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十年ひと昔

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友人の事務所に立ち寄ったら、NHKFMの「歌謡スクランブル」石川さゆりの演歌が流れていた。事務所はビルの6階にあるが、周囲に高いビルがあって、ラジオの電波状況が悪いのだそうだ。それで、NHKネットラジオ「らじる★らじる」を聴いているのだそうだ。

私はこんなのがあるなんてちっとも知らなかった。十年前までは自室ではラジオを終日点けていた。引っ越した今のマンションでもそうしたかったが、ノイズがひどくて、ラジオは諦めたのだった。もっと早く教えてくれたらよかったのに。昔は昼食後にソファーに寝転んで、「昼のいこい」や「歌謡スクランブル」を聴いた。するとそのまま15分ほど昼寝をしてしまうこともあった。だから、当時は体調はよかったように思う。



十年一昔と言うけれど、私は昨日のことのように良く覚えている。そのかわりに、昨日のことを忘れてしまっている。母が癌で入院していた。丁度今頃は、姉弟と交代で病院に泊まり込んでいた。私は母が寝入ったら本を読んだ。なぜか、一晩に一冊読了しようと決めていたようで、手ごろな量の本を持って病院へ行った。その時の一冊が、下の「狂牛病」であった。そのころは明けても暮れても話題は狂牛病で、日本中、いや、世界中が大騒ぎであった。

12月22日、三連休の初日であったが、子や孫、親戚一同が揃ったのを見届けたかのようにして母は逝った。私は母の顔に頬を付け、耳元で母の名を呼んだ。そして、病院の屋上へ駆け上がり、唇を噛みしめて空を仰いだ。冬の乾いた、しかも澄み切った空であった。今でも、その日の空の色をはっきりと覚えている。

私は葬儀の時も泣いてばかりであったようで、隣の席の弟から何度も足を突つかれた。会葬お礼のあいさつは私がしたが、これも途中から泣いてしまった。

引っ越しは12月26日になってしまった。



母の迫りくる死の傍らで、私は読書に没頭する以外に術はなかったように思う。本の中の、変異性クロイツフェルト・ヤコブ病を発症した、イギリスの少女の悲惨な闘病生活と死は、私にはとても他人事とは思えなかった。改めてこの本のページをパラパラとめくってみれば、このようなことが書かれている。




人類への警鐘」というサブタイトルにあるように、様々な警鐘を鳴らしている。パプアニューギニアのフォア族の食人習慣。牛や豚の屠殺も、味が落ちないように水洗いはしない、といったグルメ文化や輸入による産地不明の格安食料品。

牛肉生産国であるオーストラリアでは牛の脳は食べないので、ほとんどフランスへ輸出される。いわゆる危険部位というものが、フランスのグルメ料理の中心になっている。十年経っても相変わらずフランスでは脳味噌のスライスを食べているのでしょうか。



デフレが続いている限り、外食産業は人件費の安い国からの輸入により、価格競争をしている。コメも関税は高いが弁当などの調整品としてなら、関税も安いのだという。そういえば、信じられないくらい安い弁当が出回っている。肉も野菜も魚も現地で日本企業が指導して生産しているので、中国製はけしからん、と言いたいが誰に向かって言ってるのかわからなくなる。

TPPで農業は壊滅とか日本の良き制度が壊されると言われるが、私は、日本の農業はそれほど弱くはないとか、制度が壊されるくらい日本国や国民も弱くはない、と反発したくなるのだが、実はすでに農産物は格安外国産に席捲されているのかもしれない。10年前我が国の農産物市場は80兆円なのだそうだが、そのうち国産品は10兆円なのだそうだ。金額からすれば、わずか12.5%である。デフレが進んでいるのだから、この10年間で輸入品は増えたはずである。日本人の生命、生存ということを考えたら、これでいいはずはない。








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[ 2011/11/30 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

私の麺切り包丁

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説明するまでもなく、私の蕎麦打ちの道具です。この外に必要なものは、大きなステンレス製のボウルとザルです。今日のお昼は蕎麦。我ながら大分上達したと思う。そば粉を団子状にくくるまでが難しいですね。あとは誰でも打てるのではないでしょうか。ただ、つなぎを一切使わない、そば粉十割は少々手こずるかもしれません。汁はポン酢、薬味はゆずとネギを使用したが、これもできるだけシンプルな方がいいですね。温蕎麦は家内が出汁を何でとったか知らないが、あっさり系で美味しかった。



最初、思い立って蕎麦を打ったときは、道具は何もなくて、菜切り包丁を使った。麺棒もなかったので、代用として、ラップの芯を使った。ある日、蕎麦打ちの途中で、娘に麺棒を買ってきてくれ、と頼んだ。近くのダイエーで買ってきてくれたのであるが、モノは根本の方より先の方が太い。そして、先端は丸みを帯びていた。

「俺は麺棒を買ってこいて言っただろうが、これはすりすりこぎじゃないか。」

「だって、麺棒くださいと言ったら、ハイてこれを持ってきたんだもの~」

買う方も売る方もよくわからなかったんでしょう。私は泣きたいやら、可笑しいやら、腹が立つやら、とにかく複雑な心境であった。綿棒でなくて、まだよかったかな。




この緬切り包丁も錆が浮いているので研がなければならない。この包丁は鋭利な刃をしている。そして、柔らかいものを切るのだから当然でしょうが、何年使っても切れ味は全く落ちない。私は昔、これで手をかなり深く切ってしまった。以来、私が包丁を手にしているときには、誰も話しかけないようにしている。仕事中おしゃべりな料理人は嫌ですね。ファミレスなんかのウエイトレスも、マニュアル通りに「お待たせいたしました、○○でございます、以上でご注文の品お揃いですか」なんて言うが、料理の上に唾を飛ばしているに違いない。



刃物といえば、頴娃町(えいちょう)の田園地帯を抜ける街道沿いに、こんな看板があった。

刃物は切れてもわが身を切るな

何かの標語みたいですね。私はそこを通るたびに、何年もの間、考え込んだのだった。刃物が切れる、ということは読んで字の通りでしょう。しかし、「わが身」といえば、日本語の意味としては、自分の身体、手足のような体の一部分、自身の置かれた状況、境遇、そして精神状態までも表す。「身銭を切る」という言い方もある。どうも、よくわからなかったが、私が包丁で手を切った時に、まず、この標語を思い出した。

良く切れる刃物も、使う人が一瞬でも気が緩めば自身を傷つけることになる。自傷してはならない。そのようなことなんでしょうね。それが街道沿いにあることから、自動車の運転も自傷することになってはいけない、と戒めているのではなかろうか。極めて単純なことを言ってるわけです。



正解かまちがいか、どっちでもいいが、私の理解の問題なんです。どんな理屈よりも、人は体験で深く理解できる場合がある。体験とは、あれもした、こんなこともやった、というような特異経験ではなくて、内面的・精神の体験であることは言うまでもない。このような私でありますので、他人様の又聞きは簡単に信じません。蕎麦打ちは街の巨匠たちの技を見て盗んだり、耳学問によるところが多いのだが、それでも自分が納得できないことは真似ない。




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[ 2011/11/27 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

金曜の夜と土曜の朝

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アラン・シリトー「土曜の夜と日曜の朝」という小説がありました。同名の映画もありました。私は遠い昔のことであるので、その内容については良く覚えていません。ま、学生時代でしたので、毎日が日曜日のように楽しく過ごしていて、実感が湧かなかったのかもしれません。社会人になったら、タイトルにある夜と朝の幸福感がよくわかりました。

週休二日制がほぼ定着し、今は金曜の夜と土・日曜の朝ということになったのではないでしょうか。



「花金」(花の金曜日)あるいは「花木」という言葉が一時流行した。夜の盛り場は人であふれていた。これも今となっては懐かしい。まさか閑古鳥は鳴いてはいないが、昔の賑わいはない。やはり不景気なんでしょう。それと、他に面白いことがあるのでしょうか。

私自身のことを言えば、接待、必要経費という感覚が全くなくなりました。経費も売り上げや利益があってこそのものですから、この10年の売上不足からすれば、とても夜の盛り場まで手が回らない。手が回る、とはまた何か悪いことしてお縄を頂戴するみたいですね。足が向かない、と言うべきでした。



それで、私は↓こういう綺麗な曲を聴きながら、懐古の時を過ごすことにします。では、皆の衆、よい週末をお過ごしください。








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[ 2011/11/26 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

いきものがかり(2)

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鹿児島市の中心部を流れる甲突川、その河畔の市民広場では、毎年春と秋に木市が開催される。明治時代から続いているらしいが、この市民広場で開かれるようになって半世紀になるという。約1か月間行われる。私は会期中に必ず一度は足を運んでいる。秋の木市は11月15日に終了したのであるが、最終日曜日に行ってきた。その日は昼食を外で食べよう、ということであったので、我が妻娘は当然のような顔をして付いてきた。鹿児島中央駅ビルで食事、そして久しぶりに紀伊国屋書店に立ち寄った。私は学生時代からこの書店が一番肌に合っているような気がする。書籍の陳列の仕方、店内の雰囲気が好きだ。ゆっくりしたいが、連れから携帯に電話があり、あわて一冊だけ手に取って外へ出た。やっぱり、こういう場合には単独行動に限るようだ。



木市でもそう思った。植木を見ていても、金魚や鳥を見ていても、はい、次行くよ、と女どもに急かされた。そして何を買おうとしても、頭から拒否反応を示される。ちっとも落ち着かない。

私は子供のころはウサギや鳥類を飼育していた。それに、TV映画で「名犬ラッシー」をやっているころにはコリー犬も飼っていた。戦後15年くらいで、国民にもゆとりができたのでしょう、当時はスピッツ犬も流行していた。白い毛の長い小さな、しかもよく吠える愛玩犬である。私はスピッツを抱いたご婦人を見ると、上品なお金持ちのイメージを子供心にも抱いた。

それで、実は私は今度はチャボを数羽飼おうかと考えている。

「いやだ~、やめて、やめて」と妻娘は大合唱である。

「あのな、お前たちはいきものがかりって知ってるか。」

「歌を歌ってる人たちでしょ。」と妻が言えば、娘は笑っている。

「俺はな、動物は好きだけど、小学校の時の動物の世話当番、あれ大嫌いだった。みんなで一緒にやるというのが苦手だった。結局俺は自己中心的で協調性というものが全くなかった。その反動だろうね、今、その係をやりたいのよ。」

あの時代に同級生は何かを学んだのであろうが、私には長い間、この何かが欠落していたのかもしれない。そのような大袈裟なものでもないが、チャボを飼う一つの意味にはなるでしょう。私が良く行くペットショップの店員さんが、嬉しそうな顔をして「お取り寄せができますよ」と言うから、私はパンフレットでも見て購入しようと思う。




その夜は娘を連れて、いつもの「太陽ヘルスセンター」へ行った。この娘も考えようによっては、我が家のペットみたいなものかもしれない。

飲み物でも買おうとして、コンビニの駐車場に車を入れようとしたとき、目の前を大きな犬を連れた老人に危うくぶつかりそうになった。犬の散歩でしょうが、人が犬を引くというよりも、犬が人を引っぱっているかのように見えた。ブラックレトリバーと白い大型犬であった。レトリバーといえば、喫茶店で隣の席にいた人たちが犬の話題で盛り上がっていたが、「レッドリバー」なんて言っていた。お店を出るなり、私の友人は「赤い川、血の川、という名前の犬がいたっけ」と言った。私たちは顔を見合わせて笑ったのだった。そして、白い犬は名前は知らないが、確か「名犬ジョリー」であった。

娘が昼の話を思い出したのであろうか「あのおじさんも、いきものがかりやってんの」と言う。

(いや、犬たちがおじさんのいきものがかりをやってるんじゃない?)と私は咄嗟に言おうとしたが、声には出さなかった。




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[ 2011/11/25 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

いきものがかり(1)

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金魚の餌です。左のものは金魚屋さんに勧められて買った。これを食べさすと、金魚の色が赤くなると言っていたが、私は無理して金魚を赤くしようという気はないが、ポリフェノール配合というのが目について、金魚の健康のためにいいものだろう、と想像したのでした。臭いからして、魚粉を使っているのではないでしょうか。共食いはさせたくない。それに、友人が言うには、金魚は腸が短いから、お腹を壊しやすいそうですね。それで、植物性の小粒タイプを買ってみた。どちらも水面に浮くので、給餌のときには、12匹の金魚たちは一斉に水面を飛び跳ねるくらい集まってくる。私が水槽に近づいただけでも金魚たちは大騒ぎである。水槽のガラスがなければ、みな私の方へ寄ってくることでしょう。



右は天然の赤虫を冷凍したもの。糸ミミズの小さいものを一回分ずつブロックにしてあります。私はこれを最後まで使い切ったことがない。冷凍庫に仕舞い忘れていたこともあった。そういう苦い経験をしたので、使用後は必ず冷凍庫へ入れるようにしていた。ある日、冷凍庫にこれが見当たらない。なんと、うちの愚妻が生ごみに出してしまってたんですね。写真の赤虫は2回分は使用しましたが、今回こそは最後まで金魚のお口に入れたいものです。



実は金魚はこの自然食品が一番好きなようです。食べている様子を見れば分かります。赤虫は解凍して水槽に入れれば下の方へ落ちてゆく。これを与えた時は金魚たちは下の方で待っている。給餌の時も金魚が下の方に群れていることがあるが、やはり赤虫をおねだりしているんですね。私も毎日金魚と付き合っていればこれも私にはよくわかります。

金魚のお食事も、最初は人間並みに日に三食であったが、健康を考えて、朝夕の二食制にした。赤虫は多少高価であるので、毎日は与えない。金魚に御馳走した時には、不思議なもので、私にとっていいことが起きる。仕事がうまくいったり、思わぬ集金があったり、偶然に友達と遭ったり・・・。鶴ならぬ「金魚の恩返し」でしょうね。

どこの国の人でしたかね、囚人が自分の独居房の窓辺に毎日やってくる小鳥を観察して、それを論文に書き、博士になった人がいました。以心伝心というのは人間同士のことだけではなくて、人間と動物との関係にも同じことが言えるのかもしれません。




ここでおススメです。ニャン子のお好きな方はクリックしてみてください。

ねこどっさり。ママさん



「いきものがかり」というグループが大晦日の紅白に出場した時に、私はこの名前が何のことだか分からなかった。「芝居がかった」とか「神がかり」という場合の「がかり」とばっかり思い込んでいた。「いきもの」とは人間のことに他ならない。人間がかりとは一体どういうことだ?と真剣に悩みましたよ。ところが、芸能情報に詳しい私の友人が教えてくれた。しかも単純・明快であった。小学校でうさぎやアヒルなんかの当番を「生き物係」というのだそうだ。つづく



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[ 2011/11/24 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

日本の農業

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マスメディアによれば、猫も杓子もTPPを叫んでいるような印象を受ける。地方紙にも、地元選出国会議員の主張が載っていた。自民党議員はTPP参加絶対反対で、一部にはもっと早く取り組むべきであった、という意見もあるのかもしれない。民主党議員は農業が壊滅する、また、日本が長年作り上げてきた良き制度が崩壊するので慎重に、と、あくまでもこれらは地元選出議員の主張であるが。

賛成・反対、あるいは毒だ薬だという西洋風二元論的思考を排し、私の場合には両義的でもなければ、どちらでもない、前にも書いたようにオリジナリティで勝負ですね。TPPは一旦脇に置いておいて、農業壊滅ということと制度の崩壊ということについて。




農業という産業は不滅であろうが、凋落は今に始まったことではない。かつて我が国の農業政策が上手くいった、ということがあっただろうか。戦後、広大な領土を有した大日本帝国も国土が狭くなり、外地から数百万人の日本人が内地に還ってくる。さあ大変だ、国民は食べて行けるだろうか、ということで、日本政府は外国への移民を進めた。動機は穀潰しを減らそうとしたとしか思えないが、食糧問題、広義の農業政策とは言えまいか。これが移民した人たちはご苦労をされた。特にドミニカに行った方々はこれを日本政府の棄民政策だった、と怒ってらっしゃる。

八郎潟等の大型干拓事業もやりました。耕作地をセッセと広げたのでしょうが、行きついた先は減反政策。三ちゃん農業と呼ばれた時期もあったくらいで、農業の後継者不足。そして、最近の農家個別補償制度。農業改革といえば必ずでてくるのが大規模農業という言葉であるが、北海道みたいな広大な平坦地ならいいが、日本という国は70%が山で、棚田のようなトラックターも入れないような地域もある。大規模、効率的、収益が上がる、それでもいいが、最終的にはコストダウン、低賃金労働者ということに落ち着くことでしょう。日本列島は南北に長いのだから、その地域の地形・気候・風土に応じたことをやるべきでしょう。




昭和21年、我が国は占領下にあったが、「自作農創設特別措置法」というのが制定された。これは読んだ文字の通りであって、地主層の一定の面積を超える農地を政府が買い上げて、小作人と呼ばれた土地を持たない人々に分けたんですね。勿論、有料であるが、耕作者自らが農地を所有するようになった。明治になって四民平等で士族が没落していったのと同様に、平民でも地主層は没落したことは言うまでもない。この時でも、北海道の地主は別枠であり、所有面積が他県より広く許されていたと思う。これが所謂「農地解放」と言われるものですよね。

この法律は目的を達し、昭和27年、農地法制定と同時に廃止された。

農地法には農地は国土の資源などと謳ってあるが、田・畑の他への転用や、譲渡についての農業委員会の許認可を定めてあるんですね。相続は別としても、一定規模の農地を所有している人以外が農地を取得することは難しい。この法律も最初の10年くらいは意義のあるものだったと思う。安く取得した土地を高値で転売されたら、旧地主にしてみれば面白くないでしょうからね。その後、国土の均衡ある発展のために、土地の利用の制限をする行政法規はいくつもできたのだから、農地法は要らないでしょう。農業従事者の純血主義とでも言おうか、この産業には耕作者以外の国民は参加できなかった。農協という巨大組織があるが、選挙の集票マシーンではあっても、上手く政治に活かせたのだろうか。あれほどの組織には研究機関もあり、叡智はあるとは思いますが。この法律すら廃止できずに、なんで同じ頃に制定された憲法がいじれましょうか。




またローカルな話題ですが、コーヒーの木の栽培の北限が、徳之島のある町だということで、そこで今、ビニールハウスで苗木を育てているという。我ら日本人のやることですので、きっと世界一美味しいコーヒーができることでしょう。国産バナナも県南部や奄美大島群島や沖縄で栽培されている。国産バナナは多少小ぶりだけど、水分が多く、身が締まって食感もあり、甘くて風味もすばらしい。私は世界一美味しいバナナだと思う。勿論、お米もイチゴも、みかんもリンゴも・・・。オレンジ自由化で愛媛ミカンは壊滅と言われたが、日本のみかんほど美味しいものはない。付加価値の高いものは値がしても買う人は買う。10年前から言われているように、何と言っても景気対策でしょうけどね、国内に需要がなければ日本産を世界に供給すればいい。若者がいくら農業に情熱を燃やしても、新規参入できにくい産業になってしまっている、これも一種の悪しき戦後レジュームではないのだろうか。



私の空耳かもしれないが、確かに「TPP,TPPろくなもんじゃねぇ」と聞こえる。







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[ 2011/11/21 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

我が家に咲いた花

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ハイビスカス。夏の花であるが、我が家の庭は余程暖かいのでしょう、まだ咲いています。南国・鹿児島といってもこの季節、他所ではまず見かけない。鉢植えにして、そのまんま10年ほど放置状態である。猛暑の時期、水遣りを怠ったせいで、葉がすべて枯れてしまった。一見、枯死してしまったかのようであった。枝を切り詰めて、その後私も忘れていたら、彼女は芽を吹き、そして花を咲かせた。そちも健気な奴よのお。そして、儚い。朝咲いて夕方には萎れてしまう。







ツワなんだけど、これも少々季節を外しているような気がする。ツワは海岸線より10km内に生息する、と聞いたことがあるが、本当かもしれない。海から大分離れたところで見た覚えはない。我が家の猫の額ほどの庭であるが、毎年一度は庭のツワを採って食べる。筍、厚揚げ、こんにゃく、豚肉なんかと炒めれば美味しいですね。







これは松葉ボタンかと思ったが、違うみたい。聞けば、我が家の奥方様がどこぞの雑草を引っこ抜いてきて鉢に植えたのだそうだ。秘密のケンミンショーで「山形県民は雑草を食べるみたい??」というのをやってました。新潟だったかもしれません。いずれにせよ東北の県だった。軽く塩ゆでしたのをおひたしかなんかにして、県民の皆さんは美味しそうな顔して食べてました。あ、あき竹城さんが出演してたからやっぱ山形だんべ。その雑草に似ている。

私もいろんな雑草を食べたことあります。ワラビ、ぜんまい、つくしなんかも、見る人によっては雑草に見えるでしょうね。オオバコ、タンポポ、ドクダミ、スギナ、・・・まあ、全体的な印象は”苦い”ですね。トマト、イチゴ、葡萄なども元々は野山に自生していたものでしょうから、これらも昔は雑草扱いだったんでしょうね。この写真の雑草は水分が多くて、しかも歯ごたえがよさそうである。であるんですけどね、私は食べるの遠慮しときます。え、健康にいい?元気が出る?精がつく?ならば、いずれ食してみやしょう。




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[ 2011/11/19 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

ノーベル文学賞作家のことば

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インドの詩人ラビンドラナート・タゴールは、1913年、アジア人としてはじめてノーベル文学賞を受賞した。そして彼は大正5年(1916年)に来日し、「日本の精神」という演説をした。



日本は一つの完全な形式を持った文化を生んできたのであり、その美の中に真理を、真理の中に美を見抜く視覚を発展させてきました。・・・日本は正しく明確で、完全な何物かを樹立してきたのであります。それが何であるかは、あなたがたご自身よりも外国人にとって、もっと容易に知ることが出来るのであります。それは紛れもなく、全人類にとって貴重なものなのです。それは多くの民族の中で日本だけが単なる適応性の力からではなく、その内面の魂の底から生み出してきたものなのです。

・・・自然はその力を、美の形の中に保持することをあなたがたは発見されました。・・・愛と喜びの中で、自然と結合するというそのことこそ、真の天才の成す業であります。日本民族はその天才を示したのであります。




我が国二人目のノーベル文学賞作家(大江健三郎)とはエライちがいますね。

タゴールは岡倉天心と親交があったというから、天心の影響も受けたでしょう。

新渡戸の「武士道」に遅れること七・八年でしょうか、天心が日本の美や文化を紹介するのに、英文で書き米国で出版されたいくつかの著作がある。タゴールの文章はあたかもその本の読書感想文のように私には思えるから不思議である。日本をよく理解していた人だったのでしょう。東京オリンピックの頃までは、日本はまだフジヤマ・ゲイシャのイメージしか外国人にはなかったのではなかったか。しかも百年前のこと、我らは”天才”と驚嘆されたわけですからねえ。



今はどうかと言えば、「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人」、いえ、決してそんなことはない。その諺は私個人にはピッタシ当て嵌りますが・・・。かわいい、旨い、無我、ジュードー、オタク、そしてごく最近では豆腐といった日本語がそのまんま外国で使われている。これらは単なるエキゾチシズムや物珍しさからでもないようだ。しかしながらタゴールが言った「真の天才のなせる業」にはまだほど遠いような気がする。何か物足りない。

さしたる根拠もないが、歴史的に見れば、戦後66年間に問題あり、ではないのかな。




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[ 2011/11/17 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

うさぎ屋という料理屋

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<うさぎ屋という小造りな料理屋だった。惣六はその門の内にひそんでいた。

麦屋町は、むかしさかえた遊所だが、近年は新しく出来た染川町の方に客を奪われ、町は夜になってもひっそりしている。それでも五ツ(午後八時)ごろまでは、駕籠で乗りつける客もちらほらあり、うさぎ屋の前の道にも、いくらか人通りがあったが、五ツを過ぎると、あたりには門前の道のむこうを流れる川音がひびくだけだった。

━━━もうそろそろ出てくるだろう。>




これは藤沢周平「女難剣雷切り」という短編小説の一節。惣六は剣の腕はたつが、背の低い醜男で、それでいて女性が大好きな侍である。最初の妻とは死別し、二度目も三度目の妻にも逃げられた。ここの女中もすぐに辞めてしまう。四度目の妻はある男の紹介であるが、実は女性はこの男の妾であって、結婚後もその仲は続いていた。そこでうさぎ屋から出てくる二人を待っていたんですね。料理屋といっても、次の間にはお布団が一枚敷いてあるお店に違いありません。二人が店を出た後どうなるかと言えば、惣六は雷切りという秘剣で男を斬ってしまう。



この文章をやっと見つけた。私はハンドルネームを変える時に、藤沢周平さんの小説の中から拝借したつもりでいた。私の記憶では、うさぎ屋とは、若い貧乏侍たちが誘い合って飲みにゆく小料理屋であった。私が思い続けていたお店と違うようだ。私の記憶ちがいか、それとも他の作家の作品にあった「ひさご屋」と混同したのだろうか。何かの勘違いであっただろうか。



ところが、私にとってはどうでもいい。そんなものだ、つまり、もの事はあいまいで混沌としたものなのだ、と理解するようにしている。たとえば、川の起源は何であるか、といった場合に、川を上流へ遡ってひとつの湧き水を見つけたとして、川の起源は湧き水である、と一言で言われても、私には果たしてそうだろうか?という疑問しか残らない。そんな簡単に言い切れるものではないでしょう。所詮、起源的(オリジナル)なものはあいまいなものなのでしょう。

ネット上の侃々諤々を見ていると、正しいものが存在すべきという論法よりも、存在するものが正しいといった、存在をありのままに表現する表現者の立場の方が、意外と真実に迫っているのではないかと私は思う。




色ふかき涙の川の水上は人を忘れぬ心なりけり(山家集)

(涙の源流は目ではなくて心である。)

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[ 2011/11/15 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

大本営発表の何が悪い!

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臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部午前六時発表。帝国陸海軍部隊は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。

ハワイ方面の米国艦隊並びに航空兵力に対し、決死的大空襲を敢行せり。




以下、華々しい戦果を報じた。昭和16年12月8日のことである。

ミッドウェー海戦以降、戦果を誇大に報じて、隠蔽や嘘が多くなったとされる。戦後このかた、大本営発表は虚偽の発表、信用ならない発表という評価が定着してしまったようだ。保守と言われる人たちでも悪しざまに言う人もいるようだ。良かったのか悪かったのかと問われれば、私は良かったとは言えないが、しかし、悪いとも言い切れない。



私は戦時情報戦はどこの国でもやることだと思う。戦時情報統制、或いは戦時報道規制でしたか、山崎行太郎先生はこれもどこの国でもやることだ、とどこかに書いておられた。どこの国でもやることだからいい、というわけでは決してないが、山崎先生は指導者は国家の生存を第一義に考えるのだとおっしゃる。大本営発表の何が悪い!とまでおっしゃっていたように私は記憶している。私の曖昧な記憶ではあるが、確かそのような主旨であったと思う。

人間には生存権があるように、当然、国家にも自然権ともいえる権利があるのでしょう。「小異を捨てて大同に就く」という俚諺があるが、国家存亡の折、何が大同であるかは誰でもわかることではありませんか。




玉砕を報じるときには↓↓この曲がラヂオから流された。当時の日本国民はどのような気持ちでこれを聴いたことでありましょう。あゝ、私はただ黙して瞑すのみ。







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[ 2011/11/13 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

領土を守れ!!

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私はこの一週間、何かと多忙で、新聞も読んではいなかった。新聞を読まない人間は社会人としていかがなものだろうか?とも考えるのであるが、読まなかった本人としては、別に、特段困ることもなかった。たまに読めば、こんな記事がすぐ気になってしまいます。

尖閣諸島を中国に渡してもいい」発言 週刊誌報道、玄葉外相「事実無根」と否定

2011.11.10 11:49

玄葉光一郎外相は10日の衆院予算委員会で、同日発売の週刊新潮が沖縄県・尖閣諸島を中国に渡してもいいなどと玄葉氏が語ったと報じていることについて「事実無根だ」と否定した。発行元の新潮社に対しては「強く抗議する。場合によっては法的措置も考えたい」と述べた。自民党の高市早苗氏への答弁。



 週刊新潮は、玄葉氏が10月下旬に都内で行った記者との懇談で「中国が尖閣を欲しいと押し出してくれば差し上げればいい」と語ったと報じた。(産経新聞)





週刊新潮は他のメディアが報じないことを良く記事にしてくれる。話の流れの中で、たとえ話として持ち出すこともあるかもしれないし、あるいは心ここにあらずで咄嗟に口に出てしまう言葉があるのかもしれない。しかし、日本の外務大臣として、絶対に言ってはならない。この私だって、隣近所から苦情がくるほど家では深夜であろうとも大声で怒鳴る。それでも、相手がいくら同じ屋根の下で暮らす家族であっても、決して言ってはいけない言葉がある。それから、自慢することでもないが、私は家族の机の引き出しやバッグ、財布などを未だかって開けたこともない。人間には超えたらいけない一線、つまり高いハードルがあるのではないか。



時たま何を勘違いしたか、まじめな顔で尖閣はいらないとか、竹島、あんな岩礁は韓国にくれてやっていい、などという人がいる。そういう人は日中友好、日韓友好が大切だ、と言いたいのでしょうが、私はご免被りたい。

私人同士の境界を考えてみればいい。自分の所有している土地に隣接地の所有者が越境して建物を建築したとしたら、どのような気持ちで日々暮らしていくだろうか。こちらが勝手に建物を壊すこともできないし、憎たらしい隣人に腹が立ってしかたがない。個人としては法に訴えるしか手がない。すると、私人間の争いと国家間の争いは違うでしょう、と仰るかもしれません。確かに違います。個人で軍艦や戦車を持っている人はまずいないが、国家には軍事力があります。その「はず」です。



世の中には「上には上がある」と言われるが、下にもまた下がいるものなんですね。竹島を不法占拠という大それたことをしている韓国人がこんなこと言ってます。


違法操業:韓国の取り締まり非難した中国、日本には慎重姿勢

中国外務省が、同様の事件に対し相反する反応を見せているのは、日本が昨年、尖閣諸島(中国名:釣魚島)の領土紛争などで中国に強硬的に対応したのに対し、韓国政府は違法操業した船員らをそのまま帰国させるなど、低姿勢の外交で海上紛争を処理してきたためとも指摘されている。(朝鮮日報社説)



まあ、韓国が中国に対して千年の「低姿勢」というのは分かるが、日本が「領土紛争などで中国に強硬的に対応した」とありますが、これホントですかねえ。



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[ 2011/11/11 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

歴史のおさらい

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日心Oを糺す会

クリックのお願いばかりで申し訳ありませんが、こちらもクリックしてみてください。私は今、これが面白くて、三度の飯より好きなブログ更新をつい忘れてしまいそうです。





さて、ここいらで「歴史」のおさらいをしておきましょう。

生命は40億年ほど前、地球が誕生してから数億年後に突然生じたとされる。その間、地球は気が遠くなるほど孤独であったわけです。生じた単細胞生物たちが延々と分裂を繰り返し増えていった。そして、わずか6億年前に氷の海の下に多くの多細胞生物が、これも突如として出現した。

植物は陸に上がって地上を緑で覆いつくし、動物が上陸。2億年前には恐竜が出現し、6500万年前には絶滅、あるいは鳥類に進化したとされる。生き延びた哺乳類が繁殖して、数百万年前に類人へと進化し、十数万年前から数万年前に人類が出現した。我らも含めてこれらはすべて最初の生物の子孫である。



最初の生物たちはただ分裂するだけで、不老不死のような生活を営んでいたが、多細胞生物となった後は、生物は「死すべき存在」となってしまった。生命という意味は、保険会社の社名ではなくて、分裂して増えるということから、子孫を作っては死ぬ、ということになった。

このような生物の進化は自然科学というよりも、生物史つまり「歴史」だというんですね。つい最近、19世紀から20世紀にかけて、学問領域として、生物史のほか宇宙史(天文学)、地球史(地学)、人間史(歴史・世界史)、地域史(各国史)の五大史へと整備拡張されてきた。勿論、歴史自体は古代より存在したが。



では歴史とは何かと言えば、ヒストリー、物語なんですね。物語の「もの」は元々は魂のことであり、「ものごころ」とか「もののけ」という言葉もあるように、出来事を起こす核心的なもののことを指すそうだ。決してロマンではない。私はこのようなことをお書物で学びました。



恐竜を実際に見た人はいない。侍同士の斬り合いを見た人もいない。今語られている歴史は、状況証拠を使って作り上げた仮説にすぎない。人間史であるからして、我らは内面のこととしてその時代の人間と対峙しなければならない。そこには素晴らしいお話だけではなくて、理不尽で非情、残酷な場面もあったことでしょう。たとえば、貧困、飢餓、エゴ、暴力、殺戮・・・。




画像提供:山梨県 ブラッキー氏

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[ 2011/11/06 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)