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黒い蛇





最近はどんな田舎道でもアスファルト舗装されている。私は運転中に前方路上にタイヤのチューブのような黒いものを見た。よく見ると体を激しくくねらせながら動く黒い蛇であった。カラスヘビであろうか、名前などわからないが、私と同じ進行方向へ移動していた。蛇の場合には、歩くとか走るという表現は適さないかもしれないが、私の車同様に走っていた。私はすぐに追い越してしまった。

しばらくしたら、また目の前に黒い蛇が現れた。この野郎、俺と競争する気だな。私はムキになって加速し、蛇を追い越した。

ひと安心して、周りの景色を見ながらゆったりと運転していたら、またまた黒い蛇に追い越されてしまった。なんとしぶとい奴よ。でも蛇の夢は何かの吉兆かもしれない、と思ったところで私は目が覚めた。



私は決して頻尿ではないが、目覚めてまず尿意を催した。しかしながら、起きるのは億劫である。我慢していたら、そのまま二度寝に突入していた。

夢の中では当然なことであるが、現実の世界とは時間も空間も違う。スピードは単位時間当たりの進んだ距離であるので、夢の中のスピード感は正確なものではない、というよりも全然違ったものであろう。私は三匹の黒い蛇を見たに過ぎないのではないか。まず、蛇と車が競争するはずがない。

黒い蛇の夢は、夢占いや心理学では欲求不満の象徴なのかもしれない。今の私が愛情に飢えていたり、お金を欲しかったり、あるいは何かの欠落感でもあるのだろうか。まあ、そんな馬鹿馬鹿しいことを考えていたが、今日は所要で地方へ行くことになり、田舎道を走るということが正夢になってしまった。



日吉町吉利というところへ行ってきた。ここは以前にも書いたが、南海キャンディーズの山里くんのお父さんやあの假屋崎省吾さんの実家があるそうだ。数日来の雨で、木々も十分に水を吸い上げ、新緑が綺麗であった。帰りの時間が中途半端であったので、前からどうしても訪ねたかった帯刀のお墓に参った。画像は園林寺跡の小松帯刀(たてわき)と妻お近の墓。二人の墓の間に昭和天皇下賜の灯籠がある。手前の方が帯刀。

帯刀は幕末の頃の薩摩の家老、明治2年に36歳の若さで病死。幻の宰相と言われる。お近さんの墓の何列か後ろには帯刀の愛妾お琴さんの墓もあった。明治9年でしたか、お近さんの計らいで、他所にあったお琴さんの墓をこちらへ移したのだそうだ。大河ドラマではともさかりえがお近さん役を演じていたが、私のイメージ通り、ハマリ役だったと思う。お近さんは姉さん女房、そして自身には子はできなかった。武家の妻でも女の性というのをむき出しにした人は物語的には面白いが、私は結婚相手にはごめん被りたい。あくまでもTVドラマで見た、お近さんのような女性がいい。今やってる「お江」は観ていないし、観たくない。



鹿児島には「○○寺跡」というのがやたら目に付く。これは明治2年の廃仏毀釈で失われたものである。当地ではこの嵐が特に激しかったようだ。

原口泉先生(元鹿児島大学教授)の著作によると、帯刀の偉業をよく知ってた人は、畏れ多くも昭和天皇であったという。昭和10年に鹿児島に行幸された昭和天皇は帯刀の忠誠を賞し、勅使を派遣して、墓前に祭祀料を下賜された。村民がその栄光を後世に伝えるために石灯籠を建て、由来を刻んでいる。(画像真ん中の灯籠。)



鹿児島は明治の元勲、偉人は数多いけれど、陛下は帯刀を心に留められたんですね。このような人物も意外と世には知られていない。

原口先生が「花の天保六年組」ということを書いてらっしゃる。

土方歳三、松平容保、有栖川宮親王、松方正義、三島通庸、五代友厚、前島密、小松帯刀、彼らはみな天保六年生まれだ。彼らはそれぞれ立場は違うけれど、彼らの生き方を見ればその時代が見える、歴史がわかる、と私は思う。



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[ 2011/05/25 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

花物語2





孔雀サボテンの大輪が開花した。もう七・八年になるだろうか、これは下関市の叔父さんから分けていただいた。私は赤・ピンク・白の株を持っている。オレンジ色と思っていたら、ピンクであった。茎になるのか、葉なのか分からないが、切り取って、挿し木で育てた。下関に一緒に行った姉と従姉妹も園芸が趣味で、みんなでいただいたのであった。二人とも枯らしてしまった。ということは、私は育てるのが上手いと言いたいわけである。

叔父さんの家で、ふと庭の木を見ると、ふう蘭(富貴蘭)が10株ほど小さな木箱に入れて枝にぶら下げてあった。「叔父さん、私が一番欲しいのはあのふう蘭だ、一株わけてください。」すると叔父さん、「いいから、全部持っていけ」ということであった。その後まもなく叔父さんは亡くなった。私にとって、孔雀サボテンとふう蘭は叔父さんの形見みたいなものである。



ブーゲンビリアは全く手入れもせず、10年ほど植え替えもせず、放置状態であるが、毎年咲く。と言っても、水遣りと、春と秋に肥料をくれてやるが。やはり当地は南国なのでしょう、この花は街中でもよく見かける。地植えにしてあるものは、大きく繁り、建物を覆っていて壮観である。日当たりが大事なのかもしれない。

私の知人は、隣にビルが出来たので、目隠しになるようにこれを植えた。鉄パイプでかなり立派な棚も作った。目隠しになるほど成長はしたのであるが、何年経っても花は咲かない。ビルのせいでそこは日陰になったと言うんです。生育も我らの鑑賞も、この色鮮やかな花は強烈な日光とセットになっているに違いない。



10年目にざくろが結実したかと思えば、実はこれは花つぼみであった。全部で四輪くらい咲きそうだ。

これは私の友人の家から頂いてきた。根元から出ているお箸よりも細い枝を分けてもらった。友人も奥さんの実家から分けてもらったのだと言う。田舎の奥さんの実家のざくろは、その村で一番大きな実を付けると評判の木であったという。

ざくろは10年前は、アメリカでちょっとしたブームであった。うら覚えな記憶であるが、ヒトの細胞を活性化させる、つまり若返りの薬のようにして、ジュースなどにして飲まれていた。当時は私はスーパーでざくろを買い、よく食べていた。健康食品という面は別にしても、元来、私は種をペッと吐き出しながら食べるスイカやあけびの類は好物であった。開花したら、受粉させてやろう。



私は写真を見るときには、それを撮影した人のことを思い浮かべる。どのような位置で、どのような格好をして、どんな表情で、何を考えながら撮影したのであろうか。写真には写ってはいないが、しかしその瞬間にその場に居た人であるので、全く私のイメージの世界である。だから私自身が撮った写真も、虚像ではないが、影として他人に想像されるのかもしれない。自宅の庭やベランダの花を写したのであれば、ゆるんだフンドシひとつ、あるいはステテコ姿の私の日常や生活を想像されることに気恥ずかしい思いをしてしまう。勿論、私はそれらの二種類の男の下着は未だかつて一度も愛用したことはない。撮影のとき、自身の影が写ることも嫌である。こんなのに理屈などない。

たとえば、神官僧侶が自宅で色あせた伝統的下着姿でくつろいでいる姿を、善男善女のみなさんに見られるのに似ている。



文章の場合には、どんなものでも書いた人の姿が反映される。いたしかたないこと、宿命である。しかし、著者がどのような書物や人物に影響を受けてこのような状況に至りましたという、いわば舞台裏、はいているパンツを見せることは粗野な行為とされているのではないか。と、まあ、こんなことを考えながら画像をアップしたのでした。



[ 2011/05/21 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

ご飯の友

温かい白ご飯にイカの塩辛を載せれば、ご飯は何倍でもいけそうである。数の子ワサビ(粕漬け)も美味しい。

昔は梅干、たくあん、ラッキョウ、味付け海苔、高菜や大根葉の漬物を刻んだものに鰹節をまぶしたもの。鰹節そのもの、というか削ったものをそのままご飯に載せて、醤油を垂らした。

勿論、すべて私自身の好みである。ご飯の友、ご飯のお供、載せ物、かけ物、混ぜ物、このように呼ばれるのであるが、よくぞ日本人に産まれけり、である。そうそう、生卵、納豆、もありました。桃屋の「ごはんですよ」という海苔もよく食べた。最近は食べることもないが。それに、忘れてならない、自家製豚味噌。



私は昨夜は最悪の状態であった。眠り込む、という瞬間に、息をしていない自分に気付き、慌てて腹で大きく吸い込むのであった。目覚めて、本を読んだりして、また眠ろうとすれば腹式呼吸をしてしまう。その繰り返しで、なかなか眠れなかった。そんな時考えたのが、やっぱりイカの塩辛が一番だなあ、ということであった。

何故そんなことを考えたか、その理由はいたって単純、丁度読んでいた週刊誌の中に「日本人が愛するご飯の友番付」という特集があった。これによると、ご飯の友ランキングは以下の通り。



1、辛子明太子 2、納豆 3、ふりかけ 4、海苔の佃煮 5、梅干 6、いかなごのくぎ煮 7、いかの塩辛 8、生卵 9、キムチ 10、釜揚げしらす 11、ちりめん山椒、食べるラー油 13、鮭フレーク 14、たらこ 15、たくわん 16、なめたけ 17、味付け海苔 18、焼き海苔 19、昆布の佃煮 20、塩昆布 21、いくらの醤油漬け、筋子 23、高菜漬けの油いため、韓国海苔 25、野沢菜、ちりめんじゃこ、白菜の漬物 28、納豆キムチ、高菜漬け 30、バター醤油



1000人のアンケートによるものだそうだ。サブタイトルには「たくわんがキムチに敗れる!いかなごのくぎ煮大躍進!」とある。いかなごはここ数年届けてくださる方がいて、これは実に美味しいものであるので私はよくわかるのであるが、沢庵が負けた?どうにも理解できない。



思い出したが、「のりたま」というふりかけを我が家ではよく見たのであるが、私は海苔・カツオ系のふりかけが好きだ。

では、ご飯と仲のよいお友達のことなどを今宵の夢のテーマとして、寝ることにいたしましょう。



[ 2011/05/18 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

笑っていいとも

今、思い出したのだが、歌之介さんが面白いことをしゃべっていた。

「人生は思い通りにならない」と言う人がいて、もう一人は「いーや、人生は思い通りになるんだ」と言い争いをしている。この二人を仮に「ならない氏」と「なる氏」としましょう。



なる氏「それで、今、あなたの人生はどうですか?」



ならない氏「いやあ、思い通り.になっていません。」



なる氏「ほらみろ、あなたの思い通りになったじゃありませんか。」



まあ、含蓄のある話ではあるが、私は何よりも大笑いしてしまった。実は、世間を見渡せば、これに似た様な話が多いのである。

フクシマ原発事故が起き、しかもまだ現在進行形であるというのにまーだ「原発は安全だ、安全だ」と言っている人がいる。また「直ちに健康に影響はない」という言葉も聞いたのであるが、内部被曝して5年後、20年後、50年後のことを誰が断言できるのであろうか。今の子供たちが二十代、三十代になった時、これを好発期というらしいが、癌を発病するかもしれないではありませんか。私ならば、子を持つ親の前では、こんなことは決して言えない。未来のことは、現在いる専門家の人たちにとっても未知なる世界であるので、明確に解かるはずがない、というのが普通の考えではないでしょうか。だって、原因のはっきりしている癌だって根治、根絶できてないんだもの。



であるのに、放射線の影響よりも喫煙による癌の発症率が高いとか、元来、日本人の死因のトップは癌だ、などと言う。放射線は、勿論微量であろうが、ラドン温泉と同じで健康にいい、というのもあった。チェルノブイリ周辺の住民は放射線の影響よりも、そのストレスで病気になったんだ、というのもあった。宇宙は放射線の嵐だそうだが、宇宙飛行士は健康になったそうだ。だけど、いや、だから宇宙では人間は生活できないのではないか。笑えるお話である。



吉本新喜劇でいかにもありそうだ。「この人、真面目なヤクザなんです」とか、「この人たちは真面目な不倫なんです」と言えば、池乃めだかさんあたりが「なあーにがじゃ!」と言って、そこで皆ズッコケる。

ヤクザも不倫もこの世の中では、一応、常識や社会通念上、不真面目、悪いこと、やってはならないこととされている。在り得ない相い矛盾することを言ってることがウケるのでしょうね。

人としての常識・社会通念とは何か?と問われれば、これに対する解答は非常に難しい。公序良俗であったり、善管義務、つまり善良な管理者の義務であったりするのでしょうが、こんな難しいものはない。しかし、原発ど素人としての私としては、常識、社会通念の欠落したところで議論が流れているように思う。



全国には古い原発もあるはずだ、現在稼動中のすべての原発を停止して、安全性の総点検をしようとは誰も考えないのだろうか。また、マスコミだって安全だと報じながら、社の規定では原発から50キロ圏内の社員の立ち入りは禁止なのだそうだ。週刊誌によれば、NHKは40キロ、朝日新聞50キロ、時事通信が60キロ、民放各局50キロの圏外に社員は退避なのだそうだ。

安全だと言う人も、危険だと言う人も、大真面目だから笑えるのである。

被災者、避難者にとっては、このような状況に憤慨されていることでしょう。

[ 2011/05/15 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

歌之介さんはいい男

たまたまTVを観たら、三遊亭歌之介さんが出ていた。

飛行機に乗るのは怖いという話をしていた。いつか乗った時には、隣には70歳代後半のおじいさんがいて、ゆったりとお酒など飲んでいた。彼らは人生の元を取ってしまったからいいが、自分は人生の半ばをちょっと過ぎたくらいで、まーだ元はとれてない。師匠(歌奴)の死を見とどけるまでは死ねない、というようなことをしゃべっていた。



その後のインタヴューでいいことを言ってましたね。今回の震災で、噺家としての自分の無力を感じたという。ところが、ゴルファーの石川遼選手が賞金をすべて寄附するということを聞いて元気が出た。それで、自分は2年間の寄席の出演料を落語協会を通じて寄附することにしたそうである。ちょいといいお話であるが、ローカルのTV局であったので、どのくらい伝わるものであろうか。それで、私はみんなに教えてあげたい、と思ったのね。



森の石松いい男。それを世間じゃ馬鹿と言う。悔しゅうござんす親分よ、と、言えば次郎長ニッコリ笑って・・・馬鹿は死ななきゃ治らない♪(えーお粗末。)広沢虎造さんの名調子がありますけどね、歌之介さんもいい男です。彼の噺は本当に面白いですよ。

そういえば、市内の先輩が経営する飲み屋で彼に偶然遭ったことがありました。私がドアを開けたら、入り口に一番近いカウンター席に居た彼が、私の顔を見つめて「いらっしゃいませ」なんて言ってました。咄嗟のことで、私は「ゥオーッ、お宅のお兄さんは私の友達の友達ですよ」と応えたと思う。「おやっとさあ」と言うべきでした。当時、彼は「おやっとさあ」という銘柄の焼酎のTVCMにでてましたからね。これも多分、ローカル局だけのオンエアだったと思う。



鹿児島弁でのしゃべりは、私らにとっては実におもしろい。会場はいつも大爆笑です。↓↓↓まあ、お暇な時にでも観てみてください。その3だけが音声が悪いようですが、それでも十分に元はとれます。元々無料ですから。



http://www.youtube.com/watch?v=ePniBJXorXA





[ 2011/05/12 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

「感じる」ということ。

しばらくお休みさせていただくつもりでいましたが、コメントに対する返信のつもりで書きます。多くの外国人が日本から”脱出”して行き、日本公演予定の外国人アーティストがキャンセルするというに、プラシド・ドミンゴさんは去る10日、東京公演をされた。被災者や我ら日本人を励ましてくださった。被災者への祈りを込めて日本語で「故郷」を歌われた。



http://www.youtube.com/watch?v=-Q1zjm_mklI



これはもう理屈ぬきで嬉しい。正直、私は泣けた。

東映の岡田会長が生前仰ってたことは「(映画は)笑えて、泣けて、手に汗握るものでなければならない」であったそうです。

また、皆様は奈良美智さんの絵を何枚かご覧になったと思います。目の釣りあがった少年や大きな瞳に口をキュッと結んだ少女の絵などがあります。彼が今韓国に行ってらっしゃるようで、韓国紙がインタヴューしていました。彼はこう答えている。私のうら覚えな記憶であるが、「私の作品は複雑な思考回路を経て理解するものではなく、感じるものだ」と。この方は子供時代はいわゆる「鍵っ子」であったといいます。きっと想像や空想の世界に遊んでいたのだと思う。実は私も精神的鍵っ子でした。違う点は、彼は弘前の野山でも遊んだでしょうが、私は極めて室内的であった。だから、彼の言う「感じる」ということはよくわかる。



もうひとつ例えを挙げます。私の先輩が書いていらっやいました。

森の農夫は森について考える必要がない。都会から来たインテリ崩れは、森を知らないがゆえに「森とは何か」を考える。森を対象として概念として考える。森の農夫は森のすみずみまで知っているので、森が美しいとか豊かであるとかを考えない、その必要がない。こんな主旨であったと思う。



世の中のことは一筋縄ではゆきません。思考や論理や思想・概念・観念など持ち出して、こうだああだと自信を持って言い切れることなどありません。私が特攻兵士のところで、これ以上は語らない、というのはこのような思いがあるわけです。人それぞれ感じればいい。

いきなり不謹慎かもしれませんが、低俗だといわれるエロ小説でも、それを読んだ人は涙が頬を伝って落ちるような一行に出会えるかもしれません。また、馬鹿話の中にも真実が潜んでいるかもしれないではありませんか。

それらはあくまでも娯楽や芸術の世界のことでしょう?と言われるかもしれないが、この世で娯楽や芸術を目くじら立てて否定する理由も無いこともまた確かなことであります。



前置きが長くなりましたが、「戦争反対」「反原発」結構なことではありませんか。すぐに○○主義者という思い込みをして、左翼のレッテルを貼る人たちがいます。そういう人たちは相手を非難することで自分の居場所を確認しようとしているのではありませんか。自分の居場所のないお気の毒な人たちだと思います。



防人も決して勇ましいものでもないのです。

筑波嶺の さ百合の花の 夜床にも

愛しけ妹ぞ 昼もかなしけ(防人)

夜の床でもかわいい妻だが、昼日中でもやはり可愛いくて忘れられない、と詠んだんですね。



特攻勇士は自分のことより周りの人(家族)の心配を遺書に書いたんですね。このような若者が征ったからなお、その行為は清く、美しい。そう感じる。

歴史では常に少数派、弱者、被抑圧者、敗者の主張は聞くことはできませんが、彼らも我らの立派なご先祖様なんですね。現代だって、今でも薄れ行く意識の中で、手首から吹き出る鮮血を見ている人がいることでしょう。年間3万人を越す自殺者がいるのですから。今、まさに死のうとしている人から見れば、あんたら何を深刻に考えてるの?悩んでるの?ばーか、なんて言われそうですが。



私はかつて「ど素人」という言葉を好んで使いましたが、複雑な思考などいらぬ、という意味では同じことでした。雲を掴むようなお話になってしまいましたね。ごめんなさい。

[ 2011/05/12 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

誰か防人を思わざる

2日から4日までの間、鹿児島地方は黄砂のため桜島はよく見えなかった。開聞岳も一度も見る事はできなかった。黄砂は身体にいいはずはないが、視界不良、つまり観光地の眺望も台無しにする。元から断たなければダメだ。チャンコロリンさんのことを思えば、実に腹立たしい限りである。



不味い煙草にも腹が立つ。震災からまもなく二ヶ月になろうとするが、未だに日本の煙草の製造ラインは復旧しない。私は仕方なく外国製煙草を吸っている。このせいで私は最近はよく変な咳をする。外国製は残留農薬があったり、紙やフィルターの造りが雑なように思う。こんなのを吸っていたら健康のためによくない。

復旧に手間取る日本の企業もだらしないが、これを全く報じないマスコミもどうかしている。いつごろ国産煙草が出回るのか、報じてくれてもいいではないか。喫煙者を全く無視しているようだ。あと一週間くらいなら私も待つが、これが一ヶ月にもなるとわかれば、私は煙草を止める。私の場合は呼吸器系の疾患のほか、咳をするたびに腰に響いて、またギックリ腰になってしまいそうだ。



視力、聴力、記憶力、判断力、洞察力等の衰えにも自分で自分に腹が立つ。知覧の平和館や鹿屋の史料館の館内は撮影禁止であり、そこでは私はメモしたのだが、今思い返してみても、どうもはっきりしない。

成田二等飛行兵曹の「出撃に際しての所感」というのがあった。



防人の 君と○され 身の誉

愛機と共に 此の身散らさん



○部分の漢字を自分で書いておきながら、どんな字なのか読めない。書き写した時は意味も読みも理解していたのだろうが、どうしても思い出せない。歌の意は国・国民を守る防人の栄誉であるので、見事、愛機とわが身を散らしたい、ということであろう。勿論、特攻であるので、この若武者は最初から生還など考えなかったことでしょう。



私は「防人」という言葉に惹かれたのかもしれない。宮安中尉のご遺書。

「・・・もとよりお国に捧げた身体故、生還を期しません。必ず立派な戦果を挙げる覚悟です。御国の興発存亡は今日只今にあります。吾々は御国の防人として出て行くのです。私がいなくなったら淋しいかもしれませんが、大いに張り切って元気で暮らしてください。心配なのは皆様が力を落とすことです。海軍に入るときに、当然、死を覚悟していたのですから、皆様も淋しがることはないと思います。・・・では大いに頑張りますから、その点、ご安心ください。・・・」

昭和20年5月14日出撃、享年23歳であった。もうこれ以上、私は何も語るまい。



草木は新緑に萌え、花々が咲き競い、生命力に満ち溢れたこの季節、お国のため、任務として征かれた多くの若者たちに思いを馳せるのでした。これは政治・宗教・思想、また最近流行のアジェンダなんてものには関係なく、一人の日本人としてごく当然のことである。







[ 2011/05/07 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

小腹が空いた





今朝何を食べたかよく覚えていない私であるが、5月2日からのことを思い出してみることにしよう。2日の昼食は東京からのお客人衆と黒毛和牛の焼肉であった。その後、市内を観光した。西郷隆盛銅像前でスーパーおじさんに出会った。おじさんに話しかけられたので、「どちらからお見えになったんですか?」と訊けば、北海道だという。しかも二人で自転車を漕いで30日掛けてやってきた。年齢をお伺いして、我ら一同びっくりしました。65歳と68歳だという。

私もいずれはワッパ転がして、日本全国を気ままに旅をしてみたい。ただし軽自動車ということになるだろうな。



私たちは、「ちょっと小腹が空いた」ということで、天文館むじゃきの白熊を食べに行った。行列が出来ていたので、そこには並ばずに、すぐ横の窓口で、手に持って食べれるという「ハンデイ白熊」を食べた。白熊は説明するまでも無く、上の写真の通りのカキ氷である。よく見れば白熊さんに似ている。

ご一行様はまた小腹が空いたと言って、無邪気から5・6十メートル先で、峰楽まんじゅうを食べた。上の写真のお店。他所では今川焼きと言うのでしょうか、回転焼きでしょうか、中にあんこが入っている。私は白餡が好きだが、白と黒(あずき)を両方食べ比べした人も居た。一個90円。皮が薄くて餡がたくさん入っている。私たちは子供の頃から、この二つにありつけることは、お盆と正月が一緒に来た位嬉しいものであった。今や天文館の名物でしょう。



その夜は鹿児島中央駅近くの居酒屋で焼き鳥や砂ズリの刺身でもって、ビールと焼酎をいただいた。居酒屋を出るとすぐに小腹が空いたので和田屋のラーメンを食べに行った。



私は3日の朝は、たっちさんからいただいたお菓子一個にコーヒーであった。お昼は知覧の慰霊祭主催者で準備されていたおにぎりを二個食べた。慰霊祭では参列者一同で軍歌を歌った。加藤隼戦闘隊と同期の桜。そして、慰霊祭の後に平和記念館を見学。集合時間に大幅に遅れた人が約三名いたので、我らはその間、本当に小腹が空いたので、売店で豚汁を食べた。ぜんざいを食べた人もいました。売店の主人が海ブドウを試食させてくれた。確かにおいしかったが、誰も買う人いなかった。



夜は寿司屋で懇親会であった。外へ出るなり、何か食べに行こう、ということになり蕎麦を食べた。肌寒い夜であったので、皆あったかい蕎麦を食した。二名はホテルのチェックインのために一旦ホテルに戻ったので、蕎麦は食べなかったが、あとで合流して「とんとろラーメン」を食べに行った。その時は蕎麦を食べた連中は蒸しギョーザにした。私は蕎麦のあと彼らと別れたので、よくわからないのですが、多分美味しかったはずです。



4日は午前10時30分頃だったかな、鹿屋へ行く垂水フェリーの中でうどんを食べた。まずは豚カツの竹亭本店を目指した。待ち時間50分、食べる時間20分であったが、謝罪と賠償を請求するほどではなかった。我慢の限界にも達することなく、それよりもお味の方にまあ満足であった。私は豚カツは全部食べきれずに必ず一切れ二切れは食べ残してしまうのであるが、今回は完食した。ごはん食べ放題、豚カツ定食800円、ヒレカツでも1000円ほどだったと思う。



海上自衛隊史料館を見学し、鹿児島市内に着いたのが6時ごろ、まーた白熊を食べに行き、そのすぐ後に、例によって小腹が空いたので蜂楽饅頭を食べ、その足で豚シャブを食べに行った。

そこで一応解散であった。しかしながら鹿児島の夜はここでは終わらない。若い衆はとんとろラーメンを食べに行った、らしい。



三日間も行動を共にすれば、とても他人とは思えない。私の薄くなった毛髪の、後ろ髪を引かれる思いでお別れしてきたのだった。















[ 2011/05/06 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)