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その終を見るものぢゃ

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私、ブログランキングに参加してはや三ヶ月になりました。その間に何が変わったかといえば、ここの訪問者数が倍増ならぬ五倍増になりました。どこのどなた様ということは分かりませんが、閲覧ページ数と人数は分かるようです。皆様に感謝です。

いいブログはやはりいいコメント欄だと思います。この際、ここのコメント欄を皆様にもっとお気軽にお使いいただくよう、お願いいたします。今でも十分面白くてためになるコメントをたくさんいただいています。コメント欄だけなら、ランキングベスト10入りは確実だと思います。

私もすべてに返信差し上げたいのですが、最近は一つのことに熱中すれば他に気がまわりません。同時並行でいくつもこなしていくような器用さが喪われたようです。返信ない場合は、PCの前で私が「う~ん、いいこと言うなあ」と感心して唸っている姿をご想像ください。というわけで、自由な掲示板としてお使いください。ブログは本文記事だけではなくて、コメント欄とセットになっているんだ、という思いを強くいたしました。



ここは特にカテゴリーはありません。私の場合は何を書いても自分(人間)と思っていますので、逆に読む立場になっても、”人間”ということを考えてしまいます。私の好きな歴史だって人間史だと思います。嵐氏以外ならどなたも大歓迎です。



ところで、明日あたりは、どこでも話題は民主党代表選でしょうね。勿論、私もこれに興味はありますが、私としては石川の砂浜で落とし穴に落ちて夫婦が亡くなった事件(事故)のほうが面白い。お亡くなりになった方々のことを思えば、面白いと言えば不謹慎でしょうけど、私は死者を貶めるつもりなど毛頭ありません。夫の誕生日のサプライズとして、妻が友人たちと落とし穴を作った。夫にそこへ落ちてもらうことを企画したのでしょう。それがなんと2.5メートル四方の深さ2.5メートルという大きなものだった。そこに夫婦で頭から落ちてしまい、落とし穴がまさに墓穴となってしまった。



TVのお笑い番組でも落とし穴を見たことがあります。「よい子の皆さんは決して真似をしないでください」というテロップが流れたことでしょう。私たちも子供のころ、落とし穴を作って遊んだものであるが、こんな大きなものは想像もできなかった。というのは、落ちた人に怪我をさせたらいけない、転んで打ち所が悪ければ死ぬかもしれない、そのように子供心にも心得ていた。そして、それは子供同士の暗黙の了解でもあった。

石川の大人たちはすぐに消防署に電話すればいいものを、自分たちだけで助けようとして2時間も経過してしまったのだという。結局、過日私が「結果論」というところで書いた、結末を知り得る者が居なかったということに尽きるのではないか。アンケート調査とか統計でも、導き出される結果を分かっているからこそ、統計を試みたり、設問を考えつくのである。



<下心> 賢いひとの習いには、まづ事を始めぬまへに、その終を見るものぢゃ。

「伊曾保物語」の中にこのように書かれている。410年ほど前、秀吉の時代に出された「イソップ物語」の日本語翻訳版ですね。キリスト教布教の目的もあったでしょうが、日本人が外国語を、外国人が日本語を学ぶためのテキストでもあったようです。日本の知識人層というのはこんなのを読んでいたんですね。

「下心」とは、今のような「何か下心がある」といった、あまりよくない意味での言葉の使われ方とは違い、私思いますに「心得」「心構え」といった意味でしょう。

心得の一つとして、今、我らは様々な”寓話”を思い起こしてみるのもいい。



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[ 2011/08/30 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

島田紳助さん、なぜ身上つぶした

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本人は引退してしまったことですし、いまさら紳助でもないでしょうね。どうなることでもないのですが、ひとこと言っておきたいことがある。私は新聞は購読していないし、TVもこの一か月観ていないので、情報に疎いのだが、思い出してもやっぱり腹が立つ。

アノ世界の人をヤクザと呼ぶには、私はちと抵抗がある。我々は青春時代に鶴田浩二、高倉健、若山富三郎等のやくざ映画に熱中して、博徒や任侠道に否定的印象だけではない。さりとて、肯定するのかと問われても、ノンとしか言いようもありませんが。



同じ頃、先輩が「これ見て、面白いぞ」と言って見せてくれた漫画を今でも覚えている。それは「ニャロメ!」とか「ケムンパスでやんす」なんてギャグ満載の赤塚不二夫の漫画であった。ピストルをぶっ放す警官もいたが、町の暴力団も登場した。「タンタンタヌキのオヤビンは金もないのにプーラプラ♪」「町のダニーさん」これには大笑いしましたよ。アノ人たちを呼ぶには決して「右翼」でもなく、「ダニーさん」がベストのように私は思う。



特に街宣車にお乗りになっている方々は面白いですね。数年前でしたか、朝青龍のところへ押しかけた車には「韓日友好」なんて書いてありました。つい最近私が見たのには「竹島を返せ」と書いてあった。ウム?竹島は日本の領土であるのに、とんでもない人たちが不法に占拠しているのだから、「竹島から出ていけ」或いは「竹島から追い出そう」と叫ぶべきではないのか。尤も、お願いするだけの我が国の姿勢にもウンザリではあるが。領海侵犯されてもなお、その船を拿捕することも銃撃を加えることもできない。そのような法がないから、領海外へ出て行ってください、というお願いをしているだけのようだ。話が逸れてしまいましたね。



事の発端は十数年前のことのようだ。紳助も急いでいたらしいが、前をゆっくり走っている街宣車がいた。紳助「なーにをトロトロ走ってる!」 ダニ「この菊の御紋が見えないか」 紳助「御紋ならオレのケツにも付いてるわい!」 こういうことを紳助がTV番組で得意げにしゃべったという。

畏れ多くも、菊の御紋を勝手に使用している連中の常識を疑う。また、ここに書くのも憚られる「尻の穴」という汚い言葉で御紋章を貶める紳助も、不敬に違いない。かつては軍旗や軍艦の艦首に付けていたものを、なんたることであろう。私だったらTV局に厳重抗議しただろう。いくらお笑いといっても度が過ぎる。あんたらそれでも日本人か、恥を知れ、と。



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[ 2011/08/27 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

黒田福美さんって・・・

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ご記憶にあろうか。その昔、大川橋蔵の「銭形平次」をTVでやってました。平次親分の女房役は香山美子さんでした。親分が出かけるときに、「ちょいと、おまえさん」と言って親分の背で切り火を打つ姿を今でも思い出す。役柄も、女優さん本人も私は好きだった。その後、あくまでも私個人のイメージであるが、香山さんにそっくりな女優さんが出てきた。それが黒田福美さんなんだけど、顔も声までもよく似ていて、時としてどちらがどちらか分からなくなることすらあった。私としてはどちらも好きな女優さんである。



黒田福美さんって、流ちょうな韓国語をしゃべり、韓国ネタのTV番組もあり、韓流の草分け、親韓派、さらには在日さんではないか、とまで言われる。私もほんの少しだけハングルをかじったことがあるが、この人の話す韓国語は、私のような者から見れば、まるで彼女の母国語のようである。そしてネット上で見られる、彼女の歴史認識や竹島に関する韓国寄りな発言は、どうも在日認定のようである。私もはっきりと口に出して言ったことはないが、在日さんの印象を持っていたことは確かだ。



黒田さんって、最近、韓国政府より麗水万博の広報大使に任命されたんですね。私はこれを報じる韓国紙を読んで、う?と首を傾げてしまいました。記事が意外にもシンプルで冷静なものであった。これが普通なんだろうけど、韓国紙の場合は韓国系の人物には異常に騒ぐんですね。鬼の首をとったみたいに、”在日同胞”をもてはやす。強制連行されて日本で醜い差別と闘って今の地位を築いた、なーんて。韓国系米国人が米国地方都市の議員になったり、国務省の役人や外交官にでもなれば、これも”わが同胞”であり、韓国に利益でももたらしてくれるように大喜び、大騒ぎの記事が紙上を賑わすのである。たとえルーツが韓国だとしても米国国籍の役人は米国の利益のために仕事をする、という単純なことさえ分からないバカになってしまうんですね。魚釣りで、コマセをやれば、魚がバカになったみたいに釣れるのに似ている。食いが立つというんですね。韓国紙はサッカー日本代表の李忠成君もいつまで在日同胞と言い続けるつもりなのでしょうか。それで、私は黒田さんが在日さんでないことを確信いたしました。

黒田さんのブログによれば、ご本人も在日さんと言われていることをご存じであり、それに対する返答は確か「韓国人とも日本人だとも答えません」というものだった。正直、怒っていらっしゃるんですね。でも、私はこの人の誇りというものを感じた。仮に私のようなものが在日呼ばわりされたら、ホントに火病を起こしてひと暴れしてやりますよ(笑)



黒田さんって、私の地元のTVの特集番組に出ておられた。

特攻隊の中には朝鮮半島出身者もいました。石原慎太郎監修「俺は君のためにこそ死にいく」という映画でしたか、出撃前に知覧の鳥浜トメさんのお店でアリランを歌った若者がいました。映画と同一人物かどうかわかりませんが、卓少尉という半島出身者の慰霊碑を故郷に建立しようという活動を紹介するTV番組であった。黒田さんが中心に活動されていたように思う。ところが、韓国での除幕式の日に、黒田さんや同行した当時の知覧町町長は韓国人の反対運動に逢い、現地に近づけなかった。結局その石碑は取り壊されて、石材は近くのお寺に保管されているのだという。

黒田さんは引き返すしかなかったのだが、その場で合掌し、お顔には涙が流れていた。私も日本人の一人として、もらい泣きしてしまいました。



在日韓国人・朝鮮人の問題をここで述べるつもりはないが、在日認定、また左翼であるとか右翼であるとか、芋焼酎もそうだが、ラベルを貼るときには十分に気を付けるべきだと思うのね。



黒田福美さんって、↓こんなCMにも出てたんですね。これは我ら熟年層は何度見ても飽きることはない。



 



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[ 2011/08/24 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

結果論でいいのだ。

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今夜は錦江湾花火大会であった。夕刻、私は地方に行くのに、海岸の方を避けて走った。幸いにして渋滞に巻き込まれることはなかった。帰りに市内に入ると、まだ、浴衣着姿の女性も多く目にしたが、車、車、車で・・・、とにかく混んでいた。

花火はやはり下から見なければならない、と友人が言っていたような気がするが、確かにそれが花火の醍醐味なのかもしれない。私はこの数十年、花火大会に行ったことはない。私の最後の花火大会はマイボートから見たんだった。海上からならいいけど、この暑いのに人混みの中へわざわざ出て行きたくはない。来年も見に行かないだろうし、絶対に交通渋滞には巻き込まれないようにしたい。来年のことを言えば鬼が笑う、などというが、笑われようが、槍が降ろうが、私の気持ちは変わらない。



さて、TV界が大変な事になっているようだ。「ようだ」と、いかにも他人事のようであるが、実は私は、7月24日、アナログ放送終了時より、TVを一切観ていない。リビングには地デジの大画面があるが、私は夕食時にしかリビングには行かないし、食事中にはTVはあまり観ない。私の事情などどうでもいいが、宮崎葵の夫の高岡某の韓流・フジテレビ批判に始まり、お台場の抗議のデモがあったり、最近はナイナイ岡村や北野たけしが「見たくなければ見なきゃいい」という発言をしたという。河原乞食風情が何をバカなことを言っておる。さすがの私も怒りましたよ。一方的に電波を発信している側にいる人間が言うべき言葉ではない。彼らはそれが飯の種、つまりショーバイでやっているのに、客であるスポンサーや多くの視聴者のことは眼中になかったのであろうか。



我ら視聴者は電波を発することはできないが、その代り我らが「見なきゃいい」と言うのなら分からぬことはない。極端であるが、誰も見ないTV局などコマーシャリズムの世界では成り立たない。それで、TV局も淘汰されるに違いない、と考えるのである。スポンサーに対する、不買運動のようなものも効果は期待できるでしょう。しかし、スポンサーはとばっちりを受けた面が強い。スポンサーは恐らく番組制作や番組のキャステイングの権限はなくて、出演者の発言までも縛ることはできないでしょうから。



ところが放送業界は許認可事業であり、新規参入もなかなかできない業界であるので、「淘汰」はされることはないだろう。何十年も放送局の数は変わらない。許認可制の見直し、規制緩和、構造改革、このようなものが叫ばれたころ、放送業界そして老朽化した原発と絡めて電力会社、この二つの業界にこそ政治は大鉈を振るうべきではなかったか。これには「結果論である」「結果論を言っても仕方ない」といった否定的な言い方をされるかもしれません。でも、最初から結末を知っている人のみが言える理論というものがあるはずだ。「結末を知る」とは体験に基づいたものでしょうが、先を見据える、というか眼力としか言いようがないが。とにかく、そこいらをできなかった人たちの言辞が「想定外」ではなかったのか。彼らは醜悪ですらある。

私は信号待ちの間、来年の花火大会のことを思いながら、このようなことを考えていた。



 

ツルムラサキ。どう見ても、観葉植物か雑草にしか見えないかもしれません。昨日所要で吉田町に行った折、農産物直売所「喜楽里(きらり)よしだ館」に立ち寄った。一把でなんと50円。亡きお袋がこれをよく食べさせてくれた。湯がいておひたしにして食す。まず、トロッと粘り気のある食感、そしてわずかな苦みがあり、ホウレンソウの根っこの部分を食べたような味がする。私は駐車場のアスファルトの上で即撮影。これで他人の誕生日を暗記できたら、最近の私はまるで林家ペーさんですね。



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[ 2011/08/21 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

たまには息抜きを・・・。

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国道10号線を鹿児島市へ帰る途中、姶良市より。正面は桜島、右のせり出しているのが通称大崎ヶ鼻。錦江湾沿いの道路から、桜島はどこからでも見える。ところが一か所だけ桜島が見えないところがあるらしい。私はこのことを友人から聞いたが、友人は観光バスに乗った時にガイドさんから聞いたそうだ。私はこの辺りは何度となく通るのであるが、今日はふと思い出して、ほんとかな~、注意深く観察しながら車を走らせた。この鼻の付け根のあたりで、桜島が視界から完全に消えた。これはTV番組「なにこれ珍百景」に応募すれば採用されるかもしれません。錦江湾沿いで桜島が唯一見えないスポット。



たまたま見た終戦の日のローカル紙に、読者の様々な戦争体験記が載っていた。そのなかに、鹿児島市内の空襲の後、焼け野原から桜島が大きく見えただったか、近くに見えただったか、そのように書いていた人がおられた。その時のあっけにとられたような驚愕、虚脱感というものが感じられて、毎日桜島を見て生活している私としては、すごくいい表現に思われた。桜島は我らの生活の一部かもしれません。







霧島市で昼食に立ち寄った、無添「くら寿司」という回るお寿司屋さんの店内に掲げてあったもの。この店では化学調味料、人工甘味料、合成着色料、人工保存料、これらを無添加で、シャリは和食用に開発された北海道の「ほくりんこ」を使用しているのだそうだ。拡大すれば何が書いてあるか分かるかしれません。私は「食の戦前回帰」という言葉に惹かれた。「回」という文字の色がちがうが、これは回転すしの回にひっかけたのでしょう。日本人の精神の戦前回帰、こんなのはいかがでしょう。戦後を代表するものに、自由、平等、民主主義、反戦、不戦、平和、そして非武装中立なんてとんでもないのがあったが、戦前回帰は何であるかと言えば「天皇陛下万歳」に尽きるのではないか。

こういう話題では、読者によっては息抜きにならないでしょうから、次!







ほらね、赤だったんだってば。これを宣伝しているつもりは毛頭ありません。

こういう人は日本の空気を吸い、日本の水をお飲みになっていらっしゃるのでしょうが、一体、どんなものを食されているのでしょうか、私は同じ人間として素朴な疑問が湧いてきます。



さて、お休み前に↓この曲はいいかも。







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[ 2011/08/18 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

ヒロシマ・リポート(終)

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私は毎年8月15日は鹿児島県護国神社に参拝し、その足で天保山に行き、海軍勇士の慰霊碑に敬礼を捧げる。残念ながら昨日は仕事で霧島市、伊佐市に行かなければならず、私自身の恒例の行事ができなかった。

午前中に国道10号線を霧島市へと向かって車を走らせた。右手には錦江湾である。70年前にはここで、海軍航空隊が真珠湾攻撃に備えて猛訓練をした。雨に煙る海はベタ凪で、海に崩れ落ちるように迫る山々は緑が深い。「われらは海の子」なんだなあ、と実感する。みんなが護ろうとした我が国土は実に美しい。そして平和だ、ボケと言われるほど平和である。



霧島市に入ると、赤い立て看板が目に付いた。右半分は白地に赤色の文字、左は赤地に白抜きの文字で、皮肉ではなくて、ホントに赤い看板であった。前広島市長秋葉忠利「平和」を語る、とある。8月21日(日)10時、加音ホール、だそうだ。私のように鹿児島から広島へ行く者もいれば、広島から鹿児島の田舎町へ平和を語りにやってくる人もいる。誰がこんなもん・・・。・・・の部分は皆様が思っていらっしゃる通りのことです。この人も世界一の平和国家の国民である日本人に向かって語らずとも、北京や平壌やどこかイスラム圏の都市の真ん中で平和を叫べばいいではありませんか。そして、誰もが思っている通り、もう帰ってこなくていいよ。



過ちは二度と繰り返さない、などと言っても、私に言わしむるに、元より歴史は繰り返さない。歴史は考えるヒントは与えてくれるでしょうけどね、物理数理的現象の複雑な系において見いだされるような法則はあるわけではないのだそうだ。歴史は反復せず、法則がないことをもって本質とする。そもそも、法則のように表象のうちに閉じ込められるものは、歴史の真理ではないのである。なーんてことを船木亨さんて方はの玉う。



「ヒロシマの平和を疑う!その1」から間にいろんなものを挟んで、「ヒロシマりポート(終)」まで、ここで私の”広島物語”は一応おしまいにします。下の画像の広島駅にスーッと入ってきた九州新幹線「さくら」で帰途に就いたのでした。







<蛇足>往復の車中が約5時間あるので、私は3冊の本を持って行った。結局一冊しか読めなかったが、それはやっぱり野上弥生子の短編集であった。この作家はどういう方、と一言では説明できないので、作品をお読みいただくしかありません。とにかく凄い方です。70歳代後半から、名作「秀吉と利休」を10年がかりで書かれ、100歳まで生きられた。余計なことですが、日本のインテリゲンツィアとして、不肖うさぎ屋もかくありたい。なんちゃって。

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[ 2011/08/16 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

ヒロシマ・リポート(5)

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あの駆逐艦「雪風」の主錨である。私の江田島行の当初からの主目的というか、キーワードは「海軍兵学校」「特殊潜航艇」そして「雪風」であった。私はこの場を暫く離れることができなかった。感無量という言葉は、このような場合に使うのではないだろうか。

この艦は開戦以来、ほとんどの海戦に参加して奮戦したが、終戦まで生き残った不死身の駆逐艦、或いは奇跡の強運艦とも言われる。勿論、戦艦大和とともに沖縄にも向かっている。帝国海軍は百数十隻の駆逐艦を保有していたが、雪風だけがただ一隻、無傷で戦闘力を備えたまま終戦を迎えた。今日、15日は終戦記念日であるが。雪風の何代目かの艦長は艦を去る時に艦員を前に「雪風に神宿る」と仰ったという。

ところが運だけではないんですね。当時世界最速の艦であったし、帝国軍人すべてに言えることであろうが、艦長以下士官、水兵に至るまで優秀であり、士気も高かったのでしょう。爆弾を避けて、高速でジグザグ走行する様が目に浮かぶようです。



私のあいまいな記憶であるが、米国の新聞だか雑誌だかにも雪風の名が載った。名前も忘れたが、米国海軍の士官の話であった。海戦中、彼の艦は沈み、多くの艦員は海上に浮いていた。そこに雪風がやってきた。米国兵は当然機銃掃射されるだろう、もはやこれまでと観念したという。彼らはジャップを殺せ、殺しまくれ、と言っていたわけですから、立場を変えれば、殺されると思ったでしょう。しかし雪風は機銃掃射することなく目の前を通り過ぎて行った。艦橋にいたビヤダルのような体躯の艦長(おそらく寺内中佐)が敬礼をしていたという。敵である米国海軍士官が雪風を称えていた。



この艦には建造中から艦長がいたが、進水してからの実質的初代艦長は飛田健二郎中佐、この方は鹿児島県、今の薩摩川内市のご出身である。ミッドウェー後に退艦され、予科練の指令を務められた。終戦時は大佐。この方の戦後はよくわからない。私も川内市へ行った時や、川内出身者に会った時に訊いてみるが、今のところ誰も知らない。私はこの方に縁のある人からお話を伺いたいのです。何故、と問われても返答に困るが、私の個人的興味とでもいうものでしょうか。



え、雪風の戦後であるが・・・。復員輸送に活躍した後、昭和22年、戦時賠償として中華民国に引き渡される。中華民国海軍の「旗艦」として就役し、昭和46年に引退。その時日本に返還された錨が上の写真である。

また、戦後の海上自衛隊の初の護衛艦の命名が「ゆきかぜ」であった。



今日という日は反省だけでもよろしくないのであって、開戦70年でもあるので特殊潜航艇、そして戦い抜いた雪風、こういうことを日本人として考えてみるのもいいではありませんか。

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[ 2011/08/15 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

ヒロシマ・リポート(4)

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甲標的と呼ばれた、帝国海軍の特殊潜航艇。

私は広島は、学生時代に途中下車をして以来、幾度となく訪問しているのであるが、江田島は今回が初めてであった。今まで書物や写真・映像などで知っていたので、懐かしい感じがして、とても初めてという気がしなかった。特にこの特殊潜航艇と出会った時には涙が出るくらい感激した。もっと小さなものだろうと想像していたが、よく見れば確かに全長二十数メートルある。これに若い士官とベテランの兵曹がペアで乗り込んだんですね。

昭和16年12月8日、5艇が真珠湾に出撃した。そして、帝国海軍急降下爆撃の第一弾投下の1時間20分も前に、敵艦「ウォード」に砲撃されている。9名は日米開戦、初の戦死者となられた。九軍神として祀られ、日比谷公園で帝国海軍葬が執り行われた。



初の捕虜となられたのは坂巻少尉であった。坂巻艇は海岸に乗り上げてしまったんでしたか。このお方は何度も自決を試みられたようですが、後から来た日本人捕虜の面倒をみられたという。戦後は南米トヨタの社長を務められた。

一方米国は、特殊潜航艇をトラックに積んで全米を巡回、公開した。”リメンバーパールハーバー”で戦意高揚を煽り、この艇を戦時国債を国民に買わせるための広告塔として使った。

わが国のワシントン大使館の宣戦布告が遅れたことをもって、卑怯なだまし討ちなどと、日本人でも言う人がいるが、とんでもない、戦闘行為を先に始めたのは米国海軍である。



九軍神のお一人、横山正治少佐(当時中尉)は鹿児島県出身であり、同乗したのは広島県出身の上田兵曹長である。私が広島の人たちと気が合うのは、このような縁を感じるせいかもしれません。横山少佐をモデルにして書かれたのが、獅子文六の小説「海軍」である。私は高校の時に読んだが、何回か読み返している。これは昭和17年の朝日新聞の連載小説であり、その年の朝日文化賞を受賞した。戦後の朝日は百害あって一利なしと言われるくらい落ちぶれはてたのであるが、戦中までの朝日は素晴らしい新聞だったんですね。この小説には江田島や日比谷公園での海軍葬など克明に描かれている。

最近、日比谷公園で左翼がデモをしたと聞けば、私はひとり腹をたてている。また、このような場に年越し派遣村ができたというニュースを聞いた時には、こんな情けない日本社会に誰がした、と憤りを覚えるのである。英霊はこのような祖国の未来を信じて散っていったのではない。

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[ 2011/08/13 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

小さな日記(8月11日)

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大したこと書きませんので、音楽を聴きながら、流し読みしてくださいね。おっととと、その前にもう一つクリックお願いしておきます。



お昼前でしたか、私運転中に隠れ念仏さんより電話あり、訊けば今鹿児島市内だという。muybienさんも誘って、三人で昼食をすることになった。またもや「すし半」というお寿司屋さん。実は二日前にも私は友人とここに行ったばかりであった。広島でもすし屋さんでしたね。それで、私は滅多に食べることのないから揚げ定食にした。

その後、鹿児島県護国神社に参拝した。ついでに、長年の懸案であった日本会議鹿児島の事務局を訪ねた。事務所は境内にある。かなり前からこの会に入会しようと考えていたが、二年前に他の団体に入会したので、いくつもの会に属しても忙しいだけだろうということで、気にはなってはいたがいつのまにか年月が過ぎた。そして、ある会を退会したのを機に、入会を決意した。広島県福山市ご出身だという事務局長さんとお話をしているうちに、つい正会員の入会手続きしてしまいました。



暑い日でしたね。おまけに広島の疲労が出てきたのかもしれません。いつもの肩こりと頭痛がした。

三人のおじさんたちが向かった先はファミレス、かき氷を食べようということで意見が一致した。七月一四日、櫻井よしこさんの講演会の後にみんなで食べたのだが、それ以来であり、その時と同じ「ジョイフル」。いちご&マンゴー、アイスのせ。一つのかき氷で三つの味が楽しめる。一個で三度おいしい。よく切れる刃で氷を掻くのでしょうね、すごく細かくて、ふんわりとした食感が実にすばらしい。絶妙ですね。いい年をしたおじさんたちが、ただひたすら、ぺろぺろとかき氷を食べている様子を想像してみてください。笑えます。



私は念仏さんをバスセンターまで送り、自分の仕事に片を付け、横になったら眠ってしまった。小一時間眠ったでしょうか、七時過ぎから家内を連れて買い物に出た。食事をして帰ろうということになったが、私が寿司攻めに逢っていることを知らない家内は、「お寿司にしよう」と言う。俺は絶対に行かないぞ、私は怒鳴ってしまいましたよ。で、私は食欲もなかったが、焼肉にした。いつか、けんぞうさんとmercyさんと一緒に行ったあそこです。食欲はない、ない、という割には完食しました。そして同じビルにあるトーホーシネマのレイトショーにギリギリ間に合った。「トランスフォーマー」を観た。初めてでしたので、まず3D画面に感動しました。これは3Dのために作ったのではないかと思われるシーンがいっぱいあった。映画そのものは、私は面白くなかった。内容的には・・・別に。

ただ、字幕に「進化した」と出た時に、咄嗟のことで、原語を聞き漏らしてしまった。どのような言葉や言い回しを「進化」と訳したのか、すごく気になって、その夜もなかなか寝付かれなかった。



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[ 2011/08/13 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

ヒロシマ・リポート(3)

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廣島護國神社。8・6講演会前に参拝す。





田母神俊雄元航空幕僚長。





青山繁晴独立総合研究所主席研究員。



今回の広島行のメインイベントである。

追悼、東日本大震災、東北復興から日本の再建を。8・6広島平和ミーティング「三たびヒロシマの平和を疑う!」~国民の安心安全をいかに守るか~。

まず、参加者約2000名による国歌斉唱、そして黙祷。主催者である日本会議広島会長のあいさつ。

平和と安全を求める被爆者たちの会「もうひとつの平和宣言」朗読。これはここhttp://www.realpas.com/をご覧ください。

続いて田母神・青山両氏による講演。勘のいい方は写真を見てお気づきになられたでしょうが、私は会場の最前列であった。砂かぶり席、或いはかぶりつき、講師の先生方の息遣いが聞こえてくるような席であった。田母神氏は前半は核武装について、後半は福島原発事故について語られた。青山氏も似たようなことをおっしゃったが、核保有国・抑止力は国際政治および外交で重要な切り札になる。私だってこのお二方と意見の相違する点も多々あるが、このような催しを左翼というよりも、似非平和教育(者)、似非平和団体の跋扈する、この地で開催することに意義があるのだろうと思う。



ひと頃、同和団体のみなさんが威勢のいい時があった。正確には似非同和と呼ばれていました。同和とは同胞相い和すを略したものだそうだが、確かにわが国には差別を受けた部落は存在した。しかし実際に暴れた人たちは、同和を騙る人々であって、やることは街のダニーさん、暴力団と何ら変わらなかった。

アノ人たちは口では反戦・平和を唱えながらも、国旗・国歌を否定したり、同じ左翼同士で醜いヘゲモニー争いをやってきたのではなかったか、多くの死者の眠るこの被爆地で。



青山氏は「祖国は甦る」と題して、熱ぽく語られた。敗戦後の日本はほんとうに「平和国家」か。国民の中に「平和である人」と「平和を奪われても仕方のない人」があるのか。この「偽の平和」は誰によって作られたか。核兵器をめぐる国際社会の冷厳な事実は何か。大量殺戮兵器は核兵器だけか。核兵器だけが世界の脅威か。たとえば北朝鮮の脅威も、核兵器だけか。祖国の甦る道筋に、もっとも大切なものは何か。

このような問いかけを聴衆に投げかけ、参加者に質問しながら話された。それらの内容については、恥ずかしながら、私はよく覚えてはいません。これらの疑問形の文章を、各人が考えてみるのもいいのではありませんか。



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[ 2011/08/11 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

ヒロシマ・リポート(2)

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6日の昼食は新幹線「さくら」車中にて駅弁でした。包装紙には熊本やつしろ清流球磨川「鮎屋三代」とある。炊き込みご飯の上に鮎の甘露煮。柔らかく煮込んだ鮎で、一尾丸ごと食べられた。私には少し味が濃すぎたかな。私は最初、鮎寿司のつもりでこれを買い、そのつもりで包みを開いたのだった。だからそう感じたのかもしれない。これは九州の駅弁ランキング、3年連続1位なのだそうだ。勿論、きれいに完食した。







講演会まで時間があったので、本屋さんを探すが、大分歩き回ったけど見つからず、腹いせに、いや例によって小腹が好いたので、リーガロイヤルホテル1階でアップルパイとコーヒー。二・三杯お代わりしたいところであったが、いつものファミレスではあるまいに、相当いいお値段であったので一杯でがまん、忍の一字で耐えました。それにしてもこの周囲はファッション関係のお店ばっかしであった。本屋の二・三軒はありそうなものだが。







6日夜の懇親会。百姓侍家御用達の杉寿司。あとこれに鴨肉の生姜焼きと茄子の田楽、そしてにぎり寿司7・8貫が付きました。お酒は山田錦の大吟醸をどなたかの差し入れ。







七日朝はホテルの朝食バイキング。私はいつもの習慣でパンにコーヒー。目玉焼きがあれば絶対に皿に取るのであるが、置いてなかったのでスクランブルエッグを少々と好物のポテトサラダにフルーツを少々。いつも朝食は小食である。その割には、今思い出したが、スープをいただいていない。

昼食は江田島にて、同行者老若男女約一五名、全員海軍カレー。エビにするかカツにするか迷ったが、カツで正解であった。エビは出てくるのが遅かったでよ、調理場ではエビフリャーを揚げるのにどえりゃーことになったんちゃうの。



夜はまた杉寿司。湯がきたての温かい枝豆。和牛のサイコロステーキ、てんぷら盛り合わせ、刺身盛り、タコフライ、そしてやっぱりお寿司屋さんであるのでにぎりにサバ寿司。実は、私は刺身の中ではサバが一番好きだ。今まで二回アニキサスにやられたけれど、そのたびに「二度とサバは食いませんから・・・」と呪文を唱えるのであるが、それでもサバを食す。また、しっかりとポケットにカメラを入れていたのに、写真撮るのを忘れてました。バカですね。

8日の昼はアレでしたが、久しぶりの我が家での夕食は、うちの庭で採れたキュウリとゴーヤ。もらい物のソーメンとさつま揚げ。それに、無性に食べたかった卵かけごはん。変なのっ!



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[ 2011/08/09 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

ヒロシマ・リポート(1)

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今回の広島行でまず私が衝撃を受けたのは、ある方の急死の報を受けた時であった。この方とはネット上のお付き合いしかなかったが、私の高校時代の恩師をよく知っておられて、楽しく会話したことを思い出される。今、こうしてひとりでPCに向かっていると、目頭が熱くなる。心よりご冥福をお祈りしたい。



広島の方をはじめ、お会いした関東、関西、すべての皆様、お世話になりました。この場でお礼申し上げます。

昨夜、いただいたお土産を、駅まで送ってくださった方の車の中に忘れてしまいました。そして、寝る前に携帯を充電しようとしたら、ACアダプターが見当たりません。でした、広島のホテルの部屋のコンセントに差し込んだままでした。また、6日の講演会の資料を夜の懇親会のすし屋さんに忘れていました。翌日、同じすし屋さんに行ったときに持ってくればいいのに、忘れ物をしていたこと自体を忘れていました。

そして今日、土・日とお寿司が続いたので、しばらく寿司は避けようと考えていたが、友人に昼食に誘われて、行った先が回るお寿司屋さん。何かしら寿司責めに会っているようで、温玉うどんにメロンにしたが、にぎりを五皿ほど食べてしまった。一事が万事、このような不肖うさぎ屋でありますゆえ、どこかで皆様に不快感を与えてるやもしれません。何卒、失礼をお許しください。







私が平和公園に着いたとき、在日特権を許さない会のデモがスタートするとこであった。「私は在特会の会員ではありませんが、参加していいですか?」と訊けば、どうぞ、どうぞ、とまさに二つ返事であったので、私はこの最後尾に並んだのだった。従って、私の後ろには広島県警の機動隊の諸君が付いてきた。この会の主張を否定する理由は私には思い当たらない。日の丸、軍艦旗、こうして見れば、実に綺麗ですね。



一方、田母神講演会に反対する人々がいる。被爆者の感情を逆なでするのだそうだ。私は過日書いたように、このような人を説得する言葉を知らない。被爆者というなら、「平和と安全を求める被爆者たちの会」をご存じであろうか。平成22年に設立された会です。この会の宣言文にぜひお目を通して頂きたい。ここでは紹介いたしませんが、この会のホームページでご覧いただけるはずです。私は日本人の一人として、深い共感を覚えます。



私は幾度となくここを訪れているが、資料館の展示物を一度も見たことはない。というか、見ないことにしている。悲惨なものを正視できない弱虫かもしれないが、私は人間を長いことやっているうちに、書物や映像等で理解したものを持っているつもりでいる。それに、左翼プロバガンダ的説明文を読まされたくはない。この日は静かに犠牲者のご冥福を祈りたい。



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[ 2011/08/08 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)