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青春の詩


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読者のおひとりから↓↓この詩を紹介いただきました。青い文字をクリックしてみてください。



サミエル・ウルマン「青春の詩」



この詩の一行目は、昔どこかで聞いたような懐かしい思いがします。誰かがこれを引用したものを私は読んだのかもしれません。「青春とはなんだ」とは、いかにも森田健作が映画の中で言いそうなことですね。あるいはNHK「新成人の主張」という番組あたりでしょうか。私はこのような問いかけをしたことはないし、「生きるとは」「愛とは」という問いと同様に、どちらかと言えば嫌いだ。そんな簡単に答えがでるものでもないでしょう。仮に解ったとして、その通りに愛せるか、生きられるか自信がないので、結局、死ぬまでそれらを追い求める、な~んてのが恰好よさそうですね。



とは言うものの、「老い」や「若さ」ということを考えさせられました。私や私の周囲を見渡したら、どうしても「老いる」ことは切実な問題です。この詩を読んで、田原トシちゃんではありませんが、ハッとしてグッときました。GOODでした。

では、みなさま良き休日を!!









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[ 2012/01/29 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

NHK大河ドラマ「平清盛」


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このドラマの中で「天皇」を「王家」と言っているんですってね。他人事のような言い方ですが、というのは私はこれを一度も観たことはないんです。従って、どのような場面だったのか、雰囲気的なものがイマイチ分からない。王家とは、私も違和感があるけど、NHKに抗議した人たちがいたんですね、そして、その批判に対する弁明みたいなものが下の記事でしょうかね。



当時、天皇イコール「王」だった

 なぜ天皇家、皇室という言葉を用いなかったか。ひとことで言えば、「平清盛」の時代には使われていなかったから、です。

 この時期には、天皇の血族をファミリーとして捉えるという概念がいまだ出現していない。播磨の海、周防の灘、と命名しても「瀬戸内海」とまとめる言葉がなかったのと同じです。近衛天皇の寺院、鳥羽上皇の御所、美福門院(びふくもんいん)の荘園など、個別の名が用いられ、天皇家も皇室も、また「王家」も、言葉としては定着していません。

 それから150年、鎌倉時代末から南北朝時代、天皇家と皇室は依然として用いられていませんが、「王家」が各階層で使われるようになります。たとえば、

 ◎皇族…花園上皇「(後醍醐天皇は)乱髪、小袖一、帷(かたびら)一を著せしめ給うと云々、王家の恥、何事これにしかんや」(『花園天皇日記』元弘元年別記10月1日)

<◎貴族…北畠親房(ちかふさ)「王家の権さらになきがごとくになりぬ」(『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』二条天皇)

 ◎武士…結城直光「昔より誰の家か、王家の相門(しょうもん)を出ざるや」(『源威集(げんいしゅう)』前九年の役のこと)。

(中略)

とすれば、皇帝が上位で王は下位、天皇は皇帝と同格だから王とは絶対に呼ばない…という現代的な私たちの理解は、当時の貴族社会には適用できないのではないか。こういうことはしばしばあって、たとえば「自由」はわれわれにとっては良い言葉ですが、かつては「自由の振る舞い」の如(ごと)く、わがまま勝手を意味する悪い言葉だった。



 では、天皇のファミリーは何と表現するか。中世史学界は、貴族を「公家」、武士を「武家」とするのにあわせて、これを「王家」と呼んでいます。天皇家・皇室の語が一般的になるのは明治以降だし、「朝廷」ならびに「朝家」は天皇の政府を指す(武家の「幕府」に対応)のでニュアンスが異なる。「皇家」は適当ですが、「王家」に比べると使用例が乏しい。

 NHKの制作サイドに尋ねられたとき、以上を勘案し、「王家」の使用を提案しました。純粋に学問的な見地からの応答です。国を思う方々の批判は真摯(しんし)に受け止めねばなりませんが、皇室をおとしめる意志が露塵(つゆちり)ほどもなかったことは、まちがいありません。(寄稿)



 本郷和人(ほんごう・かずと) 東大史料編纂所准教授。昭和35年、東京都生まれ。東大文学部卒業、同大大学院博士課程単位取得退学(文学博士)。専攻は日本中世史。著書に『天皇はなぜ生き残ったか』『謎とき平清盛』など。(2012,1,24産経新聞)





時代考証の先生がおっしゃる通り、確かに日本語は時代によって意味が違います。たとえば「おぼつかなし」「おぼつかない」という言葉も、中世に歌に詠まれた意味と現代に使われる意味とは大分違う。咄嗟に思いつかないが、枚挙にいとまない。つい最近のことだが、「これヤバくね?」なんて若者たちの間で使われる「ヤバい」もそうでしょうね。

「尊王攘夷」というときの「尊王」は、「尊皇」という言葉が使われたのは昭和10年前後かららしいですね。「皇軍」もほぼ同時期でしょう。だから、ドラマでは当時の言葉の用法に従った、つまり史実・時代考証に忠実にやった、という姿勢は一応理解はできる。



だったら、韓国ドラマ「チャングム」、アレは何だったんですか、と言いたい。これも私はほとんど観てはいないんだけど、新保先生がどこかに書いておられました。あの時代には、朝鮮半島では染色の技術がなく、ドラマの中でカラフルな衣装を身に着けているはずはない。曲げ物も作れなかったので、水を運んだり、貯蔵したりはできなかったのだそうだ。時代考証はデタラメな番組だったのではないでしょうか。国民から徴収した、視聴料で成り立っている放送局としていかがなものでしょうかね。今の若者風な言葉使いをすれば、これって、おかしくね?




この番組はドキュメンタリーのようなその時代の実写版ではなくて、あくまでも平成の御世に演出・制作された創作劇ではないか。そもそもがフィクションと言っても過言ではない。これまで数千、数万回上演されてきたであろう「忠臣蔵」だって、実在しなかった人物を登場させたり、恋愛を絡ませたり、様々な演出を凝らしてきた。今の芸能・娯楽番組には、畏れながら今の「天皇」という至高の呼称で構わない、と私は思う。万葉の時代には大君を神と称えた。その万葉集では家持は「御門」と詠んでいる。「みかど」でもよかったのではありませんか。




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[ 2012/01/27 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

うさぎの備忘録(2)・・・廃仏毀釈


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我が国は永く神仏習合の世界であったが、明治元年(1868年)、神仏分離令(神仏判然法)が発せられた。この行き過ぎたものが廃仏毀釈と言われるものでしょう。立場によりいろんなご意見があるでしょうが、歴史の汚点でもあるかのようにして、あまり語られることはない。今言えることは、この件で誰も益したものはいなかったのではなかろうか。

お寺を毀し、仏像を焼いた。実は鹿児島藩は最も激しかったという。島津義弘公を祀る妙円寺も毀され、跡には神社が建てられた。島津家縁の福昌寺、天昌寺、大乗寺等も廃寺となった。幕末の薩摩の家老・小松帯刀の菩提寺、園林寺(おんりんじ)も。そういえば、去年訪れた歴代小松家の墓所には、首から上と片腕のない仁王像(石像)がありました。



義弘公の関が原敵中突破を偲んで、江戸時代より「妙円寺参り」という行事がある。私も高校時代に全校生徒で参加した。片道20kmほどを「妙円寺参りの歌」を歌いながら歩く。たどり着いた先は徳重神社であるが、そこでは奉納相撲・弓道大会などをやっていた。神社へ参るけど普通に「妙円寺参り」と呼んでいる。廃仏毀釈の名残でしょうね。

その歌とは、歌詞が22番まであるそうですが・・・。「明くれど閉ざす雲深く、薄(すすき)かるかやそよがせて、嵐はさっと吹き渡り万馬いななく声高し」こんな歌でしたね。



この嵐も鹿児島では、明治5年に信教の自由令が出て終息したという。



なぜ鹿児島では酷かったのか。去年のいつ頃だったかも忘れてしまったが、この論考を郷土史研究家が地方紙「南日本新聞」に書かれていた。失礼ながら、著者のお名前も失念してしまったが、私としては非常に興味深く、また大いに参考になった。私の記憶にあるうちに書き留めておこう。




<薩摩は中央政治の中枢にいたので、地元では令を忠実に守ろうとした。地方地方の担当の職にあったものが仕事熱心、お役目に忠勤のあまり過激化した。そしてまた、寺社は広大な寺領を有し、旧体制下の特権階級であったので、庶民には旧時代への反発心があった。それでも信仰心が失われたわけではなかった。3千人近い僧侶が失業することになるが、彼らには職を斡旋したという。これだけの”大騒ぎ”をして、鹿児島藩では死傷者は報告されていない。>



明治2年、「耶蘇教に肩入れした」として、横井小楠が斬殺されたことを思えば、死傷者ゼロとはいささかの驚きである。外国から称賛される、災害等で秩序正しい日本人の姿と重なってしまう。そもそも、お寺を壊す野蛮な行為をして、秩序もへったくれもない、と言われれば返す言葉もありませんが。





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[ 2012/01/25 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

ぼく麺食い(笑)


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鹿児島市草牟田、国道3号線沿いの「かごしまラーメン文炎」(ぶんえん)にて昼食。ここは以前も「仏跳麺」(ぶっちょうめん)というラーメン店であった。「仏跳麺」や「麺どころさつま」や「がんこ庵」と同じ経営母体でしょう。友人と車で走っているとき、いちばん近いとこで昼食にしよう、と話していたら、数分後にはこの店の駐車場に停めることになった。建物は外部も内部も小学校風である。







ぼくたちの席は四年に組の教室の前のカウンターであった。僕の友人に「今日はお腹の調子が悪くて食欲がないから、ラーメンの大にライスの並みにしよう」と言った奴がいたが、僕も食欲がなかったので、うま味ラーメンにミニチャーハンのセットにしただす。なぜかラーメン屋のチャーハンはハズレが少なくて美味しいですね。炙りチャーシュー、濃厚スープ、太麺がここの”売り”でしょうが、僕はあっさり系のスープに細麺にしてもらっただ。ほんとに食欲がなかったんです。軟骨煮を載せたのがありましたけど、いつもならこれに決まりでしょうが、あいにく前日の昼も夜も自家製軟骨煮を食べましたからね。お味は仏跳麺に似てました。仏跳麺はどんなお味かといえば、私的には福岡の長浜ラーメンによく似ている。で、長浜ラーメンはどんなお味?文炎のお味ですな(笑)







厚切りの炙りチャーシューは口の中でとろけそうでした。紅ショウガは僕が載せました。福岡のラーメン屋で客が紅ショウガを載っけてましたね。汁が赤くなってしまうくらい入れる人もいました。ぼくはそれを見て以来、あれば紅ショウガを入れますよ。食べる前にすでに唾液がにじみ出てきそうです。具には焼きネギもあったほうがラーメンらしいですが、これ鹿児島だけでしょうかね。

ショウガやワサビを食べると記憶力が悪くなる、と僕の親は信じていたようで、僕は子供のころはそれらを食べさせてもらえなかった。そのせいか大人になってからは怒ったようにして良く食べます。大好きです。

今、ふと思い出したが、10年以上前だろうか、仏跳麺が出来たころ、お店に「お客様のご意見箱」というようなものが置いてあった。僕は「長浜ラーメン風に紅ショウガを置いてくれ」と書いたのでした。それで紅ショウガが置いてあるのか全く定かではありません。念のため。





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[ 2012/01/22 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

日の丸不起立訴訟


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裁判に関するTVニュースでは、裁判所前からの映像として、原告団が「勝訴」と書いたものを誇らしげに掲げた場面をよく見る。ある時は「不当判決」なんて書いてある。今回の”国旗国歌訴訟”では三枚の縦断幕(正式名称は何でしょうか?)を見た。「一部勝訴」「分割判決」そしてもう一つは何でしたかね。どうせ彼らの解釈だから、私は気にも留めなかったので、今、思い出そうにも、そもそも記憶していない。新聞によれば三件の訴訟ということなので、三枚の幕を掲げたのでしょう。



新聞でも、産経は下の通り「停職1人取り消し」としながらも「戒告まで裁量範囲」という見出しであるが、毎日の見出しでは「減給や停職は慎重に」とあった。私のように新聞は見出しを飛ばし読みする人は、印象として、また判決の主旨までも勘違いしてしまいそうである。処分は可、処分は慎重に、これらは読者の受け取り方がちがう。見出しで新聞の傾向やスタンスがわかるのかもしれません。傾向がわかれば、自ずと対策も立てられるのでしょう。これは我らは”受験戦争”のとき、「傾向と対策」シリーズで学んだことではなかったか(笑)

赤旗や日教組の会報なんかでは凄いことになってる、と思いますよ。でも誰が見ても、再犯や再々犯には厳しく対応すべきと思います。5回も繰り返したセンセイがいるというではありませんか。普通は首ですけど、とても一般社会では考えられないことが、教育現場ではまかり通っているようです。




国旗国歌訴訟 「戒告まで裁量範囲」 最高裁、初の処分基準 停職1人取り消し

産経新聞 1月17日(火)7時55分配信



 学校行事で国旗掲揚、国歌斉唱の際に起立しなかったことなどを理由に東京都教育委員会から戒告、減給、停職の懲戒処分を受けた教職員ら計約170人が都に処分の取り消しと損害賠償を求めた訴訟3件で、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は16日、「戒告処分までは基本的に懲戒権者の裁量の範囲」との初判断を示した。

                   ◇

 その上で、戒告処分はすべて合法と判断。停職2人のうち1人と、減給1人については処分を取り消した。停職の別の1人は、過去に積極的な妨害行為があったなどとして取り消しを認めなかった。



 校長が起立を命じた職務命令については最高裁が昨年、合憲との結論を示しており、今回は戒告、減給、停職とした処分に裁量権の逸脱、乱用があったかどうかが争点となった。最高裁で処分の在り方の方向性が示され、橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」が大阪府議会に提出し、同一職務命令への違反3回で免職とする教育基本条例案の審議にも影響を与えそうだ。



 同小法廷は、教職員の不起立行為について「式典の秩序や雰囲気を一定程度損なう行為である一方、積極的な式の妨害ではない」と位置づけた。その上で、戒告処分は「教職員の法的地位に不利益を及ぼすものではない」として「過去の処分歴の有無にかかわらず、懲戒権者の裁量権の範囲内にある」と結論付けた。減給や停職については「事案の性質などを踏まえた慎重な考慮が必要」と判示。例えば、過去1、2年で数回の処分歴では停職の理由として足りないとの基準を示した。



 裁判官5人のうち4人の多数意見による結論。宮川光治裁判官(弁護士出身)は反対意見で「戒告処分でさえも、裁量権の範囲の逸脱に当たる」と述べた。

                   ◇

【用語解説】国旗国歌不起立訴訟

 東京都の公立学校の現・元教職員ら計約170人は平成15~18年、学校行事で斉唱時の起立などをせず、職務命令違反でそれぞれ戒告、減給、停職の懲戒処分を受けた。教職員らは処分の取り消しを求めたが、1審東京地裁はいずれの訴訟も請求を棄却。2審東京高裁では戒告と減給処分の取り消しを認める判決と、停職処分を容認する判決が出て、判断が分かれた。



まあ、一人前の大人になぜ起立しなければならないか、と教えるのも馬鹿馬鹿しい話です。たとえば人間は、歩く時にはどちらの足を先に踏み出しなさいとか、右と左を交互に出して歩きなさい、とかは教えられないが、みんな無難に、上手に歩いている。センセイ方にこんな歩き方まで教えてやらねばならないのだろうか。私は、仮に我が子が駄々っ子のように不起立していたら、会場に行って、みんなの前で子を殴ってやります。そして、首根っこを摑まえて、会場の外へ引っ張り出してやりたい。国旗や国歌が嫌いなら、最初から教師なんかになるな、と言ってやりますよ。



このような最高裁判決がでたら、大阪でやろうとしている「免職処分」はどうなりますかね。この対策としては、教員採用試験で変な人間を合格させないことでしょう。昔の口頭試問、今は面接試験というんですか、これを重視して、たとえば応援団や体育会系の学生を採用すればいいですよ。





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[ 2012/01/20 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

宮中歌会始

勝谷誠彦さんて・・・・? ? ?



昨日のTV番組「たかじん」について、大事なことを書き洩らしていました。私は今、あいまいな記憶を手繰ってみれば、確かこのようなことであった。

勝谷さんが発言していたことですよ。歌会始で天皇陛下、皇后陛下、秋篠宮殿下や妃殿下は被災地に対する思いを詠まれているのに、皇太子殿下や雅子さまの歌はなんですか、物見遊山気分で行ったときのことを詠んでいる。

私はいろんなことをしながらTVをチラチラと観る程度であるので、記憶に自信はないのですが、いや、もっと汚い言葉で罵っていたかもしれない。雅子妃殿下についていろんなことが言われていることは、私も十分に知ってはいるけれど、普通の日本人は公の場で皇族方を貶めるようなことは言わない。失礼というよりも、何よりも不敬でありましょう。

それで、どういうお歌であったかは、以下の通り。




天皇、皇后両陛下と皇族方のお歌、入選者らの歌は以下の通り(仮名遣い、ルビは原文のまま)。<歌会始のお歌、1月12日産経新聞>



天皇陛下



津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる



皇后さま



帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず



皇太子さま



朝まだき十和田湖岸におりたてばはるかに黒き八甲田見ゆ



皇太子妃雅子さま



春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く



秋篠宮さま



湧水(ゆうすい)の戻りし川の岸辺より魚影(ぎょえい)を見つつ人ら嬉しむ



秋篠宮妃紀子さま



難(かた)き日々の思ひわかちて沿岸と内陸の人らたづさへ生くる





出席者の女性(名前は知りません)は、ちゃんと東北や福島のことを詠んでいらっしゃるじゃありませんか、と言っていた。勝谷さんは文学部で何を学ばれたのでしょうか、歌ごころというものをお分かりではないようだ。昔見た東北・福島の美しい風景に、復興への願いが込められているのではありませんか。

私はここで出演者のロバート・キャンベルさんあたりが発言されたらいいのに、と思った。私はNHK教育TVで「Jブンガク」を何度か観たことがあるけど、キャンベルさんは日本文学・広く文化を理解されている方です。何か言いたさそうでキョロキョロされていたが、結局、発言はされなかった。むしろ、発言を控えられたのでしょう。畏れ多いことですからね。

また、一国民がTV番組で御製を良かったと褒めるのも何か変ですね。たとえば踊りのお師匠さんの舞を、生徒が「お上手でしたよ」などと言うに似てはいまいか。もっと分かりやすくたとえれば、あの朝青龍ですよ。暴行事件というのがありました。大横綱に向かって、「先場所の相撲はよかった、次もがんばってください」と言った若造がいたんですね。勿論暴力はよくありませんが、そりゃあ朝青龍は怒りますわな。一般庶民レベルでも敬っているつもりでも、実はそうではない、というケースがある。まして、千年も続いた伝統の宮中行事を非難のネタに使うべきではないでしょう。



拉致問題や領土問題等に関する勝谷さんの発言は、胸のすくほどすばらしいし、私は心の中で氏に拍手喝采してきた。多少の癇癪持ちのような氏の性格も私は許せる。でも、氏の国家観はといえば、少なくとも私は大きな疑問符を付けざるを得ない。




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[ 2012/01/17 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

能力よりも執念

今日は一日中、自室でゴロゴロして過ごした。TVを点け、FMラジオを聴きながら、たまにはPCを開いて仕事をしたり、本を読んだり、いつの間にかうたた寝をしたり・・・気ままと言えば気ままではあるが、これで仕事がなければどんなにか幸せなことでしょう。それでいて、ちっとも退屈だとは思わない。



TVも熱心に観ている訳ではないけど、日曜日の朝のニュース番組から「たかじん」までは結構面白いですね。「新婚さんいらっしゃい」もよく見ますよ。賞品のハワイ旅行が今週からヨーロッパ旅行に変わりましたね。うちの子供たちはこの番組にいつ出てくれるのやら(笑)

橋下大阪市長と北大山口二郎教授が出てた番組は面白かった。「学者は現場を知らない空論だ」と市長が教授をさんざん馬鹿にしていた。

懐かしい土光臨調会長の映像もあった。土光さんはいいことをおっしゃっていた。サラブレッドより野ネズミが好きだ、でしたか、強いでしたか。現場で体得したものが貴重だ。また、能力よりも執念だ。総理大臣たるものは命を捨ててとり組まなければならない。

え、それで、山口教授は「学者は考えることが仕事」などと言っていたが、私は前から思っていたけど、学者もフィールドワークとフットワークが必要なのだと思う。現場を踏むべきですね。それには、他人が現場で30年かけて体得したようなものを、瞬時に理解できるくらいの事前の勉強はしておいてもらいたいですが。修業を積んで”分かる”人間になっておいてもらわねばなりません。



橋下さんもいいかもしれないけど、今の政治家には土光さんのような執念の人が欲しいですね。土光さんがメザシを美味しそうに食べるところを見たら、私も昼食にメザシを食べたくなりました。高菜ピラフの予定でいたが、急遽変更、私は近所のスーパーへメザシを買いに行った。

私のすぐ横で「メザシはどれですか?」とお年寄り男性が言う。店員さんに尋ねたのでしょうが、つい、私が応えてしまった。「目を刺してはないけど、これもこれもメザシですよ。」男性はパックをひとつ手にした。「私もね、さっき土光さんが美味しそうにメザシを食べてるのを見たら、食べたくなりましたよ。」男性はそんなことには無関心であって聞いてはいない。そそくさと立ち去った。家では寝たきりの老妻が待っているのでしょうか。

「あなた、メザシなら食べたいわね。」「そうか、食欲が出たのは何よりだ、すぐ準備する。」「いつもすまないわね、こんな時あの娘がいてくれたらなあ。」・・・・老妻はメザシを口にすることなく、ひっそりと息をひきとっていた。な~んて。

今日一日で、私が他人と話をしたのはこれだけであった。



「未来への羅針盤」という番組では出光佐三の生き方を紹介していた。愚痴は言うな。永い三千年の歴史を思い直せ。今すぐやれ。家族を大事に。

土光にしろ出光にしろ、とにかく昔の日本人は偉いですね。今の日本の不幸は、このような人が少なくなったということではないかな。




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[ 2012/01/16 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

「青き鬼」、「石女」のことなど

今回はあまり面白くないので、見ないほうがいいですよ~。

あ、「今回も」と言うべきでした。

「渡る世間は鬼ばかり」というTV番組がありました。かなりの長寿番組なのでしょうが、私は数回くらい観たでしょうか。良くわからないのですが、多分、ハッピーエンドになるほのぼのとしたホームドラマであったのではないだろうか。昔から言われているように「渡る世間に鬼はなし」の諺のような内容であったのだろうと想像する。世間は「鬼ばかりではない」という物語。でないと、お茶の間で長年にわたり、受けないでしょうからね。




いつのころからか、怖いものの代名詞として、地震・雷・火事・親父なんて言われる。我らの子供時代、その雷さんは雲の上で鬼が太鼓をたたいている絵であった。そして、泣けば鬼にヘソを取られる、と言われたものだ。誰もが知っているように、鬼は実在する動物ではないんですね。

上半身人間で下半身が馬、あるいは魚であったり、また、森の精霊なんてのもそうでしょうが、これらと同様に鬼も人間が想像・空想によって創り出した幻獣なのでしょう。その原型は人間が抱いた恐怖心なのでしょうか。



私は「とはずがたり」(注1)を読んでいたら、青い鬼に出会った。


・・・この思いに堪えずして、青き鬼ともなり、望夫石(ぼうふせき)という石も、恋ゆゑなれる姿なり。



「この思い」とは恋慕の思いのことです。「青き鬼」とは情欲に身を焦がした姿をたとえるのだそうだ。望夫石は、中国の故事で、従軍して帰らぬ夫を恋う妻が石と化したもの。

石と化した女、というくだりを読んで、私はハッとした。私は学生時代に「石女(うまずめ)」をテーマに、先輩と一晩語り明かしたことを思い出した。石女とはかなり昔からある言葉で、子を産まない、産めない女性のことをいう。転じて、男性と交わらない、交われない、男嫌い、と国語辞典に載っているか定かでないが、話は広がってゆき、私は知識も経験も豊富な先輩の話を専ら聞き役であった。帰らぬ兵士を待つ妻も子は産まないのだから石女と言える。恋い焦がれた挙句、石化した女はあわれである。

さて、恋い焦がれた男は何になるのでしょうか。赤き鬼となり、嫉妬の炎を燃やして、たちまち灰と化す。亡妻石、つまり亡妻と同じ墓石となれり。勿論、辞書にもなければ、文法的にも正しくはないでしょうが、しかし、古代の人は文法など意識せずとも文章を書いたのでしょうからね。起承転結にも拘らなかったはずよ。そんなん思います。




(注1)鎌倉時代後期の、宮廷女性・後深草院二条の半生記を書いた日記。



たまには、お休み前にこんな曲を聴いてみましょう。









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[ 2012/01/14 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

奇妙な「学習」

まだお正月気分でいた3日、私の友人が産経新聞の記事を紹介してくれた。この記事は関東では載っていなかったようなので、西日本版だけだったのかもしれません。続報が出るだろう、また、誰かがブログにアップするだろうと思っていたが、出ませんねえ、静かですねえ。



中学校で「朝鮮人強制連行」についての不適切教材使用、大阪・羽曳野市教委が回収指示

2012.1.3 07:18

 大阪府羽曳野市の市立峰塚中学校が「朝鮮人強制連行」について扱った学習用教材を使用し、市教委が回収を指示していたことが2日、学校関係者への取材で分かった。問題は保護者らからの指摘で判明。同校は「教科書に記載がない内容で不適切だった」として、すでに教材を回収している。



 指摘を受けたのは「在日韓国・朝鮮人問題学習」と題したB4判のプリント教材1枚。教材には、中学校の学習指導要領に記載のない「戦前・戦中の日本政府による朝鮮人の強制連行」について、「強制連行された朝鮮人は80万人にもなりました」などと記載されていたほか、「日本の植民地支配」の項目には、「日本がうばったもの」についての設問の空欄に、朝鮮の「言葉」や「名前」と生徒に書き込ませる問題もあった。



 学校関係者によると、教材は同校で数年前から使用されており、作成者は不明。



 昨年11月16日の「総合的な学習」の授業で、2年生全8クラス(計約300人)の各担任が、教材として配布した。



 生徒の保護者ら数人が同月22日、市教委に連絡。調査に乗り出した市教委が同校から事情を聴いた結果、「教材の内容は学習指導要領に記載がない上、一方的な視点から作られたもので学校での使用は不適切」と判断。28日に回収を指示し、同校は翌12月16日に配布済みの教材を回収した。



 中野秀夫校長は「今後は教材のチェックを徹底していきたい」としている。




まず、”教材”の内容が大嘘であること、そして中学校に「在日韓国・朝鮮人問題学習」なるものが存在することに驚く。

あの時代には「強制連行」という言葉すらなかったのではなかったか。戦時「徴用」は確か、日本政府の発表では245人でしたか、あのアサヒ新聞も報じていることですね。ここでアサヒを出すと、かえって信憑性がなくなるかもしれないけれど(笑)。当時は朝鮮半島も日本国ですから、内地、外地という感覚でしょう。半島の貧困ゆえに、高給を求めて外地から内地へ朝鮮人がやってきたということでしょう。朝鮮人というよりも、国民ですね。一等国民が内地の人で二等国民が・・・・、以下、忘れました。「一億総火の玉」とか「一億慟哭」という場合の一億とは、内地7000万人に朝鮮・台湾人まで含めていたんですね。嘘八百ならぬ、嘘八十万人とは笑えるではないか。




保護者からの指摘があるまで気付かなかった、校長や教頭も管理責任を問われて然るべきであろうし、配布した教師も大馬鹿者ですね。作成者に至っては犯人です。多感で無垢な子供たちに何らかの意図で刷り込みをしようとしてたわけですからね。まじめに勉強する子ほど影響を受けやすいのではないでしょうか。

突っ込みどころ満載の記事ですが、私はこの”学習”は同和教育と似ているように思う。「平等」という概念の裏側にある「差別」意識を煽りたい人たちがいるんでしょ?そんなものより、子供たちには他に学習させるべきことはたくさんある。




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[ 2012/01/11 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

新成人の諸君、おめでとう!!

女川の成人式をTVでチラと見ました。震災で母親ら5人の家族を亡くした鈴木君という若者が司会をしていた。新成人は、式場の後方に並ぶ家族に向かって「ありがとうございました」と言って、全員深々と頭を垂れていました。私は子を持つ親として、一人の日本人として、すごく嬉しかった。このような若者がいる限り、我らもこの国の将来を案ずることも無かろうとすら思えた。



私は三人の我が子には大したことは言ってはいない。良く覚えていないが、長男にはこんなこと言ったかな。結局、人間は好きなようにしか生きられないから好きなように生きればいいが、これからは世間はお前を一人前の人間として扱うからな。



私自身の成人の日は鮮明に覚えている。吉祥寺の町を寒さに首をすくめて歩いていると、やたら振袖の女性が目についた。すみませーん、今日は何があるんですか。当時は1月15日、成人式だったんですね。あっ、俺もホントは成人式だったんだ、という程度で、さしたる感慨も湧かなかった。



伊能忠敬は50歳過ぎてから日本地図作製に取り組んだ。野上弥生子さんは77歳から名作を書き始めた。我ら中高年にとっては希望とやる気が起きてくるお話です。でもこの逸話は若者にふさわしいですね。どんなことでもいいのですが、20歳から始めたら、どれほど凄いことが成し遂げられることでしょうか。新成人諸君には、私の言いたいことはおわかりでしょう。




なぜ吉祥寺かと言えば、武蔵野美大へ進学した私の先輩がいたんです。私の同級生がその先輩を頼って同居するようになり、私は当初、港区に間借りをしていたが、半年後にはそこへ転がり込んだ。その時、私の引っ越しにトラックを持ってきたのが先日の長野県出身のSだった。その後に数度引っ越しをしたが、”最寄りの駅”は吉祥寺であった。

去年の暮れに上京した際、ほぼ40年ぶりに吉祥寺を訪ねた。








町は様変わりしていたが、井の頭恩賜公園は昔と変わらない。歩道のなだらかな傾斜も同じだ。ただ、ジプリ美術館が出来たせいか、公園内にも人が多い。昔は無かったような気がするが、この公園に噴水は似合わない。やはり水は上から下へ、高きから低きへ流れる、それが日本的なのではないかと思う。

私にはここで語り尽くせないほどのあの時代のエピソードがある。懐かしい。ふとわが身を振り返れば、そこの銀杏の大木が確実に樹齢を重ねている姿とわが身を重ねてしまう。離陸する間際、JALの翼と暮れゆく羽田の空を見たときは、私は涙が出そうになりましたよ。










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[ 2012/01/09 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

奇妙な「民主主義」その2

私は英語に詳しくはありませんが、前置詞ofには目的格用法があるということでした。私はこれを確信する文章に出会った。

私は月刊誌・週刊誌の類はそこにあれば読むが、強いて自分から買うことはない。しかしながら、平成17年のこと、「衝撃の新発見『小倉侍従日記』昭和天皇 戦時下の肉声」というタイトルに惹かれて「文藝春秋」四月特別号というのを買った。特集を読んだ後は枕元に置いたままにしていた。ある日、寝ながらその雑誌を読んでいたら、作家で英文学者の丸谷才一さんのエッセイが目に留まった。その中にこのように書かれていた。




・・・あのゲッティズバーグの三分間の演説(「人民、人民、人民のために」)のとき、リンカーンが、戦時の大統領で多忙の極なのに原稿を二へんも書いたなんてことは、ワシントンの林檎の木と違って知られてゐない。・・・



私が引用した「奇妙な民主主義」は三〇年以上も前に書かれたものであるが、「民主主義」という文言が日本国憲法の中に見当たらない、と著者は仰っていた。でも、リンカーン演説(民主主義)は憲法前文に謳ってあるんですね。

「・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」



私は法学にも疎いのですが、”国民”のこの持ち上げ様は何なのでしょう。国民は、丁度、商業主義に於けるお客様、消費者運動に於ける消費者と同様に、まさに神様みたいじゃありませんか(笑)

権威は日本の歴史上、ほとんどの時代、天皇にあったのではないか。




私の記憶では、この演説とセットになっていたように思うが、多数決の原理だか原則だかを教えられた。学級委員長なんてのも子供たちの選挙であった。私事で恐縮ですが、私は小学校の間、ほとんど学級委員長をさせられた。最上級生では生徒会長までやった。何か決めるときは多数決であるが、多くの場合、私の意見は少数派であった。ほら見ろ、やっぱり俺が言った通りになったではないか、と悔しい思いを何度もした。多数意見が正しいとも限らない、ということを学んだのであった。以来、「長」と名のつくものには絶対にならない、と小さな頭で考えたのでした。

無位無官の者たちが政治に参加できない時代が悪いとも言えないでしょう。一部の者たちの為政でも、一般大衆が幸せな時代はいくらでもあったはずである。

そもそも、紅白歌合戦の視聴率並みの投票率で国民の代表が決まるというのも、私としては解せない。



先に引用したモーゼさんは民主主義を虚構概念だと言ったが、民主主義とともに戦後もてはやされてきた「反戦・平和」にしろ「差別」にしろ、私は虚構というよりもむしろ虚妄、つまり大嘘だと思う。(了)






我が家のリビングの花。





中央はサツマイモです。温かくなったら、ツルを挿し芽にして、芋を作ろうと思う。お庭のある方はぜひお試しあれ、やせた土地でも育ちます。我が国の食糧自給率を高めよう。

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[ 2012/01/07 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

奇妙な「民主主義」その1

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私はペットショップで「飯田東錦」という金魚を見て、その鮮やかな綺麗な赤色が気に入り、ほとんど衝動買いであった。今も我が家の水槽で元気に泳いでいる。金魚は長野県飯田市の産だから、飯田市にいる私の友人の名前Sと呼んでいた。

友人Sから賀状をいただいていたので電話をしてみた。そのときに金魚のことを尋ねたら、友人が言うには、飯田の地場産業に金魚養殖はないということであった。思い込みや決めつけはよくないな、といたく反省したのでした。



ところが、本日PCで金魚の画像や動画を見ていたら、「飯田」に関する説明文があった。やはり私が最初思った通り、長野県飯田市の養魚場で飼育されたものらしい。飯田琉金、飯田錦といった風に、「飯田」ブランドは小売店でも品薄状態で、なかなか手に入りにくいのだそうだ。飯田産を他所で交配して増やしても「飯田」とは呼ばない。あくまでも飯田市産の金魚でなければならない。飯田生まれで飯田育ちの人間も知らないことがあったんですね。かと思えば遠くにいる人間が知っていたりします。身近すぎて知らないこともあると、いうことでしょうか。些細なことですが、たかが金魚、でも私は二つのことを学んだのでした。


12月26日拙稿「天皇陛下万歳!」で、「奇妙な『民主主義』」を引用しました。そして12月30日の拙稿では映画「聯合艦隊司令長官・山本五十六」を観たと書きました。実はこの映画の中で、奇妙な「民主主義」の原点ともいうべきシーンがありました。マスコミは、主に新聞でしたが、海軍軍人よりもはるかに主戦論であり、”好戦的”ですらあり、国民の戦意高揚を煽った。それが終戦と同時に、手のひら返したように「これからは民主主義の時代だ」と叫ぶわけです。その横には「これからはアメリカとともに進めよう民主主義」なんてスローガンが書かれた懸垂幕があった。皮肉が効いていて、私は笑えた。そこでみんなが笑えるような流れで映画が作られていたら、もっとわかりやすくて、素晴らしい映画になったと思う。

国家存亡の戦時体制下で戦意高揚、これは当然のことであって、別に責められるべきものでもないが、戦後のマスコミの変わり身の速さは、日本人としてみっともないというか、恥を知るべきではないか。




私たちはいわゆる「戦後民主主義教育」というものをもろに受けてきたのであるが、必ずリンカーンのゲチスバーグ演説の一節を習った。「人民の(of)人民による(by)人民のため(for)の政府」と習って、そう信じていたが、どうもこの(of)は「の」ではなくて「を」と訳すべきもののようですね。



数週間前にあるサイトでこの演説が話題になって、私も一言かいたのですが、5・6年前の記事を保存版としてプリントアウトしていたのだが、その時は見つけることはできなかった。やっと見つけましたよ。↓これをご覧になってみてください。あまり長くなるといけませんので、つづきは次回といたします。




◆【正論】拓殖大学教授・藤岡信勝 リンカーン演説と「戦後民主主義」(産経新聞2007、1、13)

 ■「人民の政府」と誤訳する思想の限界

 ≪「人民の政府」とは何か≫

 1863年、アメリカ南北戦争最大の激戦地ゲティスバーグで、リンカーンは戦死者を顕彰する短い演説を行った。

 その末尾の一文に「人民の、人民による、人民のための政府」というフレーズが使われたが、これはその後民主主義の本質を簡潔に示す名文句とされ、戦後の日本でも学校で繰り返し教えられてきた。

 確かにこのフレーズは、民主主義的な性格の政府が有する3つの側面を〈of by for〉の3つの前置詞の働きによって見事に表現したものである。

 だが、1990~91年の湾岸戦争で、日本が国家の体をなしていないことを痛感した私は、その原因を戦後教育の欠陥の問題としていろいろ考えていくうちに、その一つとして右のリンカーンの言葉の本当の意味が全く教えられてこなかったことに気付いた。

 (1)「人民による政府」は政府をつくる「主体」が人民であることを表現し、

 (2)「人民のための政府」は人民の利益をはかるという政府の「目的」を示していることには何の疑念もない。問題は、

 (3)「人民の政府」である。この意味を前2者と重複することなく適切に説明することができるだろうか。不可能である。

 実は〈government of the people〉を「人民の政府」と訳すのは完全な誤訳なのである。

 なぜなら、これは「人民を『対象』として統治する政府」という意味だからである。「人民の政府」という日本語の語句をいくらひねくり回してもそういう意味は絶対に出てこない。



 ≪客体か主体か解釈論争≫

 昨年12月16日付の本紙に第22回正論大賞受賞者・佐々淳行氏への「お祝いの言葉」として右の結論だけを書いた。どういうことかとの問い合わせもあったので、少し立ち入って再論したい。

 文法的に説明すると、発生的には、まず〈govern the people〉(人民を統治する)という表現が原型にある。

 次に動詞の〈govern〉を名詞化して〈government〉と変形した。そこで2つの名詞の間の論理的関係を示す必要が生じ、前置詞〈of〉を挿入した。

 これは「目的格関係」と呼ばれる〈of〉の用法で、どんな小さな英和辞典にも記載されている。

 要するに原型において「統治する」という動詞の目的語が「人民」であったことを明示しているのである。

 ところが、〈of the people〉の解釈をめぐっては戦後日本で2大陣営に分かれた論争が展開された。

 英語学者・英文学者は当然ながら人民は「客体」であると解釈したが、政治学者・法学者たちは人民を「主体」とする政府、または人民が「所有」する政府と解釈して譲らなかった。

 例えば「主体」説をとる憲法学者の宮沢俊義氏は、右の(1)と(3)は「厳格には区別できない」と書いた。



 ≪「戦後民主主義」の呪縛≫

 論争の帰趨(きすう)はもちろん「客体」説の圧勝であった。民主主義とは「統治の客体(=人民)が同時に統治の主体でもあるシステム」と定義することもできるのだ。それなのに関係者の顔を立てて結論はあえて曖昧(あいまい)にされた。

 占領下の暫定教科書『民主主義』の訳語を批判された文部省の回答がふるっている。

 文法的には目的格で訳すべきであることを認めながらも、「それではかえってリンカーンの言葉の本質的性格を失わせるものである」とし、「国民主権をその本質とする民主主義の性格を表すためには当然ofを所有の意味に訳すべき」(朝日新聞、1949年3月1日付)と書いた。文法を無視して言葉の解釈が成り立つとは驚きである。

 人民が統治の客体であること、すなわち権力行使の対象であるという当たり前の事実を執拗(しつよう)に否定するのは、民主主義と権力は根本的に相いれないと考える日本独特の「戦後民主主義」の観念に呪縛(じゅばく)されているからである。

 国家イコール悪とされ防衛・治安問題を正面から論じること自体がタブー視された。

 映画「突入せよ!『あさま山荘』事件」に印象的なシーンがある。役所広司扮(ふん)する現場指揮官の佐々淳行氏は、新聞記者たちが十分焦(じ)れた頃合いを見計らって強行突入のタイミングを決めるよう指示する。

 「戦後民主主義」の優等生である記者たちの基準で権力行使の時期が少しでも早すぎると感じられれば、警察はマスコミに袋だたきにされるからである。

 北朝鮮による拉致問題を典型として日本社会は「戦後民主主義」の高いツケを払わされてきた。その誤った民主主義理解の克服なくして日本はまともな国家になれないことは明らかである。



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[ 2012/01/06 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)