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知覧・鹿屋へ



最近、また寒くなりましたね。私の昨夜の夢は最悪でした。夢の中の主人公である私は、何かを叫んでいるのだが、声が出ない。言葉が出てこない。そんな時でも、多分、現実の私は冷静であって、何を言おうとしているのだろうかと観察している。寒さにガタガタ震えながら目が覚めた。現実世界の私は、夢の中の私が「寒い、寒い、誰かおらぬか」と言ってたことを理解したのであった。

それからは眠れなかった。少し頭痛がしたが、そのまま起きてしまった。



さて、5月3日は知覧特攻戦没者慰霊祭である。鹿児島市内を.11時ごろまでには出たい。式は1時30分から3時30分まで。その後、平和記念館を見学して、7時までに鹿児島市内に着けばいい。

鹿児島中央駅近くの寿司屋で懇親会。私は「宴会の予約します」と言って、お店の人たちを喜ばせておいて、「お一人1900円のだれやめセットにしてね」と言ってガッカリさせてしまった。ですから、これ以上悲しませたくないので、参加人員は事前に正確に伝えておきたい。参加者の皆さんは、できれば30日までに意思表示をお願いいたします。どうも私とはウマが合わない、また私と接触するのが都合が悪い向きは火山蝿さんにご一報くだされ。



え、その「だれやめ」ですが、直訳すればだれ(疲れ)やめ(止め)ということでありまして、一日一生懸命にお働きになったお父さんたちが、がんばった自分へのご褒美、飲む口実としてはベスト、ファイナルアンサーということになります。お造り、吸い物、小鉢が数鉢、にぎり4貫、ビールジョッキ一杯、焼酎一本がついてこの値段。これで食べ足りない、飲み足りないという御仁は、後は別会計、個人の発注業務ということになります。

二次会と翌日のスケジュールはそのときお話すればいいとは思いますが、できれば、4日11時までには海上自衛隊鹿屋基地、史料館に着きたいですね。そこで2時間くらいはアッという間に過ぎてしまいます。1時30ごろには昼食をいただきたいのです。去年は失敗しました。3時ごろ、鹿屋名物豚カツの竹亭本店へ行ったのですが、油の火を落としてしまったということで、食べることが出来ませんでした。

串良基地はすぐ近くです。







碑文には、生存者故郷の石、万感の思いを込めてここに納める、



殉忠の若鷲に捧ぐ



大空に散りし桜の花片を



手に揉みあげて君が名を呼ぶ、とある。



出撃することなく終戦を迎えた方々でしょう。その中には、水戸黄門役の俳優・西村晃さんや、茶道裏千家・千玄室大宗匠もおられた。また作家の山岡荘八さんは海軍報道班員として鹿屋におられ、毎日のように若者が飛び立つのを見送られた。戦後、自宅の庭に英霊の為の観音像を建立されたという。彼らに対する思いから、あの大長編小説「徳川家康」を書かれた。この作品は世界一のロングセラーでありベストセラーである。中国や韓国でも翻訳出版され、かの国でもちょっとしたブームが起きた。



一人の日本人として、当然のことを当然のようにしてやるだけである。









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[ 2011/04/29 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

花物語

少し長くなるかもしれませんが、お暇なーらー、見てよねっ。



春の夜明けのおののく薄明に、小鳥たちが木の間に神秘の調べをささやきかわすとき、それが、かれらの仲間に花のことを語っているのだと、感じたことはないだろうか。人間も花をめでるには、恋の歌と時をおなじくしているにちがいない。無意識のうちにも愛らしく、もの言わぬがゆえにかぐわしい花ならでは、どこに乙女ごころのほぐれてゆくところがあろうか。原始時代の男は、恋人にはじめて花輪をささげたとき、それによって獣性を脱した。かれはこうして、粗野な自然の本能を超克して人間らしくなったのである。そして、無用なものの微妙な用途をみとめたとき、はじめて芸術の国へ足を踏み入れたのである。



喜びにつけ悲しみにつけ、花はわれわれの不断の友である。花とともに食べ、飲み、歌い、踊り、戯れる。花を飾って結婚し、洗礼をおこない、花がなくては死ぬことさえできない。われわれは、百合の花をもって礼拝し、蓮の花をもって瞑想し、ばらや菊の花をつけて戦列を組んで突撃した。さらに花言葉で語ろうともした。花なくして、どうして生きていけようか。花を奪われた世界などは思うだに怖ろしいことだ。病める人の枕頭に、また、疲れはてた心のかげに、なんという倖わせの光をともすことであろう。花のもつ清らかな優しさは、あたかも美しい子供をみつめていると、うしなわれた希望がよび覚まされてくるように、宇宙に対して失いかけている信頼を回復してくれる。われわれが地下に葬られるとき、なつかしげに墓をおおって低回するのも花である。悲しいことに、われわれは花を友としながら、獣性の域をあまり脱していないという事実をかくすわけにいかない。(岡倉天心「茶の本」宮川寅雄訳、講談社文庫)



日本の精神を伝えようとして英語で書かれ、アメリカで出版された「武士道」という本がある。明治の末期、1900年頃だったと思う。同じ頃(天心の方が7・8年後)、天心は「東洋の理想」「日本の覚醒」「茶の本」を英文で書き、アメリカで出版した。当時、彼はこのような意味のことをシニカルに述べたという。「ちかごろ武士道についてしきりに論評されているが、茶道には、ほとんど注意がひかれていない。この道は生の術を説いているものだが、もし、われわれが文明国たるために、血なまぐさい戦争の名誉にたよらなければならないなら、むしろ、いつまでも野蛮国に甘んじていよう。」



この書は日本文化、なかでも日本の美や日本人の美意識について外国人に向けて書かれている。実は明治の知識人に学ばなければならないのは今の日本人にほかならない。私が英文科の学徒なら、これ等をいかにも明治の日本人の文体で翻訳してみたい。今に蘇らせてあげたい。

私の若い頃は「アメリカナイズ」という言葉が流行したように、周りには横文字があふれていた。思想も文学も芸術も。私は頑なに日本的なものが好きであった。純和風です。20歳代後半には茶道に凝った時期があった。そのとき読んだことは綺麗サッパリ忘れていたので、最近、就寝前に読み返してみた。



花にはやっぱり物語があるのだと思う。一輪のバラ、百万本のバラ。愛する人の年と同じ本数のバラ。なんだか、石田純一さんの世界だ。だから、彼も「不倫は文化だ」などと言わずに「花は文化だ」と言えばよかったのに。私は個人的には「不倫は文化」も間違いではないと思うが、あくまでも不倫は秘め事であり、”日陰の身”であるので、純ちゃんもスポットライトを浴び、TVカメラの前でぬけしゃあしゃあと言うべきことではなかった。

茶花は物語そのものと言っても過言ではない。3月28日、利休忌は済んでしまったが、その時は床に菜の花を活け、利休居士を偲ぶのである。



ちなみに、私は椿、山紫陽花、シャラなんかが好みです。



[ 2011/04/27 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

今日の日記

http://www.youtube.com/watch?v=sQs-WslzR0E

http://www.youtube.com/watch?v=r5xSbc9xFj4

今日はお昼前に交番から電話があった。一瞬、ドキッとしたが、用件は私の運転免許証を拾得物として預っているので取りに来てください、ということであった。

マイカーで行くことになるのだが、家を出る時によく考えてみれば、免許証不携帯になってしまう。飛んで火に入る夏の虫になってしまうのではないか。警察はてぐすねひいて私を待っているのかもしれない。それで、何年も運転をしたことのないゴールドのペーパードライバーである家内に運転させた。私は助手席で、床を踏み破ってしまうのではないかというくらい幾度と無く右足を踏ん張った。



交番で免許証を受け取った時に、警官がメモ紙を渡し、この届けてくれた人に電話だけしてくださいと言う。世の中は狭いもので、実は私はこの人を知っていた。数年前に仕事で何回かお会いしたことのある人だった。ご本人さんに私の名刺を差し上げたはずであるので、直接私に電話をしてくれたらよかったのにと思う。高齢の方であるのでボケが少し入っているのかもしれない。私はお礼を述べ、この方の娘さんがマスコミで名前の知れた人であるので、娘さんによろしく、と言って電話を切ったのだった。



大事なものをどこで失くしてしまったのだろうと思い返してみた。自販機で煙草を買った時に、成人識別用に免許証を挿入したままであった。煙草とつり銭は取ったが、大事なものは忘れてしまった。それと言うのも、煙草の品切れが多くて、迷っていたらまた最初から自販機の操作をやり直さなければならなくなる。ちょっと焦ってたんですね。震災から40日も経て、まだ煙草のフィルターが”復旧”しないことに腹が立つ。こんなことも出来ずにいて、復興も覚束ない話ではないか。

それと原発も腹立つ。日本の電力の30パーセントを原発で賄っているので、原発は必要だ、などとヤクザのイチャモンのような理屈でもって、さもなくば計画停電ですよと半ば脅しをかけられる。専門家によれば、日本の火力発電所はフル稼働していないのだという。確か48パーセントしか稼動していないそうだ。

鹿児島県庁が年間消費する電力は入札により毎年「仕入先」が変わる。よく覚えてはいないが電力会社(九電)ではなかった。電力会社以外にも電気はあるのではないだろうか。



遊技場のリニューアルオープン新台入れ替えに行ってきた。ぱちんこ銭形平次。平次親分の大捕り物に、AKB48から誕生したチームZも参戦だ、そうだ。半世紀以上続いた庶民の娯楽も、ここまで来れば立派な伝統文化である。目の敵にすることもないでしょうに

[ 2011/04/24 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

年下の女の子

http://www.youtube.com/watch?v=wommkJBaMfU



田中好子さんが急に逝かれた。享年55歳。

私はキャンディーズではランちゃんよりスーちゃんが好きだった。私はこのフレーズを何回書いたかわからないくらい、随所に書いていると思う。巨人よりも阪神、大鵬よりも柏戸が好きだった。銀行やデパート、ディスカウントショップ、学校なども、地域一番店よりも二番店以下が好きだ。学校の場合は一番店とは言わないし、好き嫌いも言ってはおれないが、東大よりも駅弁大学が面白いという程度である。まあ、何となく私のひねた性格が現れている様だ。



スーちゃんは三人の中では少し太めで、あくまでも私の主観にすぎないけれど、動きが鈍そうであった。そして、見るからにど素人ぽさがあった。私から見れば、すごく健康的なイメージの年下の女の子であった。順番からすれば、当然私のほうが先だろうと思っていた。



「どうして二番ではいけないのですか?」と言った人が話題になった。どこで何についてこの言葉を発したか、というような状況を無視すれば、私は全く同感である。説明するよりも、スーちゃんや阪神、柏戸、そして東大よりも京大のよさを想像していただければ、それで足りるような気がする。ナンバーワンではなくてオンリーワンを目指すと言う人もいるが、それとも違う。もっとも適切な表現は、”劣等生万歳”ではないかと思う。これはまた、日を改めましょう。



私がスーちゃんを最後に観たのは、映画「明日への遺言」であった。この映画は藤田まことの遺作にもなってしまった。先の大戦の末期には我が国のほとんどの都市に対して米軍の無差別爆撃があった。名古屋地方の空襲の時、撃墜したB29の捕虜を裁判もせずに日本の軍人が殺してしまった。東海軍司令官の岡田中将は戦後B級戦犯として裁かれることになる。そもそも非戦闘員に対する攻撃は当時も国際法違反であった。岡田中将はこれを「法戦」として、裁判を闘う。部下には責任はなく、司令官たる自分に責任があるとして、従容として絞首台に昇ってゆく。



スーちゃんも歌っていた頃は、何かしら不器用でぎこちない感じがしていたが、女優としては人の好さそうな、昔どこにでも居たような典型的日本人女性だった、と私は思う。役柄のせいもあるのでしょうが。スーちゃんにとっても映画出演はこれが最後になったのではないでしょうか。こんなことなら、もっと真面目に観て置けば良かった。

映画としては、いろんなものを盛り込みすぎてピントのボケたような物語であったが。











[ 2011/04/23 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

電子たばこ

近所のコンビニの棚から国産煙草かきれいに消えた。来週には入荷するはずというが、愛煙家はそれまでどうすればいのだろうか。私は仕方なく洋モクを吸っている。ケント、ラーク、フィリップモリス。或るパチンコ店では、煙草はお一人一日日一箱の交換になります、と貼り紙がしてあった。これを機に禁煙に成功した人も、広い日本にはおられることでしょう。



私の友人の弟と息子は今年の1月1日より禁煙していると言う。「病院にでも通って治したの?」と訊けば、弟は「禁煙した後に入院していた」と訳の解からないことを言う。禁煙したら体調がよくなり、ウオーキングやランニングを欠かさなかった。自身で健康を実感したという。それで、長年飲んでいる降血圧剤のお薬を飲むのは続けていたが、自分勝手に半分に減らしていた。禁煙は誠におめでたいことではあるが、弟は脳出血で救急車で運ばれたんだと言う。



息子は電子たばこで止められたと言う。実物を見せてもらったが、煙草と同じ形をしていて、吸えば先っちょが赤くなっていかにも火がついているように見える。そして吸えば煙草そっくりの紫煙が出る。

「これどこに売ってんの、いくらするのよ」と訊けば、「買うつもりなんですか、僕があげますよ」と言って、机の抽斗から真新しい電子パイプを取り出した。これは一応充電をしなければならない。煙も全く無害の水蒸気なんだという。それ以来、一週間になるが、私は電子煙草も本物の煙草も吸っている。最初のうちは煙草の本数が減ったような気がしたが、今は昔と変わらない。車を運転する時はできるだけ電子を咥えたばこにしている。禁煙スペースでもこれならいける。お役所やエレベーターのなかで、わざと噴かしたりした。それも、飽きたというか、面白くも何ともなくなった。それでも半日も電子を吸わずにいると、無性に吸いたくなってくる。



昔、禁煙パイポというのがあった。TVコマーシャルで、冴えない顔の男性が小指を付き立てて、「私はこれで会社を辞めました、私はこれ(パイポ)で煙草を止めました」と言うものであった。私を含めて、これを使ったことのある人は多いのだろうが、効果はほとんどなかったのではなかろうか。煙草のリアリティがなかった。煙草のオモチャみたいに小さくて、香料は入っていたが、火も煙もでなかった。これを咥えて夜の街を歩くのは、丁度木枯紋二郎が流行った頃に焼き鳥の串を咥えて歩くような滑稽さがあった。



私は電子煙草は止められるかも知れないが、本物の煙草は止められそうに無いな。嫌煙権をヒステリックに叫ぶ人には申し訳ないが、今も天井の蛍光灯の周りに漂う紫煙を見ながらそう思う。









[ 2011/04/20 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

恫喝に屈した腰抜け外交





平成18年5月の「週刊文春」の記事である。最近、私の記憶を確認したいことがあって、机の上にうず高く積まれた本の山を漁っていたら、たまたまこれが目についた。私は「物持ち」がいい方ではないが、たまたまこの週刊誌を持っていたんですねえ。



ご記憶にありますか?日本が竹島近海で海洋測量調査をしようとしたら、韓国が海洋警察の警備艇20隻を配置したんですね。結末は記事の通り、「恫喝に屈した腰抜け外務省」ということになりました。弱腰外交、土下座外交、と言われるが、この時は腰抜け外交であったわけですね。今だったら、間抜け外交と言ってもいい。

その時韓国側は、日本が命名し国際的に登録されている「対馬海盆」などの地名を韓国名に変更しようとしていた。日本は海洋調査を中止し、韓国も名称提案を取り下げる合意をしたが、実は、日本国内では「調査中止、提案取り下げ」、韓国国内では「調査撤回、提案延期」と発表することで合意したのだという。



それで、「最初に譲歩したのは外務省」、「強硬路線を貫けば日本は折れると、考える韓国を増長させただけ」の結果と文春は書いています。さらに次ページには中西輝政先生が「堂々と船を出し、ぶつけられるべきだった」と書いておられる。



<今回の安易な妥協で日本は竹島問題解決の千載一遇のチャンスを逸した。・・・さらに今回、日本外交の腰砕けぶりをじっと見ていたのは中国と北朝鮮だ。韓国相手にここまで引き下がってしまったことは、両国に楽観的観測を抱かせた。・・・今後、両国がかさにかかった高圧的な態度に出てくるのは間違いない。

妥協の翌日、朝日新聞は社説で「まずはホッとした」と書いたが、そんな悠長な話ではない。日本の弱腰を知った以上、相手はより過激な手段を取ってくる。そうなると、次の衝突はより大きなものになるだろう。我々はその覚悟をしなくてはならないのだ。

小泉首相は「よく話し合って円満に解決」ということを強調したが、我々は韓国を”話し合いで理解しあえる相手”と考えるのは、もうやめたほうがいい。>




弱腰、腰抜け、腰砕け、という言葉が出てきました。尖閣の中国船追突や今回の上陸にせよ、政府の対応は腰が座っていない。腰が引けてる。前を向いていても、腰から下は逃げる態勢(逃げ腰)であり、へっぴり腰と言うしかない。もうこれ以上特亜三馬鹿国を増長させてはならない。




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[ 2011/04/18 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

筍物語





今は昔、筍大好き人間がいました。夕方、義兄から筍が届けられていた。我が家にとっては初物である。当地では早掘り筍といって、2月頃に、地中にある筍を掘って、都市圏に出荷している。大きさは人間の拳大であり、皮をむけば食べる所はほんのわずかである。かなりの高値で取引されているという。そして掘る人をなんと呼ぶのかわからないが、仮に掘り師と呼ぶが、彼らの腕は名人芸であろう。普通は今時期、雨後の筍、と言うように、雨上がりにたくさん芽を出している。



植物には当たり年というのがある。毎年豊作が続くわけではない。筍は今年は悪いという。そういえば、近所のお店でもあまり見ないし、あってもかなり高い。これは地域だけのことなのか、全国統一基準であるかはわからに。いつもは山ほどいただくのであるが、今回は二本だけであった。筍にもオスとメスがあって、柔らかくて美味しいのはメスである。私が頂いたのはオスだけのようだ。



筍を掻いてすぐに茹でれば柔らかいといいます。私の友人の物知りが言うには、45分以内だそうだ。彼が実体験で得た知識なのか、お書物によるものかは私は確かめてはいない。だから我が家では出来るだけ早く湯がくようにしている。



まず筍ごはんですね。倶は筍以外は何も入れない。筍とワカメの味噌汁。刺身状にして酢味噌、山椒の葉でいただく。筍と山椒の葉の組み合わせは味はベストマッチであるが、若葉の時期は筍と丁度重なる。筍の天婦羅もおいしいですね。

うちでは去年の夏に山椒の木を枯らしてしまった。すでに何本からしてしまったかわからない。私の友人が言うには、山椒の木だけは人の庭を選ぶのだそうだ。日照条件や土壌にも寄るでしょう。うちは水はけを良くしているので、乾燥して枯れるのだろうと思う。明日は山椒の木を買いに行こう。今食べるので、できるだけ葉の繁ったものにしよう。



もうしばらくすればコサンダケが出る。5月の終わりごろになれば、大名竹。これらは他の地域で何と呼んでいるかはわかりません。5月までは、私としては実に嬉しいタケノコの季節である。おしまい。











[ 2011/04/15 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

ツタンカーメンの豆





私のオツムと同じで、ピントがボケてしまった。雰囲気だけでもお分かりいただけたらよろしおます。わてもよほど辛いことでもあったのでしょうか、なぜか関西弁になってしもうたがな。



昨日、友人の所へ行ったらこの豆を頂いた。聞けば、ツタンカーメンの副葬品の中から発見され、イギリス人学者が発芽させたものだという。彼も先輩から頂いたものを、私におすそ分けしてくれたのだった。彼と私は同じ高校の同級生であるので、豆の先輩は私の先輩でもある。すぐ近くにお住まいであり、ご自分がこの豆を栽培されたということであったので、二人で見に行った。

市街地のど真ん中に畑を作っていた。私には実以外はえんどう豆と同じに見えた。鞘の色は紫がかっているが、実はまさにえんどう豆である。紫色の花が綺麗だ、ということだったが、すでに花は終わっていて、見ることはできず、たくさんの鞘をつけていた。「味はどうですか?」と訊けば、75を過ぎた老人は「そんなに美味しいものではないが、3500年前の夢とロマンを食べるんだ」などと仰る。



老人は十数年前、ある作家のエッセーでこの豆を知ったのだという。作家に連絡して、種子を分けていただいて、以来、毎年育てている。老人が実をちぎり始めたので、種子を私に下さるのかと思えば、種はもうしばらくしてから採るので、これを食べてみてください、と言う。たくさん頂いたので、先ほど友人から貰ったものは、また友人に返した。

その後、昼食時間に、別の友人の事務所へ行った。私はこのところ昼食は愛妻弁当であるので、知り合いの事務所で、お茶頂戴、と言って場所を借りることになる。勘違いなさらぬように、愛人弁当ではありませんからね。

そこで、ツタンカーメンの豆知ってる?と言いながら、くだんの豆をテーブルの上に広げた。なんなら彼にも上げようかと思ったのであるが、彼はよく知っていた。この前行った畑にいっぱい植えてあったのだと言う。小豆で炊いたご飯のようになるんでしょ?私が老人から聞いたことを言われた。ご飯と一緒に炊いて、5・6時間以上置けば、赤飯のような色になる。美味しくはない、と言っても毎日食べるものであったならば、かえって飽きの来ない味というべきものなのかもしれない。



家へ持ち帰ったら、うちの家内は、これはこの前、爺さんが美味しい美味しいと言って食べてたあの豆だという。私の姉が持ってきたものだった。

今朝炊き込んだものを、私は昼の弁当にした。また別の友人のところで食べたのであるが、かなりの物知りであるそこの奥さんは全くこれを知らなかった。

私は今夜、この残り物を食べたが、きれいなワインレッドになっていた。しかし、ほんとうに美味しいとは言えない。では不味いの?と問われれば、私は正直言って不味いです、と言わざるを得ない。味と鞘の色だけは紀元前のものだろうという気がするのだが、葉や蔓は全くえんどう豆と同じである。この部位は3500年の間、何ら進化なかったのだろうか。私はど素人にして、趣味の耕作者にすぎないのであるが、この豆は紀元前の時代の種子が現代に甦ったものではない、という疑惑が湧いてくるのであった。イギリス人が嘘ついたか、はたまた騙されたのか、私らだけが騙されているのか、よくわかりませんが、ね。































[ 2011/04/15 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

この前の日曜日

春眠暁を覚えず、などとよく言ったものだ、最近の私はよく眠る。日曜日くらいは朝寝をしたいのだが、7時には起こされて、妻娘をバスターミナルまで送っていった。この人たちは福岡まで山ピーのコンサートを観に行くのだという。私は「山ピー」なんて一年前までは全く知らなかった。今でも私の知識は大して変わらないのだが、「明日のジョー」の実写版に出てましたかね。この人たちが映画を観に行く時も、私は送迎をさせていただいたんでした。



私は一生、この人のコンサートに行くことはないでしょう。どこがいいのでしょう。ちあきなおみさんが歌手活動を再開すれば、私は観に行くかもしれないけれども、こんなのにわざわざ福岡まで行こうとは思わない。

おまいら、これを最後にしろよ、いい歳こいて。私は車の中で、この人たちに言ったのでした。多分、なーんにも考えとらんでしょうね。



福岡まで新幹線で片道1万円ちょっとかかるようだが、高速バスだとなんと2500円だという。新幹線が全線開通したというのに、バスは予約満席だという。大阪までも新幹線では3万5000円くらいするはずだが、格安航空では1万円で行ける。



思い返してみれば、3・11までは我が国は長期不況の真っ只中にあって、格差社会であった。今はもっと進行しているかもしれない。格差とは主に経済的なものであり、富める人も貧しい人も文化的にはあまり変わらないのかもしれない。1万円という金額がその人にとってどのくらいの大きさであるかの差ではないか。大金と考える人はバスになるのでしょう。

私個人的には当てはまらない。私の友人が息子の結婚式にハワイに行くのに、9時間の禁煙に苦しんだと言う。もう二度とハワイには行きたくない、と言っていた。私の場合も自由に喫煙できるマイカーになってしまう。大阪くらいまでならマイカー、或いはフェリーがいい。船は一等以上は個室であるので、自由気ままな旅が出来る。ちなみに、飛行機にはできるだけ乗らないことにしている。

御鷹巣山に激突した日航機事故の時、ダッチロールの最中に手帳に遺書を書いた人がいました。「こんな怖い思いははじめてだ。もう絶対に飛行機には乗りたくない。」自身の死をもって示してくれた貴重な体験を、私は自分のことのように受け取っている。



我が家の猫の額ほどの庭には茗荷が芽を出している。僅かだがツワも獲って食べた。夏野菜も一応、植えた。トマト二本、キュウリ二本、ゴーヤ二本、そしてプランターにはセロリ二本にパセリ少々。まあ、三人家族ではこの程度で十分、これ等の野菜をスーパーで買うことはない。他にキンカン、島ミカン、デコポン、梅、レモン、ざくろ、茶、柿、ドラゴンフルーツ等、食べれるものを植えてはいるが、正直言って成績は悪い。果実を採るまで気の長い話である。

この日は蔓物に支柱をしてネットをとりつけた。朝晩これらを観察しているが、毎日成長している。数ヶ月かけて野菜を育てることなどを考えると、移動手段は緊急の仕事とか特別の用件がない限りは、ゆっくりと、でいいのではないかと思う。嫌煙権の高まりや格差といった社会の変化のせいだとしても、自分のペースは守りたい。



月曜日の夜に福岡土産をもらった。いかにも友達に配ったあとの残り物一個、というのがミエミエのひよこを一匹もらいましたよ。ひよこも超ロングセラー商品だ。私らの子供時代にも博多土産はこれでした。味も昔と変わらないので間違いがない。他人様に差し上げても失敗がない。私に言わしむるに、ひよこもスタイルを変えることなく、マイペースで半世紀以上歩いてきたのだろうから立派なものだ。









[ 2011/04/13 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

変なおじさん

私の同級生が言っていたが、今回の災害でNTTも凄い損害を受けたらしい。倒壊電柱、切断された回線等々。阪神淡路の時は損害保険が出て、災害復旧の足しにはなったらしいが、それ以降、通信設備の損害には保険は適用されなくなったのだそうだ。電信電話は公共性のある事業であるが、莫大なお金もかかることなのに一民間企業の復旧作業、さあ、大変なことになりました。こういうのを生きた情報というのでしょうね。



今日は一応仕事であったが、夕方、家に帰るには早すぎる、明るすぎるということで、友人の事務所に立ち寄った。中にはお客さんがいたので、私は今日のところは失礼しようと思い、ガラス扉越しに敬礼をした。すると、どうぞどうどと手招きをする。

不動産屋に神主さんは私はよく知っている。あと女性と男性は初対面の方であった。みなさん、私よりも遙かに年長者である。女性のご主人は沖永良部で黒糖焼酎を造っている会社経営をされている。40度の焼酎はオンザロック専用で飲むのだそうだ。私は飲んだことはないが、その時の感覚というか、美味しさを飲兵衛である皆が教えてくれた。ここの焼酎は鹿児島市内でも二カ所で販売されているそうだから、私も40度を体験してみようと思った。



女性のお名前を訊けば、薩摩の名家の姓である。横から初対面の男が「ご先祖は島代官として行かれたのでしょう」と言う。不動産屋曰く、この男性は歴史にお詳しいのであり、研究者なのだそうだ。歴史に関する資料を作家に提供しているのだそうだ。それで、何か作品として出版されたものがあるんですか?何冊かあり、末尾に協力何の某と名前を載せてもらっているという。主に明治期の資料。世の中には面白い仕事もあるものだ。



まあ、この男はいろんなことを知っていた。魚、ハブ、マムシ、イカ、カニ、昆虫・・・それらの学名までも。さすがの私も畏れ入りましたよ。甲虫類、ふんころがしの写真を見せられた。これは彼が見つけて、博物館に持ち込んだものだそうだ。鹿児島では解からずに、北大の関係の研究機関で見てもらったのだそうだ。わずか全長2.3ミリだが「オオマルマメエンマムシ」という大層立派なお名前のムシさんである。鹿児島にはあまりいないそうだ。



えー、それが何?という話になるのだが、私としてはネットサーフィンして得られる情報の何倍も価値ある物であった。





[ 2011/04/10 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

こんどは八戸

夕方のTVのローカルニュースを見るとも無く見ていたのであるが、私は一瞬、我に帰ってしまった。いわゆる何か閃いた感じであった。



人口比に対する火事の出火率というのがあるのだそうだ。ワースト5が出ていたが、ワースト1はなんと鹿児島県であった。火事と喧嘩は江戸の華であったはずなのに、なんでこういうことになるのだろうか。そして、県内市町村のなかでもワースト5はすべて種子島の自治体であった。これは原因がはっきりとしていて、種子島の「はかま焼き」のせいだと言っていた。はかまとは何故そのように呼ぶのか私は解からないが、サトウキビを収穫した後の葉のようだ。畑でこれを燃やして、消毒・土壌改良にもなるのでしょう。このはかまが火の粉となって風で飛びやすいので、火災が多いということであった。統計や数値ではっきりとしてくるものもある、ということでしょう。がしかし、そうでないものもある。



原発問題も最近はTVを見るのも嫌になってしまったが、シーベルト、ベクレル、基準値、癌の発生率、様々な数値が出てくる。基準値をオーバーしてもなお、直ちに影響はない、大丈夫だ、安全だ、などとまーだいっている人がいる。食べてはいけないものは食べたらいけないし、飲んだらいけないのも同じことである。それで風評被害だとしたら、前にも書いたような気がするが、原因は原発事故と明確に特定できるのだから、しかるべき補償を迅速にすればすむことだ。当たり前のことを当たり前にやればいいことで、汚染食品を食べることで被災地の生産者の支援になる、とは私にはとうてい考えられないことだ。



10年後に白血病や癌になる確率が数パーセントとして、わずかな数字とみる人もいれば、そりゃ大変だと思う人もいることでしょう。ここで、その数パーセントの一人が自分や自分の妻子であるかもしれない、とは考えないのだろうか。考えられないから、他人事のようにして、どこかに書いてあったデータを引っ張り出して、大丈夫だあ、なんてやっているんでしょう。私は「他人の物語、自分の物語」というのを引用したことがあったが、他人の意見を自分の意見として言う人は大嫌いだ。



さて、私は最近は青森とご縁がある。私の息子(次男)は明日にも八戸へ約1ヶ月の出張だそうだ。土木建設業であるので、港湾等の被害状況の調査だという。そして、工事になれば八戸にしばらくいるか、または東北各県で働くことになる。



息子は以前、八戸には行きたくないと言っていた。そこへ行った社員は5年8年、とにかく長いのだそうだ。現場終了時、或いは2・3年で移動なのであるが、八戸は地元の関係業者の人たちがあの人をもう少しいさせてくれ、と本社に訴えて、それで長くなるのだという。八戸の人々は人が好いというか、情けが深いのかもしれません。



息子は中学生の頃、鹿児島の水害を目の当たりにしたのだった。そのときの復興の工事現場の現場監督にあこがれて、まあ私立の野球大学だったが、土木工学を学び、ゼネコンならぬマリコンといわれるところへ就職した。自身の希望通りの仕事に就いたのだから、今回の復興の仕事は本望でしょう。。いかなる現場も事故で作業員が死んだりする、危険と隣り合わせではあるのだが、当然、福島原発の数十キロ圏内で仕事をすることもあろう。そんな時、私の目の前で、被曝しても直ちに健康には影響はない、という奴がいたらそいつの首を絞めてやろうかと思う。



それにしてもだ、誰もが愛する美しい日本の大地や海を汚染しやがって・・・。









[ 2011/04/07 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

味不足

数日前の地方紙(南日本新聞)に「南北友好の味、ケーキに」という見出しがあった。ベトナムの南北問題は一応解決済みであるので、北朝鮮と韓国問題であろうかと思った。ところが記事を読んでみれば、南北とは鹿児島県と青森県のことであった。



みなさまは「頴娃町」←これをお読みになれますかな。「えいちょう」と読めても、漢字でスラリと書ける人は鹿児島県人でも少ないのではなかろうか。旧頴娃町と知覧町、川辺町が平成の大合併で南九州市となった。頴娃町と青森県平川市はねぶた祭りを通じて、15年以上、官民の交流が続いているのだそうだ。

私はこれで一つ納得したことがある。姫様たちが城山観光ホテルに泊まられたとき、私は隠れ念仏さんとホテルのロビーで姫を待っている間、そこに展示してあったねぶたを見ていた。南九州市の高校生の制作したものもあった。私は念仏氏に、「どうしてねぶたがここにいるのよ」と尋ねたのであったが、彼は何も応えなかった。やっと解かりましたよ、南九州市と平川市のご縁だったのだと思う。私、間違ってませんよね。



え、それで、新聞によれば、頴娃の菓子店経営の女性(23)は、頴娃のサツマイモと平川市のリンゴを使ったタルトケーキを完成させた。「紅はるか」という芋のペーストに「ふじ」のスライスを載せて焼き上げたもの。ペーストには芋とリンゴを1センチ角に切って交ぜ、素材の食感を残した、ほんのり甘く、素材の味が引き立ったものらしい。指宿市のあるホテルではこれがカフェ、スゥイーツの目玉になっているという。リンゴは平川市からの直接仕入れ。新聞では「Yさんは『二つの街の良い素材があったからこそできたケーキ。ぜひ味わって』と話している。1カット380円。」と結んでいる。



いい記事であるが、「友好」はないだろう。日中友好、日韓友好、また昔写真で見た街宣車に書かれた「韓日友好」。(笑)

鹿児島・青森は今さら友好などというまでもなく、同じ民族であり親兄弟みたいなものだと思う。親兄弟に友好とはあまり言いませんね。絆を深める味、親しさを表現する味、青森とのコラボレーション、青森に届けたい味、とかもっと他に言い様はなかったものか。記者のボキャ不足というよりも、基本的な見方、考え方が違ってはしまいか。

入社試験で「当社は全国に支店があるから、転勤は大丈夫ですか?」と問われたとする。これに対して、いかにも攻略本に書いてあるような模範解答では私は納得できない。なんてこと聞くんですか、そんなの当たり前じゃありませんか、と言って怒るくらいの人が私は好きだ。私が採用担当者ならば、その人の前に行き、両手を握り「よくぞ言ってくれた、君、採用決定!」と言って涙を流すことでしょう。そのような私からすれば、せっかくの人間同士の味なお付き合いも、「南北友好の味」という表現では、何か物足りないな。
[ 2011/04/05 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)