産業労働組合が全国公募した労働歌「しあわせの歌」である。作詞者は被爆者であるそうだが、歌詞をよく読めば、今の私は共感するところが多い。

今の今をより美しく つらぬき通して生きること

朝やけの山河をまもり

そして、組合員だからとか労働者だからということではなくて、被爆者およびひとりの日本人として

働くものの平和の心を 世界の人々にしめすこと



ところで、昭和四十年代は「幸せ」て、意外にも単純なものだったのかもしれない。私は渦の中にいたから見えなかっただけで、周りの人々は気付いていたのかもしれない。↓こんな歌が結婚式ソングでした。今考えても、この程度のささやかなもので十分だと思う。中村メイコ、神津善行夫婦の作品だったんですね。江利チエミ唄「新妻に捧げる歌」。少なくとも、退廃的ではない。

http://www.youtube.com/watch?v=411qrxigGVo



[ 2011/02/17 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

こんちわ相撲

あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」(モルデカイ・モーゼ著、久保田政男訳、日新報道、2000円+税)

私はこの本のどの章のどのページから読んでも面白い。ちょっと手持ち無沙汰な時、この本をアトランダムに開くのである。昨夜、偶々開いたところに、大相撲のことが書いてあった。



<次にわれわれユダヤ人が是非学びたいと思うことに、日本の戦前にあった義理人情という美徳がある。武士の国日本では、他民族では絶対にもちえない繊細な心の機微というものがあった。本能的な西洋人には想像もつかない深遠な人間性の発露である。私は、この義理人情が究極点として天皇制に到達するものと考えている。

私の大好きなものの一つに大相撲があるが、ときどき「こんちわ相撲」ということを聞かされる。これを八百長相撲と表現するひともある。しかし私は、この表現は正しくないと思う。「貸し借り相撲」とも言われる。この言葉はどちrともとれる言葉だが、「八百長」よりはましだと思う。つまるところ、日本の大相撲のそれは根本において義理人情から発しているものだという点を理解するまでに、私は相当の日月を要したのである。

武士道的義理人情から発したものであったため、戦前ではこの「こんちは相撲」のことは角界以外には決して知られていなかったものである。つまり、マスコミの好餌となる材料ではなかったわけである。義理人情から出た結果なら、戦前の日本人なら決してそれを追及せず、そっとしておいてやる雅量をもっていたと思われる。しかるに戦後、ほとんど義理人情が失われた今日では、単純に汚い八百長と同次元に考えられることのほうが多いようである。>



三十年以上も前にこのようなことを書いている。戦後三十年の節目のころには、・・・しなければ戦後は終わらないとか、もはや戦後ではない、とかしきりに言われたのだった。江藤淳が「1946年憲法」を書いたり、GHQの検閲についての研究発表をしていた。

著者は、戦前の日本人が持っていた義理人情を、戦後僅か三十年にしてこのていたらく、それを嘆いておられる。



私は友達とこの件についてよく話をする。人情相撲はあったよ、若乃花ー貴乃花戦はお兄ちゃんが勝つに決まってるじゃないか。私の友人はそのように言ったが、私も、言われてみれば、今に思うことの、全くその通りである。

今回のケースで、マスコミの報じ方について、何かから目を逸らさせる為、或いは何かを隠蔽するための陽動作戦ではないか、という見方がある。私はそうヒネた考えはしない。だって、皆が注目するほどの立派なことが、ひっそりとであろうが、今行なわれているとも思えない。八百長フィーバーが嫌ならTVを見ないことです。誰も観ない番組は中止であって、また制作されることもない。



視聴率の調査も一般常識とかけ離れているように思う。TV関係者に聞いたが、人口60万人の鹿児島市でも、視聴率調査のTVは六十台だという。せめてサンプルは1000や2000はなくちゃなるまい。そして、昔のように居間で家族全員が1台のTVを観る時代でもなく、今は一人1台と言ってもよく、各部屋でそれぞれがTVを観ている。調査自体が現実と乖離しているのではあるまいか。

新聞にしても、一面に八百長ばかり掲載しているようでは、購読者は怒るべきだと思う。不買という手もあるし、スポンサーも広告中止すればいい。民意をまずマスコミに反映できなければ、政治に反映させることは難しいのではあるまいか。

その前に、義理人情を大切にする日本人社会へ戻ること。
[ 2011/02/10 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

だるまさんが転んだ



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川崎大師に初詣に行った友人からいただいたものである。彼女は毎年初詣は伊勢神宮にお参りされるそうであるが、今年は風邪だったか体調を崩されて、川崎大師に詣でたのだという。ついでに私の分までお参りしていただいた。一緒にお菓子なども送っていtだいたが、私はそれはとっくに食べ終わったので、いただいてから20日以上は経過してしまったであろう。

そういえば、初詣者数もかなりいいかげんなものだ、ということが今年は話題になった。警察発表と寺社発表の数字が大きく違った。川崎大師さんもベスト5には入るだろう。

実は、私はこれに目入れをするのにとまどってしまった。ただの物体にすぎないものも、目入れをして願をかけることにより縁起だるまとなる。私はどちらの目だったか迷っていた。最近になって、選挙に当選した候補者が、確か右目を入れているのを思い出した。それで、ようやくのお披露目となった。



遅れた理由はそれだけではない。私の部屋には机が五台置いてあるのだが、このどれかの机の上にだるまさんを置いていたつもりであった。いざ目入れをしようとしたら、どうしてもだるまが見当たらない。転んで落ちてしまったのであろうか。ところが下には本や書類の山であって、掘るようにして捜したが見つからない。いつもの常で、うちの愚妻に「俺の黄色いだるまさん見なかったか?」と尋ねることになる。すると、「ほら、そこ」と言って指を差す。なんとリビングのTV台の上に載っているではないか。私は同封されていた手拭いだけを自室に持っていったのだという。



画像にあるのがその手拭いである。私の撮影が不味くて「ほけたらあかん」と読めてしまうが、実物は「ぼけたらあかん」である。「ぼけたらあかん、長生きしなはれ」という杉良太郎の唄の歌詞が書かれている。贈り主に「私はそんな歳ではないんだってば」と言いたいところであるが、今回のだるま騒動を思い返せば、情けないが、そうも言えませわな。



どこかで使ったギャグであるが、とにかく素晴らしい贈り物、サンキューベロ近藤マッチ!



















[ 2011/02/08 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

シケモク

モクとは煙のことであるので、シケモクとは湿気て途中で火の消えた煙草の意味でしょうか。早い話が、「煙草の吸殻」あるいは単に「吸殻」と言えば良さそうなものであるが、やはり「シケモク」と言う言葉には郷愁にも似た、侘しさやみじめさ、貧乏感までもつきまとう。勿論、私個人だけかもしれないし、喫煙しない人には全く無関係であろうが。



私の父は喫煙しないが、祖父(注1)まではかなりの煙草好きであったらしい。私も私の弟も祖父たちに似たのかもしれない。

私は学生時代にはシケモクも吸った。深夜に開いているお店も無かったが、なんと言っても煙草を買うお金が無かった。夜は眠ればいいのだろうが、友達と語り明かした夜などは、シケモクの奪い合いであった。私は家ではピースを半分に切り、それをキセルで吸っていたので、シケモクにもキセルを利用した。友人は短い煙草を爪楊枝で刺したり、お箸ではさんだりしていた。さすがに火のついた短い煙草は指では挟めない。山口先生(注2)は話しに夢中になり、煙草が燃え尽きるまで指で挟んでいたというが。

シケモクをバラして、また紙で巻きなおす奴もいた。西部劇などでカウボーイが器用に巻き煙草を作っている。私らも唾をつけたりしてやってみたが、どうもうまくいかない。英和辞書の紙がいいというが、ダメでしたよ。



美味しくシケモクを吸うためには、火を消した後、中にある空気をフッと吹き出しておくべきだ。シケモクを吸う時のためを思って、火を消さなければ成らない。誰が言い出したことか記憶にないが、私はこの方法は今まで信じていた。

最近寒いものだから、私は深夜に煙草買いに外へ出たくない。それで、昔とった杵柄で、昔を思い出してシケモク君のお世話になった。中に溜まった煙を抜いても、そう美味しくも無かった。色々と試行錯誤を繰り返し、いい方法を編み出した。消す時に、先の火玉を指先で落としておくことである。そうすればおニューのたばこより少し強烈な味がする程度である。これをいつもやれば、煙草価格高騰の折、煙草の本数は半分ですむはずである。



数日前に、私はこの方法を友人に講義していたら、「僕もその方法でやってましたよ」と言われてしまった。ガッカシであった。ええ、今日の日記はただそれだけのことでした。



(注1)祖父金之丞(明治17年生)、曽祖父金之進(文久2年生)

(注2)山口長男、洋画家、武蔵野美術大学教授。我が国の抽象画の先駆け的お方。ルーツは鹿児島県。
[ 2011/02/07 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

オムニバス(omnibus)

生き方を乗り物によく例えられる。大きな乗り物、小さな乗り物、また速い乗り物や遅い乗り物。その場に応じた例え方があるのだろう。バスに乗り遅れるな、とも言われる。オムニバスはバスの語源になった言葉らしいが、乗り合い馬車や乗り合いバスのことをいう。

映画、演劇、文学などで、いくつかの短編をまとめて一つの作品にしたものをオム二バスという。実は、私はオムニバス風のものを書きたい、といつも願っている。起承転結、三段論法といった書き方は、私はしたくない。何故ならば・・・と言って根拠を明らかにしていく書き方もしたくない。まず手法からオリジナルでありたい、ただそれだけである。



書き方なんぞは極めて私的なものであるのでどうでもいいが、この社会は乗り合いバスのようなものではないのだろうか。最近は、そう在るべきではないかとすら思う。様々な人々が乗り合いしていて、初対面もいれば顔見知りもいる。むしろ全然知らないもの同士と言った方がいいのかもしれない。中にはどうもウマの合わないような人も、どうしても好きになれないような人も乗っている。到着するまでは無関心でいればいいのだが、気に食わないからといって途中で降りてしまう人もいるかもしれない。それはそれでいいのでしょうが、「降りろ」と高圧的に言う人も無きにしも非ずですね。公共交通機関であるバスで、こんなんが許されるはずはありませんわな。

行く先、即ち目的が同じであったにしても、過程において品性に欠ける行為は美しくはない。



東京に行くのに、みんなが飛行機や新幹線に乗らなくてもいいではないですか。昔の鈍行列車でもいいではないですか。或る地元選出の国会議員が大分前に、子供の教育についてこのように語っていた。彼はラサールから東大、そして農林省というコースを歩いた人であったが、何か説得力に欠けていたように思う。それとも、自戒の念からこのようなことを言ったのであろうか。

その頃、私は工業高校の野球部に関係していて、父母の皆さんと話す機会が多かった。お母さん方は「みんなが東大、東大と言っていたら、世の中はどんなになるんでしょう、うちの子みたいなのもいなくっちゃ、ねえ」などと笑っていた。建築・土木業、街のオートバイ屋、各種製造業の自営業者が多かったが、自分の稼業を継いでくれたら最高だ、という人々であった。ところが、子供は子供で親の思うようにはならない奴もいた。文科系の大学へ進学してしまったのもいた。当たり前のことだが、いろんな職業も生き方もあるということでしょう。それには私は何の文句の付け様もない。
[ 2011/02/07 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

境界樹

立ち会いは強く当たって流れでお願いします。(清瀬海)



一度や二度は誰だってあるさ。朝目覚めてまず思うこと、「ああ、死んでしまいたい。」

夜独りになった時、言い様もない不安感に襲われて、「もう、生まれてこなければよかったのに。」

ただし、思ったことを実行に移す人とそうでない人とは、天と地ほどの差があるのか、表裏一体のようなものなのか、私にはよく解からないが、境界はあるのだろう。ハードルのようなもの、あるいは人間界の土地の境界のようなものであろうか。やけに「ような」という言葉が多いが、この”ような”ことに断定は無いのだと思う。私は上から目線の傲慢な人間ではないのだから。



地方により、境界樹というものがある。私の地方でよく聞くのは金竹である。山林などは遠くから見ても金竹藪で一目瞭然である。アスナロを植えてある地域もある。この木は明日は杉になろう、などと言ったか言いわなかったとか、いずれにせよ、未だ来ぬ明日にいささかの希望を見出そうとするのでしょう。アオギリというのもある。これは切り倒しても、株からまた芽を出し、目印になるからであろう。そして、幹が緑色をしているので、目立つ。また、火事になったときに類焼を防ぐとも言われる。私は婉曲な言い方しか出来ないが、人と神との境には榊があると言われる。榊を乗り越えてまであちらの方へ逝けるのだろうか。



今、手首を切ろうとしているそこのあなた、境界樹の前で少し立ち止まってみたらどうでしょうか。

では、流で少しは踏ん張るよ(春日錦)

けだし名言、相撲の八百長メールにはもったいないくらいである。私としては感動しましたよ。彼らは言葉の使いみちを間違えている。言うまでも無く、相撲の勝敗の境界線は円形の俵である。立会いは強く当たって、流で俵のところで少しは踏ん張ってみたらどうね。たかが八百長でも踏ん張るんだもの。(笑)



[ 2011/02/04 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

ポンパレ(ponpare)

ポンパレード(ponparade)がポンパレになったのだそうだが、私はその経緯はおろか、 何のことだか全く分らなかった。一生知らずに済んだかもしれない。ところが私の同級生のMLにこのことについて書き込んだ奴がいました。クーポンなどの共同購入のシステムであり、大量に買えば安いので、地元特産品など皆で参加しよう、という呼びかけであった。ただし、購入する人数が少なければ不成立にもなるのだという。

結論から言えば、彼の呼びかけには誰も反応を示さなかった。そしてまた、それが正解だ、と私は思う。



この機会にちょっとネットを覗いてみれば、購入者数にもよるのでしょうが、50%OFFは当たり前で、90%OFFなんてのもあるようだ。これは酷い、酷すぎるのではないか。そうでなくとも世はデフレの真っ只中であり、モノによっては生産者、製造者、サービス提供者等のことを思えば気の毒になるくらい安い。まあ、何にでも原価や経費の他、適正な利益というものがあるでしょうよ。生産者の生活はどうなってるの?と余計な心配までしてしまう。元々1万円で販売しても儲かる品物を、定価10万円のところ9割引いたします、という商法ならば誰でも見抜けるのであるから、通用はしない。いわゆる「ふっかける」ということですね。これは商道徳も問われるが、立派な犯罪行為となる。



まともな商法で90%OFFなんてのがあり得るのでしょうか。私にはどう考えても、とても信じられない。粗悪なおせち料理で話題になったあれは50%OFFということであった。TVで観たが、サンプル写真と大違いであった。料理の品数も写真の50%以下であった。そもそも、人気店の高級おせち料理に、それがいかに洋風だとしてもベビーチーズなんか入れた時点で”お粗末”そのものではないか。



昔はポンパレという言葉自体が存在しなかったけれど、クリスマスケーキやおせち料理など先行して予約購入ということはありました。通常の販売価格よりも少しは安いです、何か付いたりしてお得です、というようなメリットがあったのだろう。私の場合は紹介者の顔を立てる、というのが主な動機だった。それで、駄洒落ではなくて、景気のいいころはケーキをいくつも買ってしまうのであった。おせちも然り。ご縁のある方に頼まれれば仕方がない。家族に一つあればそれで済むものであるので、余分なものは他人様に差し上げることになる。最初から贈答用という意識もありました。それでも家庭ではおせちは作った。



人間は、この社会は、いつも消費者という立場ではなくて、同時に生産者・販売者・サービス提供者でもあるのだから、対面側にいる人のことも考えるべきではないでしょうか。あるいは思い遣るべきではないのでしょうか。札びらで他人の顔をひっぱたいている行為に似てはいまいか、ポンパレは。停滞に慣れきった、デフレ経済の谷間に咲いた仇花に思えてならないでごんす。



[ 2011/02/03 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

南洲翁異聞

・・・おいどんは、丸腰・平和使節で韓国へ行く・・・

西郷隆盛はなぜ「征韓論者」に祭り上げられたのか?閣議は朝鮮問題をめぐって紛糾する。

平成20年制作の西郷輝彦主演のドキュメンタリードラマ、ついにDVD化!

明治新政府は深刻な問題に直面す!南下するロシアの脅威!自ら平和使節として朝鮮へと熱望する西郷!!西郷の”遣韓論”を阻もうとするもの!それは長州閥伊藤博文、木戸孝允らの謀略による権力闘争だった!

「遣韓論」か「征韓論」か!?歴史の謎に挑んだ衝撃作!

CAST 西郷隆盛/西郷輝彦、大久保利通/榎木孝明。総合演出;井上聡一。



KTS鹿児島テレビ放送のドキュメンタリードラマ「西郷異聞」のDVDにはこれだけのことが書かれている。私が引き写しするまでもなく、↓こちらを見ていただいたほうが、話が早い。

http://www.kts-tv.co.jp/original/saigodvd/index.php



西郷は征韓論で敗れて下野、そして西南戦争、というように日本史ではみな教えられてきた。ところが真相はそうでもないらしい。DVDでも途中に、山口大学の先生のお説なども挿入されているのだそうです。

実は今日のお昼、私はこの演出の井上さんとお会いした。私のポン助、いや、ポン友が紹介してくれた。井上さんは私同様に、今は肩身の狭い思いをさせられている喫煙者であり、歴史好きでもあるので話が弾んだ。DVDにたくさんの言葉を盛り込むだけあって、多弁な人であった。次は調所(ずしょ)笑左衛門広郷(ひろさと)をやりたい、と言っていた。私もぜひ広郷にスポットライトを当てていただきたいと思う。広郷ほど業績の割りに、評価されない人物はいない。

「徳川300年の間に封建社会の改革者として成功したのは、幕府の松平定信と薩摩藩の調所広郷だけである。」45年前に、原口虎雄先生(鹿児島大学教授)が書いていらっしゃるのであるが、どうしても地方からは発信力が弱い。

井上さんの尻を叩いて、広郷の次のテーマは「薩摩示現流」そして次は島津重豪、そのまた次は島津義弘・・・と、制作していただこう。



突然ですが、水泳の岩崎恭子ちゃんが「今まで生きてきた中で一番嬉しい」と言った。私はこれから生きていく上で、ほんの少しだけ楽しみが増えた。

私はこれをまだ観てはいない。積読の積み残しもなくなったようであるので、今夜は「西郷異聞」を観ます。
[ 2011/02/02 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

あれが新燃岳





末吉あたりから撮ったが、よくわかりませんね。杉林の遙か彼方、噴煙がぼんやりと右へたなびいているのが見えるでしょうか、あれが新燃岳です。(画像をクリックすれば拡大されます。)





昨日は所用のため、国道10号線を通って宮崎へ行ってきた。鳥インフルの関係で、何箇所か消毒ポイントがあった。しかし実際には、どこでも消毒は実施されていなかった。爆発による降灰は都城市内が一番酷かった。

国道は降灰除去車、いわゆるロードスゥイーパーが活躍中であった。宮崎、福岡、長崎ナンバーの国交省の車を三台見た。散水車の後をブラシの付いたローターを回しながら、灰をかき集めていく。風に灰が舞って、今、思い出しても鼻がムズムズしてしまうくらいである。国道以外は全く手付かずの状態であったので、大雨でも降らない限り、この状態は続くことでしょう。



僕らは桜島の降灰で慣れっこになっているが、52年ぶりの噴火ということであれば、住民はほとんど初体験であり、大変お困りでありましょう。まず洗濯物は外に干せない。車の洗車が大変。農作物に影響がないはずはない。家の周りの灰を洗い流すのに水道も労力も使う。髪の毛がボサボサになる。埃っぽくて、何よりも気分が滅入ってしまう。鬱陶しいのである。

雨が降ればいい、と書いたが、灰混じりの雨は服を汚してしまう。



鹿児島の場合は道路に関してはすぐロードスゥイーパーがやってくる。散水、ブラッシング、集塵を一台三役でこなしてしまう優れものもいる。都城で見たブラシは合成樹脂製であったが、こちらは鉄製でアスファルトの灰を掻いてゆく。そして民有地内の灰は各人で集め、「克灰袋」という強靭なビニール製の袋に入れて、チリだしとは別の場所に出す。この前鹿児島に見えた方には、この袋をお見せしましたよね。市から配布されたものを、僕はあなた達に記念に、と差し上げたりはしませんでしたよ、ねえ。あれです。そうそう、甲子園の砂のようにして、桜島の灰を差し上げたこともありました。



鹿児島からロードスゥイーパーが応援に行っているらしいが、多分、もっと降灰の激しい地域へ行っているのでしょう、都城では見なかった。それにしても、都城の街道沿いの大型店舗の駐車場も個人の家も、どこも灰は放置状態であった。掃除してもどうせまた降るのだから、という諦めなのであろうか、それとも新体験に戸惑っているのでしょうか。或いは行政におまかせなのでしょうか。噴火が止むに越したことはないのだが、気を取り直して、”克灰”していただきたいものよの。



僕はと言えば、久しぶりの遠出のドライブで、いい気分転換になりました。





[ 2011/02/01 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)