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十年ひと昔

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友人の事務所に立ち寄ったら、NHKFMの「歌謡スクランブル」石川さゆりの演歌が流れていた。事務所はビルの6階にあるが、周囲に高いビルがあって、ラジオの電波状況が悪いのだそうだ。それで、NHKネットラジオ「らじる★らじる」を聴いているのだそうだ。

私はこんなのがあるなんてちっとも知らなかった。十年前までは自室ではラジオを終日点けていた。引っ越した今のマンションでもそうしたかったが、ノイズがひどくて、ラジオは諦めたのだった。もっと早く教えてくれたらよかったのに。昔は昼食後にソファーに寝転んで、「昼のいこい」や「歌謡スクランブル」を聴いた。するとそのまま15分ほど昼寝をしてしまうこともあった。だから、当時は体調はよかったように思う。



十年一昔と言うけれど、私は昨日のことのように良く覚えている。そのかわりに、昨日のことを忘れてしまっている。母が癌で入院していた。丁度今頃は、姉弟と交代で病院に泊まり込んでいた。私は母が寝入ったら本を読んだ。なぜか、一晩に一冊読了しようと決めていたようで、手ごろな量の本を持って病院へ行った。その時の一冊が、下の「狂牛病」であった。そのころは明けても暮れても話題は狂牛病で、日本中、いや、世界中が大騒ぎであった。

12月22日、三連休の初日であったが、子や孫、親戚一同が揃ったのを見届けたかのようにして母は逝った。私は母の顔に頬を付け、耳元で母の名を呼んだ。そして、病院の屋上へ駆け上がり、唇を噛みしめて空を仰いだ。冬の乾いた、しかも澄み切った空であった。今でも、その日の空の色をはっきりと覚えている。

私は葬儀の時も泣いてばかりであったようで、隣の席の弟から何度も足を突つかれた。会葬お礼のあいさつは私がしたが、これも途中から泣いてしまった。

引っ越しは12月26日になってしまった。



母の迫りくる死の傍らで、私は読書に没頭する以外に術はなかったように思う。本の中の、変異性クロイツフェルト・ヤコブ病を発症した、イギリスの少女の悲惨な闘病生活と死は、私にはとても他人事とは思えなかった。改めてこの本のページをパラパラとめくってみれば、このようなことが書かれている。




人類への警鐘」というサブタイトルにあるように、様々な警鐘を鳴らしている。パプアニューギニアのフォア族の食人習慣。牛や豚の屠殺も、味が落ちないように水洗いはしない、といったグルメ文化や輸入による産地不明の格安食料品。

牛肉生産国であるオーストラリアでは牛の脳は食べないので、ほとんどフランスへ輸出される。いわゆる危険部位というものが、フランスのグルメ料理の中心になっている。十年経っても相変わらずフランスでは脳味噌のスライスを食べているのでしょうか。



デフレが続いている限り、外食産業は人件費の安い国からの輸入により、価格競争をしている。コメも関税は高いが弁当などの調整品としてなら、関税も安いのだという。そういえば、信じられないくらい安い弁当が出回っている。肉も野菜も魚も現地で日本企業が指導して生産しているので、中国製はけしからん、と言いたいが誰に向かって言ってるのかわからなくなる。

TPPで農業は壊滅とか日本の良き制度が壊されると言われるが、私は、日本の農業はそれほど弱くはないとか、制度が壊されるくらい日本国や国民も弱くはない、と反発したくなるのだが、実はすでに農産物は格安外国産に席捲されているのかもしれない。10年前我が国の農産物市場は80兆円なのだそうだが、そのうち国産品は10兆円なのだそうだ。金額からすれば、わずか12.5%である。デフレが進んでいるのだから、この10年間で輸入品は増えたはずである。日本人の生命、生存ということを考えたら、これでいいはずはない。








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[ 2011/11/30 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

私の麺切り包丁

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説明するまでもなく、私の蕎麦打ちの道具です。この外に必要なものは、大きなステンレス製のボウルとザルです。今日のお昼は蕎麦。我ながら大分上達したと思う。そば粉を団子状にくくるまでが難しいですね。あとは誰でも打てるのではないでしょうか。ただ、つなぎを一切使わない、そば粉十割は少々手こずるかもしれません。汁はポン酢、薬味はゆずとネギを使用したが、これもできるだけシンプルな方がいいですね。温蕎麦は家内が出汁を何でとったか知らないが、あっさり系で美味しかった。



最初、思い立って蕎麦を打ったときは、道具は何もなくて、菜切り包丁を使った。麺棒もなかったので、代用として、ラップの芯を使った。ある日、蕎麦打ちの途中で、娘に麺棒を買ってきてくれ、と頼んだ。近くのダイエーで買ってきてくれたのであるが、モノは根本の方より先の方が太い。そして、先端は丸みを帯びていた。

「俺は麺棒を買ってこいて言っただろうが、これはすりすりこぎじゃないか。」

「だって、麺棒くださいと言ったら、ハイてこれを持ってきたんだもの~」

買う方も売る方もよくわからなかったんでしょう。私は泣きたいやら、可笑しいやら、腹が立つやら、とにかく複雑な心境であった。綿棒でなくて、まだよかったかな。




この緬切り包丁も錆が浮いているので研がなければならない。この包丁は鋭利な刃をしている。そして、柔らかいものを切るのだから当然でしょうが、何年使っても切れ味は全く落ちない。私は昔、これで手をかなり深く切ってしまった。以来、私が包丁を手にしているときには、誰も話しかけないようにしている。仕事中おしゃべりな料理人は嫌ですね。ファミレスなんかのウエイトレスも、マニュアル通りに「お待たせいたしました、○○でございます、以上でご注文の品お揃いですか」なんて言うが、料理の上に唾を飛ばしているに違いない。



刃物といえば、頴娃町(えいちょう)の田園地帯を抜ける街道沿いに、こんな看板があった。

刃物は切れてもわが身を切るな

何かの標語みたいですね。私はそこを通るたびに、何年もの間、考え込んだのだった。刃物が切れる、ということは読んで字の通りでしょう。しかし、「わが身」といえば、日本語の意味としては、自分の身体、手足のような体の一部分、自身の置かれた状況、境遇、そして精神状態までも表す。「身銭を切る」という言い方もある。どうも、よくわからなかったが、私が包丁で手を切った時に、まず、この標語を思い出した。

良く切れる刃物も、使う人が一瞬でも気が緩めば自身を傷つけることになる。自傷してはならない。そのようなことなんでしょうね。それが街道沿いにあることから、自動車の運転も自傷することになってはいけない、と戒めているのではなかろうか。極めて単純なことを言ってるわけです。



正解かまちがいか、どっちでもいいが、私の理解の問題なんです。どんな理屈よりも、人は体験で深く理解できる場合がある。体験とは、あれもした、こんなこともやった、というような特異経験ではなくて、内面的・精神の体験であることは言うまでもない。このような私でありますので、他人様の又聞きは簡単に信じません。蕎麦打ちは街の巨匠たちの技を見て盗んだり、耳学問によるところが多いのだが、それでも自分が納得できないことは真似ない。




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[ 2011/11/27 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

金曜の夜と土曜の朝

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アラン・シリトー「土曜の夜と日曜の朝」という小説がありました。同名の映画もありました。私は遠い昔のことであるので、その内容については良く覚えていません。ま、学生時代でしたので、毎日が日曜日のように楽しく過ごしていて、実感が湧かなかったのかもしれません。社会人になったら、タイトルにある夜と朝の幸福感がよくわかりました。

週休二日制がほぼ定着し、今は金曜の夜と土・日曜の朝ということになったのではないでしょうか。



「花金」(花の金曜日)あるいは「花木」という言葉が一時流行した。夜の盛り場は人であふれていた。これも今となっては懐かしい。まさか閑古鳥は鳴いてはいないが、昔の賑わいはない。やはり不景気なんでしょう。それと、他に面白いことがあるのでしょうか。

私自身のことを言えば、接待、必要経費という感覚が全くなくなりました。経費も売り上げや利益があってこそのものですから、この10年の売上不足からすれば、とても夜の盛り場まで手が回らない。手が回る、とはまた何か悪いことしてお縄を頂戴するみたいですね。足が向かない、と言うべきでした。



それで、私は↓こういう綺麗な曲を聴きながら、懐古の時を過ごすことにします。では、皆の衆、よい週末をお過ごしください。








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[ 2011/11/26 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

いきものがかり(2)

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鹿児島市の中心部を流れる甲突川、その河畔の市民広場では、毎年春と秋に木市が開催される。明治時代から続いているらしいが、この市民広場で開かれるようになって半世紀になるという。約1か月間行われる。私は会期中に必ず一度は足を運んでいる。秋の木市は11月15日に終了したのであるが、最終日曜日に行ってきた。その日は昼食を外で食べよう、ということであったので、我が妻娘は当然のような顔をして付いてきた。鹿児島中央駅ビルで食事、そして久しぶりに紀伊国屋書店に立ち寄った。私は学生時代からこの書店が一番肌に合っているような気がする。書籍の陳列の仕方、店内の雰囲気が好きだ。ゆっくりしたいが、連れから携帯に電話があり、あわて一冊だけ手に取って外へ出た。やっぱり、こういう場合には単独行動に限るようだ。



木市でもそう思った。植木を見ていても、金魚や鳥を見ていても、はい、次行くよ、と女どもに急かされた。そして何を買おうとしても、頭から拒否反応を示される。ちっとも落ち着かない。

私は子供のころはウサギや鳥類を飼育していた。それに、TV映画で「名犬ラッシー」をやっているころにはコリー犬も飼っていた。戦後15年くらいで、国民にもゆとりができたのでしょう、当時はスピッツ犬も流行していた。白い毛の長い小さな、しかもよく吠える愛玩犬である。私はスピッツを抱いたご婦人を見ると、上品なお金持ちのイメージを子供心にも抱いた。

それで、実は私は今度はチャボを数羽飼おうかと考えている。

「いやだ~、やめて、やめて」と妻娘は大合唱である。

「あのな、お前たちはいきものがかりって知ってるか。」

「歌を歌ってる人たちでしょ。」と妻が言えば、娘は笑っている。

「俺はな、動物は好きだけど、小学校の時の動物の世話当番、あれ大嫌いだった。みんなで一緒にやるというのが苦手だった。結局俺は自己中心的で協調性というものが全くなかった。その反動だろうね、今、その係をやりたいのよ。」

あの時代に同級生は何かを学んだのであろうが、私には長い間、この何かが欠落していたのかもしれない。そのような大袈裟なものでもないが、チャボを飼う一つの意味にはなるでしょう。私が良く行くペットショップの店員さんが、嬉しそうな顔をして「お取り寄せができますよ」と言うから、私はパンフレットでも見て購入しようと思う。




その夜は娘を連れて、いつもの「太陽ヘルスセンター」へ行った。この娘も考えようによっては、我が家のペットみたいなものかもしれない。

飲み物でも買おうとして、コンビニの駐車場に車を入れようとしたとき、目の前を大きな犬を連れた老人に危うくぶつかりそうになった。犬の散歩でしょうが、人が犬を引くというよりも、犬が人を引っぱっているかのように見えた。ブラックレトリバーと白い大型犬であった。レトリバーといえば、喫茶店で隣の席にいた人たちが犬の話題で盛り上がっていたが、「レッドリバー」なんて言っていた。お店を出るなり、私の友人は「赤い川、血の川、という名前の犬がいたっけ」と言った。私たちは顔を見合わせて笑ったのだった。そして、白い犬は名前は知らないが、確か「名犬ジョリー」であった。

娘が昼の話を思い出したのであろうか「あのおじさんも、いきものがかりやってんの」と言う。

(いや、犬たちがおじさんのいきものがかりをやってるんじゃない?)と私は咄嗟に言おうとしたが、声には出さなかった。




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[ 2011/11/25 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

いきものがかり(1)

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金魚の餌です。左のものは金魚屋さんに勧められて買った。これを食べさすと、金魚の色が赤くなると言っていたが、私は無理して金魚を赤くしようという気はないが、ポリフェノール配合というのが目について、金魚の健康のためにいいものだろう、と想像したのでした。臭いからして、魚粉を使っているのではないでしょうか。共食いはさせたくない。それに、友人が言うには、金魚は腸が短いから、お腹を壊しやすいそうですね。それで、植物性の小粒タイプを買ってみた。どちらも水面に浮くので、給餌のときには、12匹の金魚たちは一斉に水面を飛び跳ねるくらい集まってくる。私が水槽に近づいただけでも金魚たちは大騒ぎである。水槽のガラスがなければ、みな私の方へ寄ってくることでしょう。



右は天然の赤虫を冷凍したもの。糸ミミズの小さいものを一回分ずつブロックにしてあります。私はこれを最後まで使い切ったことがない。冷凍庫に仕舞い忘れていたこともあった。そういう苦い経験をしたので、使用後は必ず冷凍庫へ入れるようにしていた。ある日、冷凍庫にこれが見当たらない。なんと、うちの愚妻が生ごみに出してしまってたんですね。写真の赤虫は2回分は使用しましたが、今回こそは最後まで金魚のお口に入れたいものです。



実は金魚はこの自然食品が一番好きなようです。食べている様子を見れば分かります。赤虫は解凍して水槽に入れれば下の方へ落ちてゆく。これを与えた時は金魚たちは下の方で待っている。給餌の時も金魚が下の方に群れていることがあるが、やはり赤虫をおねだりしているんですね。私も毎日金魚と付き合っていればこれも私にはよくわかります。

金魚のお食事も、最初は人間並みに日に三食であったが、健康を考えて、朝夕の二食制にした。赤虫は多少高価であるので、毎日は与えない。金魚に御馳走した時には、不思議なもので、私にとっていいことが起きる。仕事がうまくいったり、思わぬ集金があったり、偶然に友達と遭ったり・・・。鶴ならぬ「金魚の恩返し」でしょうね。

どこの国の人でしたかね、囚人が自分の独居房の窓辺に毎日やってくる小鳥を観察して、それを論文に書き、博士になった人がいました。以心伝心というのは人間同士のことだけではなくて、人間と動物との関係にも同じことが言えるのかもしれません。




ここでおススメです。ニャン子のお好きな方はクリックしてみてください。

ねこどっさり。ママさん



「いきものがかり」というグループが大晦日の紅白に出場した時に、私はこの名前が何のことだか分からなかった。「芝居がかった」とか「神がかり」という場合の「がかり」とばっかり思い込んでいた。「いきもの」とは人間のことに他ならない。人間がかりとは一体どういうことだ?と真剣に悩みましたよ。ところが、芸能情報に詳しい私の友人が教えてくれた。しかも単純・明快であった。小学校でうさぎやアヒルなんかの当番を「生き物係」というのだそうだ。つづく



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[ 2011/11/24 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)