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鹿児島市、武之橋の「いちにぃさん」。28日の昼食はここで隠れ念仏さん、muybienさんとともに。 そば豚カツセット。更科蕎麦に豚カツ、豚汁、うなぎの蒸しごはん、これで1000円。もう一品は何だったかな?と思い出そうとしたが、どうしても思い出せない。前列真ん中はそばつゆの上に薬味を載せてあったんですね。やっと合点しました。夜は火山蠅さんも合流して忘年会。二次会のからおけが素晴らしかった。広いお店で、ゆったりとくつろげる雰囲気であった。ソファーの座り心地も最高によかった。女性はいません。いや、女子高のソフトボール部OGというおばちゃんが一人いました。話してみると、私と同年でした。てことは私は何なのよ。お・じ・ちやんか?まあ、何よりもここのマイクの品質もよかったようです。それで、来年の5月3日の懇親会の会場として、貸切で予約しました。飲み放題、歌い放題で男性2000円、女性1500円、乞う、ご期待!!
来年のことを言えば鬼が笑う、なんてことを言いますが、もう4ヶ月になってしまいました。祖国の未来を信じて逝った方々を想えば、信じた未来、つまり六十有余年後の今、現状でいいはずはない。我らとしては第三回目となりますが、年が明けたら早速準備にかかろうかと思う。29日は友達にいただいた招待券があったので、「聯合艦隊司令長官・山本五十六」を観にトーホーシネマのレイトショーに行った。
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昨夜、帰ってきました。東京も鹿児島も寒い。
留守中にご訪問いただいた方々、コメントやメッセージを下さった方々、ありがとうございました。東京でお会いした仲間、今後ともよろしくお願いいたします。そして羽田までお出迎え、お見送りくださった方々、本当に感謝です。 12月23日、天長節、皇居一般参賀には2万5千人が訪れた。私もそのひとりでありました。誰からともなく、自然発生的に「天皇陛下万歳!」の奉唱。
靖国神社、昇殿参拝いたしました。
そこの売店で国旗セットを買う人あり。奉賛会員であるので、割引で買えたそうだ。そこで、国旗の旗竿の先についている、金の玉の名称は何であるかが話題となった。ある人は「宝珠」、いや「擬宝珠」だと言う。私は「宝冠」じゃないの?ある人は単に「玉」と呼んでいると言う。あ、そう、金玉ですか。
私、恥ずかしながら、今わかりました。あれは「頂華」(ちょうげ)というものらしいです。神武天皇の持った黒白の弓に八咫烏がとまったというんです。玉にも旗竿の色にも由来があったようです。
祝日に国旗を掲揚しましょう。誠にごもっともですが、その前に由来や名称くらいは知っておきたいもの。今、ふと思い出したが・・・。(戦後の占領改革は)戦前の「天皇陛下万歳」に代わる言葉として「民主主義」「自由」「平等」を日本人の頭に植えつけることに成功したのだった。
かくして「民主主義」は絶対の善玉の神として聖域に安置されることになった。しかし、この「民主主義」には奇妙なことがある。例えば、イデオロギー的に絶対に相容れることのないはずの自民党と共産党とが各々この「民主主義」の守護神を買って出ていることである。本来これはおかしいのであるが、絶対の善玉を自己の看板にしない手はないということか。
ここで考えられることは「民主主義」とは何ら実体を伴わない虚構概念ではなかろうかということである。具体的概念であれば、双方のイデオロギーに奉仕することはありえないのではなかろうか。そのように考えてくると、もう一つ面白い事実を発見する。それは「民主主義」の精神的支柱である「日本国憲法」の中には「民主主義」という語句が全く発見できないということである。この憲法を形容するときは必ず「民主主義」「民主的」といった言葉で飾られているではないか。このように考えてくると、「民主主義」とは何ら実体のない虚構概念かまたは他の虚構論理の目かくし役でも与えられているものなのではなかろうかという疑問が生ずる。いずれにせよ、この奇妙な「民主主義」の本質は是非とも明らかにされなければならないだろう。(モルデカイ・モーゼ著・久保田政男訳「日本人に謝りたい」日新報道)
私は記憶力には自信があったが、最近はどうも覚束ない。「カウンセリング」という言葉が出てこなかったときもあった。また、「昨日食べたアレよ、アレ」と言うだけで、アレの名前を忘れていたこともあった。自力で何とか思い出そうとするが、何日も思い出せないとなると、検索ということになる。ニンニクと唐辛子を炒めた、そう、アレとは「ペペロンチーノ」だったんですね。
友人との会話。「『潮騒』に行ったよ、まあ、まあ美味しかった。」すると友人は「えっ?!『黒潮』だろうが」と言う。「そうそう、『黒潮』よ、客も多かったよ。」今日、私はそのお店の前を通った時、大きな看板をよく見れば「潮風」と書いてある。ちなみに、この友人も私と同級生である。
今日は墓参に行った。高台にある墓地は冷たい風が吹き抜ける。これじゃお袋も寒かろうが。 さらばとて 石に蒲団は 着せられず播磨の瓢水の句が浮かんで、私も苦笑い。瓢水といえばこんな句もあった。 浜までは 海女も蓑着る 時雨かな瓢水に教えを乞うて、とある僧が瓢水を訪ねきた。その時、瓢水は薬を買いに出た、ということで留守であった。僧は「瓢水殿も命が惜しいか」と言って笑ったかどうか、私は良く覚えていないが、とにかくすぐに帰って行った。帰ってきた瓢水は、上の句をしたため、従者に持たせてその僧に届けた。僧は八ッとしたでしょうね。
さらに、こういう句もある。 手にとるな やはり野に置け 蓮華草これは惚れた遊女を身請けしようとした友人を諌めたものだそうだ。どの句も、毎日安穏と生活している人間には、目の覚めるような、しかも哲学的な句である。瓢水は「俳哲」と呼ばれる所以でしょう。このような覚醒のさせ方は理想的です。意図して覚醒させようとしたものや、高見から愚民を覚醒させようとする姿勢のネット保守には、少なくとも私は疑いを持ってしまう。偏向マスコミと大同小異ではないか。
他にもいい句があったけど、何だったかな、えーと、ダメだこりゃ、思い出せない。
そういう訳で、突然ではあるが、忘に備えて、メモしておかなければならない。
中国人はなぜ嘘つきか。・・・中国では相手を告発するさいに、嘘をつくのが常識なのである。清朝時代の裁判制度では、「訟師」とよばれる知識人が訴状の作成を職業(彼らは科挙に失敗した人々である)、事実無根の訴状を作成して被告の悪辣さと原告の悲惨さをアピールすることが求められていた。その結果、訴状作成用の種々の「虎の巻」(訴訟秘本)が存在し、「無謊無効」(ウーホワンウーシャォ、出鱈目を言わないと効果がない)という格言まであった。そして裁判を行う官憲側も、すべてを承知の上で審理をすすめていた。・・・筆者は中国の友人に質問した。すると、「いえ、敵にダメージを与えるためなら、嘘を言っても構わないと思います」と言われ・・・(隔月刊誌「歴史通」1月号、特集「昭和史」を正しく読み直す、北村稔立命館大教授、「捏造(つくら)れた戦争犯罪」ドイツと日本を双子のような戦争犯罪当事国に仕立てたい米主導連合国は、日本軍にナチスなみの蛮行を探し求めた・・・なければ類似のものをデッチあげてでも・・・)北の工作船と銃撃戦ののちこれをわが第十管区海保の巡視船が撃沈せしめてより、丁度10年である。当時の「あまみ」の船長は退職後3年だという。その後、工作船に対応した巡視船が12隻活躍している。工作員10名の遺骨は無縁墓に納骨されているが、北の連中も”英雄”の遺骨くらい母国へ持ち帰る努力をすればいいのに。今日という日は感慨深い1日であった。
さて、私めは明日から3日間東京です。留守の間、ランキングクリックよろしくお願いいたします。
 クリックよろしく!!私が金正日死去を知ったのは、19日の昼食時、食堂のTVであった。TVの中の国営朝鮮中央テレビのニュースであった。あの国の場合には政府報道官が記者会見場で発表、ということにはならない。あくまでも「国内向けプロバガンダ放送」なのでしょうか。女性アナウンサーは震える声で、時には泣きを入れ、しかも荘重、迫真の演技であり、私はしまいには可笑しくなった。
ひと頃、金正日替え玉説というのがあって、そっくりさんが四・五人いると言われた。死んだのが本人ならば、替え玉さんたちは今後、活躍の場はなくなる。今更、そっくり顔で街中は歩けないでしょうに、彼らはどうなるんでしょうか(笑)
小泉首相の訪朝時の場面も日本のTVで何度も観た。これ、今気づいて腹立ちます。小泉さんは「お会いできて光栄です」と言っているのに、正日は「パンガップ」と言ってますね。日本国の首相に対しては、丁寧、尊敬のハムニダ体で「パンガップスムニダ」と言うべきではないのだろうか。それとも、親しい友人に対するように言ったのだろうか。拉致の張本人にそんな言い方されれば、私は日本国民のひとりとして、いい気分はしない。
正日さんもチャウスシェクやカダフィのような死に目に遭うのか、と淡い願望を込めて考えたこともあったが、今回のような病死の場合には「平壌の春」は訪れそうにはない。当面は正恩大将に世襲されることでしょう。
北の多くの人民は飢餓と貧困に苦しんでいる。これから寒くなれば燃料もないが、食べる草もない。牛の糞の中の未消化のトウモロコシの実を拾って食べた、という人もいた。牛以下の生活である。このような人たちの不満は民主化のエネルギーにはならなかった。また、なりそうにもない。党や軍関係の特権階級層の人たちの中にも不満分子は必ずいることでしょう。彼らも同じ人間として、自身の親兄弟や親戚、親しい友達が苦しんでいるのを見れば義憤を感じることでしょう。デノミ失敗で経済政策の責任者は、口に石ころを詰め込まれて銃殺された。このような血の粛清は数限りない。これに恨みを持ち続けている人たちだっていることでしょう。金王朝の愚民化政策、恐怖政治は余程徹底していたものと考えられます。
正日の重石がとれて、人民の不満が若造の正恩に向けられるかもしれない。軍部の主導権争いも起きるかもしれない。正恩体制も決して盤石とは言えない。しかし、この国の政権がどうなろうとも、数年内には中国が間接統治することになるでしょう。そして中国人労働者が流れるようにして北の国に入り込んでくる。朝鮮人女性と結婚して子供をたくさん作る。当然、公用語は中国語になるでしょう。
半世紀、いや四半世紀中に朝鮮半島の地図は赤く塗られ、大韓民国という国名は世界地図から消えてしまうでしょう。東西問題が無くなったと同様に、南北問題もこれで一応の解決ということになる。
私はこのような想像をしてしまう。え、この際ついでに・・・・貧困ゆえに半島から職を求めて日本へ密航する者がいるかもしれないが、その時は国境ですべて射殺すべきです。あとで、強制連行だ、謝罪しろ、賠償するニダ、と言われても、ねえ。ところで、現実世界の政治はどうなっているか。我が国政府は米国、韓国、中国から情報を収集したい、などと言っている。日本も韓国も多くの拉致被害者がいる。18日には日韓首脳会談をしたのであるが、野田さんは北の問題は話さなかったのだろうか。
大阪市の私有地を朝鮮学校に無償で貸していたという。兵庫県では朝鮮学校の敷地を相場の10分の1の超格安で賃貸していたという。これら氷山の一角であろうが、我らは替え玉を笑うけど、実は笑われるようなことをやっていたのも我ら(の一部)であったとは、何とも情けない。
師走とはよく言ったもので、師も士も氏も子も、みんな忙しく走り回るようです。私も特に今年は23日から3日間鹿児島を離れるので、何かと忙しくて、つい育毛剤を塗るのも忘れてしまいました。(笑・笑)
22日はお袋の命日だし、お役所は28日には御用納めをしてしまいます。今年は銀行は30日までですね。借金苦の人は30日の夜を乗り切れば、当面支払いはないから、ホッとひと息つけることでしょう。
今日は日曜日でトラックはあまり見なかったが、上りも下りも車は混んでいた。年の瀬、いよいよ平成23年も残すところあとわずか。
さて、私には前から気になっていることがありました。韓国海洋警察が中国漁船を拿捕したその日、海は荒れていた。高さ2メートルの波が中国漁船の拿捕作戦中、ずっと隊員を苦しめた。閃光弾を使用しても闇は晴れなかった。不利だったが、領海を侵した中国漁船が逃げるのを眺めるわけにはいかなかった。
3005艦検索チームの最年少パク・ソンジュ巡警(30)、カン・ヒス巡警(29)が明らかにしたその日の作戦はいつよりも激しかった。12日午5時40分ごろ、韓国側の排他的経済水域(EEZ)に侵入して操業する中国漁船2隻が発見された。20分後、検索チーム16人が高速短艇2隻に分かれて乗り、漁船に接近した。
お互い離れて操業していた中国漁船は、高速艇が接近すると、2隻が船体をくっつけた。中国漁船が取り締まりに抵抗する時によく使う「連環計」だった。魯文漁15001号(66トン級)の甲板には中国人船員8人が竹槍や手斧、シャベルなどを持って私たちの海洋警察を待っていた。操舵室にいる船長は海洋警察の停船命令を無視したまま全速力で逃走した。
午前6時、拿捕作戦が始まった。船員がガラス瓶を投げ、高速艇の接近を防いだ。高圧放水で援護を受けながら隊員らはスポンジ弾の非殺傷用榴弾発射機を撃ち、閃光弾を放って漁船に乗り込もうとした。カン・ヒス巡警は盾に竹槍とシャベルの攻撃を浴びた。カン巡警は「取り締まり任務を始めて以来、今回ほど激しい抵抗はなかった」と話した。
約10分で漁船に乗り込んだ隊員らは船員を船首で追い込んだ。作戦開始から25分で船員を制圧するのに成功した。残りは操舵室の船長だけだった。船長の程大偉(42)は操舵室の扉を閉めて抵抗した。手には長さ25センチの刃物を持っていた。。
二つの操舵室の出入り口は幅54センチ、35センチだった。一つの小さな扉を壊してイ・ナクフン巡警が進入を試みた。防刃チョッキと装備を持った隊員が入るにはあまりにも狭かった。体を横にしてなんとか操舵室に入った時、船長は刃物でイ巡警の腹部を刺した。船長は棒で殴られて落とした刃物をまたつかみ、別の入口を壊して入ってきたイ警長の横腹を刺した。
アン・ソンシク仁川(インチョン)海洋警察署捜査課長は「国立科学捜査研究院の解剖検査の結果、長さ17センチの刃がほとんど入り、腹部の大動脈が破裂した」と説明した。続いて進入した隊員らが乱闘の末、船長を制圧し、午前6時59分に状況が終了した。(2011,12,14中央日報) これは「韓国海警を死に至らしめた17センチの刃物」というタイトルの記事である。ところが、記事中写真のキャプションには、刺したのはガラスではなくて操舵室で作業に使う25センチの刃物、とある。どっちが本当なのでしょうか。写真には、比較のためでしょう、横にスケールが置いてあるが、これを拡大して見れば、私には12センチにしか見えない。一体、何センチなのよ。
以後、韓国紙はなんら訂正もお詫びもない。かの国の人たちは一事が万事チャランポラン、歴史認識を語る資格はない。今日の日韓首脳会談も、1時間のうちの40分を慰安婦問題に費やしたという。少女像(彼らが言うところの平和の像)を二つも三つも作るのだそうだ。どうぞお好きなように、100でも1000でも作ればいいではありませんか。韓国の常識は世界の非常識、というのを示せばいい。話が横に逸れてしまいました。中国近海は海洋汚染と乱獲で大した漁はできない。それで漁場を求めて韓国領海へ出張ることになる。いずれは日本の海に中国の船団が押し寄せることになるかもしれない。この記事にあるように、我が国・海保の海猿たちが、暴虐な中国人と戦うことになるかもしれない。誰であれ、その時にその現場にいた人の発言は重い。怒号飛び交う中で、殴り合い、取っ組み合い、そして刺されて死んだ。その場で体験したと同じ衝撃や身の振るえるような怒りを想像できないだろうか。
勇敢な第十管区の海保が北朝鮮の不審船と戦った場面を思い出す。また、当時の私の息子と同じ年齢の日本の若者が、日露国境近くで理不尽にも非情に射殺された。今後の対策を語る前に、これらを解決することなく、ウヤムヤに済ませていないか?たとえばTPPにだって言える。参加したら日本の良い制度が壊される、というが、日本の良き終身雇用・年功序列はすでに崩壊している。企業内組合、モーレツ社員、滅私奉公、企業倫理、今、こんなのはどこを見渡してもない。
沖縄や長崎の漁民がTVのインタビューで言っていた。自分たちは外国領に入れば発砲されたり、拿捕されたりするが、中国船が領海侵犯をしても日本は追い返すだけですよ。拿捕や発砲、武力行使は国際標準ではないでしょうか。これまで多くの日本漁船が拿捕され、日本人漁民が射殺された。それでもなお、日○友好しか唱えない国は、もはや国家とは呼べない。
  クリックお願いします。今回上京するについて、どうしても会いたい友人Tがいた。十数年前に電話で話したが、以来音信がない。私の携帯にも彼の電話番号はなぜか登録されていない。長野県に住んでいる同級生のSに電話して、Tの電話番号を尋ねようと考えていた。すると、今晩Tから電話があった。
私「おう、お前、今なにしてんのよ。」
T「昨夜、俺はお前の夢を見たから、電話してみた。」
私「丁度よかった。俺は23日に東京へ行くから、お前に連絡しようと思ってたとこだった。」
T「ほんじゃ、そん時、積もる話でもしよう。」
夢に見た?ということは、私は彼の夢枕に立ったということか。私は元気、まーだまだくたばりません。23日はピョンピョン跳び跳ねて上京してやろう。
私のイニシャルはTであるが、SもTも私も、大学のアルファベット順の学籍番号が近かった。最初に番号順に並ぶことがあって、その時以来の友人である。知り合ってからすでに45年にもなる。やはり何かの縁なのでしょう。縁といえば、こういう縁もあった。我が郷土の誇り・読むはミナミの「南日本新聞」によれば、徳之島空港に台湾から初のツアー客が到着した。観光客を乗せてきた台湾・復興航空のチャーター機は、徳之島高校の修学旅行生を乗せて台湾へ帰る。そして、修学旅行生を徳之島まで運んだ帰り便で、台湾観光客を乗せて帰る。徳之島町では、熱烈大歓迎であった。観光客は三泊四日の離島の旅を楽しんだ。徳之島の人も、「台湾の人たちは日本語を話せる人も多く、縁を感じた、これからも交流活動を進めたい」と話した。
記事を引き写しているわけではなく、私のウラ覚えの記憶で書いたが、確かこういう内容だった。日台友好、国際親善はかくありたい。一方、日中友好はと言えば・・・・。脱北者保護放棄の日本政府、“人権軽視”の批判避けられず日本政府が中国の要求を受け入れ、中国内の日本公館に脱出しようとする脱北者をこれ以上保護しないと約束したと読売新聞が8日に報道した。これによると、日本政府は今年初め「中国の国内法を尊重し、脱北者を公館外から公館に連れ込まない」と誓約した文書を中国政府に提出した。同紙は、「北朝鮮に配慮する中国の圧力に譲歩し、中国での脱北者保護を事実上断念したもの」と指摘した。
発端は2008~2009年に中国遼寧省瀋陽の日本総領事館が受け入れた脱北者5人の日本入国問題だった。中国政府はこれらを「「不法な越境者」と規定し出国を認めず、このため脱北者らの公館内滞在期間が2年8カ月に及んだ。日本側は事態解決のために昨年末「脱北者を保護すべきでない」とする中国側の主張に「留意する」と口頭で伝えたが、中国公安当局は難色を表明した。結局日本政府は中国公安の要求通りに今年初めに誓約書を提出した。こうした曲折の末に脱北者は5月に日本に来た。
日本政府は2006年に脱北者の人権保護のための北朝鮮人権法を制定し、これまで在外公館を通じて200人近い脱北者を受け入れた。だが、誓約書を提出してからは中国で脱北者を受け入れるのが難しくなり、3月に別の脱北者から保護要請を受けた瀋陽総領事館は誓約書を意識し拒否するほかなかったと読売は伝えた。続けて「日本政府が人権を軽視するという批判を避けるのは難しくなった」とした。
誓約書の存在に対して日本政府は具体的言及を避けた。藤村修官房長官は会見で、玄葉光一郎外相は参議院で、「明らかにするのは差し控える」と話した。だが、2人とも「中国から脱北者の受け入れをしないということは絶対にない」と線を引いた。(2011.12.09中央日報)私はこの続報を待っていたが、何もない、誰も責任を取らないところを見ると、この問題はウヤムヤのうちに終わってしまうのでしょう。現民主党政権が悪い、外務大臣が悪い、と言うのは簡単なことだが、そういうことではなくて、現場の外交官の資質や姿勢の問題ではないか。
在中国日本大使館や領事館は物理的には中国国内に在るが、そこは当然日本国である。中国国内法は及ばないし、理不尽な中国共産党政府の要求などは、本国にお伺いを立てるまでもなく、日本の外交官ならば毅然と断るべきである。大学の体育会系の学生の方がまだ仕事ができる。「いえ、自分はできないものはできません。こんな要求は自分も領事にお伝えするわけにはまいりません、ごめんなさい、オッス!」国際試合に出場する選手は胸や肩に日の丸つけてますからね。  
我らが家族や友人を大切に思う、それと同様に外交官は日本国・日本国民一番に考えてもらいたいもの。彼らの背広の胸に日の丸をつけてやりたいくらいである。別に、もとより偏狭な愛国心に基づくナショナリズムや、レイシズムに結びつくナショナリズムのことなど誰も言ってはいない。日本の外交官たるもの、最低、スポーツの国際大会出場のナショナルチームの一員のような気持ちを持ってもいいではありませんか。来年は日中友好四〇周年だそうだが、「日中交流の申し子」野田総理が在任中なら、どんな媚中政策が飛び出すか、私は心配でならない。自身の身体を張って、その職を賭してでも・・・外交官にこんなこと要求するのはやはり無理かな。 ここでひと押しください。
 クリックしてみて!つい数日前、友達と昼飯を食べに行ったときのことだった。
私「昔からちび・デブ・ハゲは女性に嫌がられる男性の典型だけど、最近ではそれにプラスことのプアーだろうね。」
友「そりゃそうだよ、プアはどうしようもない。」
私「なら、女の場合は何だ?」
友「性悪だな、性悪女は最低だ。女性の場合は容姿なんかじゃない。昔は夜這いをしてたんだから、女性の顔などよく見えなかっただろうし、ね。」
私「俺も性悪女は嫌いだけど、顔やスタイルははどうでもいいんかね。」
友「○○(二人の共通の友人)なんか若いころ、朝目が覚めて、同じ布団に寝ている女性の顔を見たら、彼の同級生のお母さんだったんだって。」
私「どういう意味よ、その同級生というのはあいつの彼女か?」
友「同級生は男で、酔っ払ってナンパした女性だったんじゃないの?」今、思い返してみれば、私はプアーとは貧乏人のことを言ったつもりであるが、彼はどうも「心の貧しい人」のことを話していたようだ。顔が良く見えなかったというが、古代・中世の人たちは意外と見えたのではないか、と私は思う。同じ人間でも、その時代の人たちは視覚や聴覚が違っていた、というような研究が外国にはあるのだという。現代人が肉眼で見えない星も見えたのではないか。航海に長けた人たちがいた。自分たちを襲うであろう遠くの獣の声を聞いたのではなかったか。そういえば、TV番組で、サンコンさんの視力が3.0だったか、4.0だったか、とにかく信じられないくらい良かった。
蛍の光や窓の雪の明かりで、まさか文字が読めたとは思わぬが、満月の夜は明るすぎたのではあるまいか。昔の人は月夜の晩は小道を歩けたであろうし、女性の表情を月光が妖しく、美しく照らしたに違いない。○○君は酒のせいで、眼も頭もおかしかったのではないか。そんなことはどうでもいいが、私は最近とみにハゲという言葉が気になるようになった。昔は髪の毛のボリュームがありすぎて、いろんな意味で「頭でっかち」と他人から言われるのがすごく嫌だった。髪が伸びればカールして、天然パーマみたいと言われた。さらに長くなればパーマも目立たなくなった。それで、超ロングヘアーにしていた。そのようなものが白くなり、細くなり、薄くなり・・・それが友達同士での会話で笑いのネタになり、ついには「再生方法」の話題になってしまう。
私自身も多少は気にしているのでしょう。産経新聞のPR欄にフサフサという文字を見て、つい反射的にそこをクリックしていた。そして、届いた商品が下の写真。薬用ポリピュアEXと書いてありますね。医薬部外品、育毛・養毛・増毛・細胞増殖促進剤としての特許取得とある。
今日は、私よりも一回り程年配の御仁は、私のおでこのあたりを携帯で写真を撮った。数か月後に使用前・後の比較をして、効果があるようならこの商品を購入するのだそうだ。私は当分の間、人体実験、モルモットみたいなものですわな。
世の中には知的なハゲ、エロティックなハゲ、愛嬌のあるハゲ、明るいハゲ、いろいろあるでしょうが、暗いハゲとは聞いたこともないけれど、どうせなら私は明るい楽しいハゲになりたい。
実は私の場合はまだまだ髪にも気持にも余裕があるから、こんな気楽でおれるのでしょう。
今日のお昼頃、友人とバッタリ出会った。
「最近、ブログランキングが下がったので、クリックお願いしますね。」
「いつも読んでますよ。でもランキングなんか気にしないほうがいいですよ。」「えっ?」
「あんなもん気にしていたら、いい記事は書けないでしょ。」
なるほど。これで私は気分なりとも楽になった。私は私らしくいきましょう。(註;行くと生くの掛詞)実は、「開戦70年」を(1)から(5)くらいまで書いて、12月8日は軍神・横山少佐で〆るつもりでいた。やはり師走ですね、何かと私の身辺も忙しい。件の開戦70年特集はまだ読んではいない。
薩摩の宝暦治水に関するものも読みかけて、長いこと放置している。今読んでるこの本は面白い。
ツベタナ・クリステワ和歌でよむ古代の思想「心づくしの日本語」(ちくま新書)著者はブルガリア初の日本文学研究者で翻訳家でもある。私はブルガリア人といえば大関・琴欧州くらいしか知らない。スパルタカスや「アイドルを探せ」を歌っていたシルヴィー・バルタンもブルガリア人ですってね。クリステワさんはお名前からして女性でしょう。タイトルにあるように「日本の心」というものを書いていらっしゃる。我らは高校くらいから古文や古典文学を習うが、彼女は現代日本語と日本古典文学の勉強を同時にスタートした。そして、外部から日本文学を見る”視点”がおもしろい。
近代以前の歌で、「月」を詠んだ歌は六万首以上あったという。「桜」は一万首。単に「花」とも詠まれたので、「桜」に「花」を詠まれた歌をプラスしても五万四千首。「涙」は一万三千首。「涙」に関する「露」や「雨」、「濡れた袖」を算入しても六万首弱。「風」は五万首弱。「心」そのものは4万2千首。「人」が五万二千首。「月」が最もよく詠まれた歌ことばだったという。
分かるような気がします。古人は月にわが心やこの世を見たのでしょう。たまにしか新聞は読まないが、気になる記事があった。無縁遺骨30件 保管の13市町苦慮/鹿児島県10年度火葬後に引き取り手がないなどの理由で、鹿児島県内の市町村が保管した遺骨が、2010年度は13市町で30件、11年度は13市町26件(11月末現在)だったことが、南日本新聞の調べで分かった。単身高齢世帯の急増などに伴い、これから身寄りのない無縁の遺骨の増加も予想され、各自治体は対応に苦慮している。
市町村が一時保管する遺骨は、身寄りのない生活保護受給者や、身元不明のまま亡くなった行旅死亡人らが中心。墓地埋葬法は、埋葬や火葬を行う者がない場合、死亡地の市町村長が行うとしている。遺骨は遺族らに引き渡すのが原則だが、連絡が取れなかったり、関係者が引き取りを拒否する例が増えているという。
10年度に市町村が預かることとなった遺骨は、鹿児島市(7件)や指宿市(8件)、鹿屋市(2件)、霧島市(1件)、薩摩川内市(2件)など、都市部に集中。30市町村がゼロだった。
昨年度7件のうち、5件が生活保護受給者だった鹿児島市は「あくまで一時預かり。引き取ってもらえるよう交渉を続けるが、難しい例もある」。11年度に4件の遺骨を預かった薩摩川内市は「安易な利用は困るが、無縁社会の進行で増える可能性もある。対策が必要となるかもしれない」と話した。
自治体が管理する無縁墓や納骨堂などは、広域での共有を含め、43市町村のうち33市町村が整備している。(2011,12,4南日本新聞)昔も今も、天涯孤独の身という人はいたでしょう。そのような人が行き倒れにでもなれば、無縁遺骨、無縁仏になってしまうのでしょう。しかし、遺骨の引き取りを拒否というのもあるようですね。TVの特集番組で観たことはあったが、それは都市圏のことだろう、と思っていた。鹿児島あたりでもこのような状況なら、おそらく全国的な問題であるでしょう。古人が和歌を詠み始めてから千年単位のものであるが、故人はこれから先、漆黒の世界を億光年、いや、無限の時を過ごすことになる。
この対策は遺骨を保管するスペースを広げたり、合祀の施設を作る、なんてことではなくて、我ら人間社会の根本を見つめてみる必要がある。
今週もがんばりましょう、クリック。
日本会議の会報、誇りある国づくりをめざすオピニオン誌「日本の息吹」12月号が届いた。私はまだ表紙をめくっただけで、1ページ読んだところである。昭和16年12月8日、米英に宣戦布告して以来70年ということで、今月号は「大東亜戦争70年」の特集が組んである。「マッカーサー証言」を教科書に━━「近隣諸国条項」からの開放を渡部昇一先生がこのように書いておられる。育鵬社の歴史教科書に、マッカーサーが公式の場で東京裁判について証言した言葉を載せてほしかったそうだ。それは「したがって、日本人が戦争に突入した目的は、主として自存自衛のために余儀なきものであった」ということである。ところが、文科省の検定者はこの言葉を教科書に入れることを許さなかったという。文科省の教科書担当者は、宮沢喜一元官房長官のいわゆる「近隣諸国条項」にしばられていたためではないか。そうだとしたら、われわれは一日も早く、文科省を「近隣諸国条項」から解放してくれる大臣、あるいは首相を持たねばならない。これからの歴史教科書の目標がさだまったというべきであろう。昭和57年の宮沢談話というものがある。我が国の歴史教科書で「侵略」を「進出」に書き変える、ということが報道されて、近隣諸国から批判を浴び、わが政府は反省や謝罪をしてしまった。結局、報道は誤報であったが。その時に国際協調という名のもとに近隣諸国に独特の”配慮”をするようになった。
配慮(土下座、弱腰)は文科省だけではない。終戦50年の年(平成7年)には、村山首相談話で「侵略」戦争を近隣諸国に謝罪した。その後の歴代首相は、オウムではあるまいに、村山談話を踏襲する、と発言している。どこの国の政治家でしょうか、と言うよりもこの人たちは何人でしょうか。中には宇宙人と自ら名乗った人もいましたが。終戦50年でも、「終戦五十周年国民委員会(加瀬俊一会長)」は下の本の出版を企画した。誰かさんたちとエライ違いだ。この国民委員会の事業は「日本を守る国民会議」に引き継がれ、平成9年に「日本会議」として再編成された。その会報が冒頭に紹介したものである。この書は日本人必読の書だと思う。東京裁判史観、自虐史観を排すべきと言われて久しいのであるが、ネットの急激な広がりで情報はあるはずなのに、なかなか世の風潮とか思潮というものは改まらない。このような苛立ちを持ちながら、今年も12月8日を迎えることになってしまいそうだ。   お忘れなく。
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