北の花火大会

きたる4月15日、金日成生誕100年記念の大花火大会が開催される。これは天候不良、つまり

雨天順延はあっても必ず開催されるでしょう。でないと正恩大将の威信は失墜してしまうことになるでしょうから。それに、先代の遺訓に「核保有」というのがあるそうですから。



私は街の一生活者としての情報しかないが、そんな私でも一連の流れを見ていて、なんか変だなあと思うことが多々あります。北の実験はは成功するか失敗するかは別にして、(私は失敗すると思うが)確実にやる、と分かっているのに、日・米・中・露・韓は止めろと言っている。正確には「自制を促す」でしたか。そもそも本当に止めさせる気があるならば、中の鶴の一声で可能なのではありませんか。中朝国境の物流を止めれば、朝は自壊の道を転げ落ちることでしょう。北は18世紀前の世界に戻ってしまいます。

米国だって、食糧援助をストップするという手もあれば、ミサイル発射台をピンポイントでミサイル攻撃という強制力だってあるはずだでしょう。イスラエルなら確実に爆撃しますね。



ところで我が国の首相であるが、韓国で行われた核安全保障サミットに遅れて出席して、おまけに早退して帰ってきました。さすがに、自民党議員から「子供が言いそうなお粗末なことで日本の恥」とまで言われてしまいました。突拍子もない話ですが、ゴルゴ13は待ち合わせの場合には必ず5分前にはその場に行っています。これがプロの仕事師というものでしょう。小学校の一番近くに住んでいる子が遅刻するようなものでしょう。早退だって、韓国紙によれば、竹島は日本の固有の領土という文科省の教科書検定の結果発表の2時間前だったというではありませんか。この人は何をしに行ったのでしょうかね。



日本ではこれに備えて、地対空誘導弾(PAC3)を配備するという。具体的な場所までも特定された報道である。ここまで言っちゃまずいのではありませんか。北は「宣戦布告と看なす」と言ってるんですから、北の応戦、或いは先制攻撃ということはないのでしょうか。格好な攻撃目標となってしまいます。北の反撃は無い、あり得ないという前提で各国は動いているかのようです。それとも我が国では情報統制でもして、別の場所を報じているのでしょうか。



”人工衛星”の破片でも落下すれば人命に関わる、と言われるが、実は日本は迎撃するはずはない、できない、と北は読んでいるのではありませんか。物理的に不可能、また日本国内にこれに反対する人々が現われるから、という理由で。案の定、反対を主張する人々が出てきました。ちょっと早すぎました。どうせならエイプリルフールにしてほしい。破片などではなく、ミサイルそのものを撃ち落とさなければならないというのに。



そういえば、このような事態となって、6か国協議は今まで何もやってないに等しいのではありませんかね。どうも大国間(米中)あたりでシナリオが出来ているような気がしてならない。緊迫感のない黙認、暗黙の了解事項として、とりあえず正恩体制でやらせよう、と。




例の核安全保障の会議でオバマがメドベージエフに話しかけた時に、たまたまマイクがONになっていて報道陣の知ることになった。オバマが小声で「私の最期の選挙がある、11月以降は柔軟性を持つから」と言ったら、「分かってます、プーチンに伝えておきます」だって。

これは氷山の一角であって、我々の見えないところではヤラセとか何か筋書きの書かれたものがあるのではないか、と勘繰ってしまいます。それで、花火大会以降、南北の非難合戦はあっても、基本的には今までとなんら変化はないように思われます。





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[ 2012/03/30 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

さくら、さくら、桜





甲突川河畔の桜。今度の日曜日くらいが満開、花の見ごろではないかと思われる。私は午後2時ごろにここを通りがかった。花見客がブルーシートを敷いて、かなりの数、夜のための場所取りをしていた。この時間にどのようなお仕事の方々でしょう、と想像してしまうのですが、中にはスーツを着た人たちが数人どっかりと腰を落としていた。シートが風に飛ばされないように、重石代わりに座っているようにしか私には見えない。







大勲位・松方正義像の左下にその人たちが写っていました。私の勘違いだったのかなあ、学生さんぽいですね。物体(重石)ではなかった、人間でした。











我に奇策あるに非ず、唯、正直あるのみ。

いい言葉ですね。不肖うさぎ屋もかくありたい。



ところで、「正直」で思い出しましたが、東京電力という会社は何ですか、韓国企業ですか?

すでに報じられているように、大口契約者に対して17パーセントの電気料金値上げを通告してきたんですね。それに応じない企業には他の電力会社(新電力)を紹介するのだという。東電と契約しなければ、いずれは供給ストップということになる。

新電力会社も送電網は持たず、送電線を東電から高額で借りるから、電気料金はそれほど安くはない。



東電は自社の財産を処分するなり、リストラなりの企業努力はしたのでしょうか。それでいて、債務超過を回避するために1兆円の公的資金の導入を国に申請している。さらに原発事故の賠償費用約8500億円の追加支援。総計3兆5000億円にも上る。簡単に国から、と言いますが国とは我ら国民の集合体ではありませんか。よく東電の殿様商売と言われるが、かつての「親方日の丸」「護送船団方式」よりもタチが悪い。桜咲く美しい日本には似つかわしくないような、まるでチョンさんみたいじゃありませんか。



この冬も何人の人たちが電気を切られて孤独死をしましたか。命綱ともいえる電気をいとも簡単に切りやがって・・・血も涙もないではありませんか。私はリタイアしたら、電気・ガス・水道料金を払わずにそれらをストップされてもなお生きてやろうと思う。将来、「平成の岩窟王」と呼ばれ、ワイドショーで放映されたら、それは私でありますので、ご記憶ください。お前らが供給ストップしても、俺は痛くも痒くもない、てやんでい、と言ってやりますよ。

時たまゴミ屋敷の住民が話題になりますが、実は、私は頑固な主張という点で彼らに共感できる面もあります。勿論、ご近所迷惑は絶対によくありませんが。



え~と、何の話でしたっけ(笑)

正直な国民が馬鹿を見る世にしてはならない。





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[ 2012/03/29 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

知覧へ行こう(4)

鹿児島ー台北定期便就航しました。地元TV局各社は台北にクルーを送り、今夕のTVはどこを見てもさながら台湾特集であった。就航レセプションの様子を伝えるものが多かったが、宜蘭県を紹介したものもあった。私の曖昧な記憶では、この県は台北から車で30分といってましたか、鹿児島と縁が深いところだそうだ。



宜蘭の初代庁長は西郷隆盛の息子・菊次郎が5年間務めたそうだ。現地のガイドさんがおっしゃっていましたが、その時に学校、上下水道、道路などを造ったという。なかでも2キロメートルにも及ぶ堤防は今も在り、洪水を防いでいるのだそうだ。日本軍の格納庫の跡もありました。神風特攻隊の慰霊碑もありました。鹿児島のTV局のアナウンサーが、「特攻の基地は鹿児島にも知覧や他にもいくつかありますよ」と言えば、「そうですか、知覧にもありますか」と地元のガイドさん。



私はふと考えたのですが、来年の5・3は知覧の慰霊祭の後、台湾へ飛ぶということもいいかもしれませんね。鹿児島から台北までは2時間だそうですから。








昔も今も、日本の若者たちの任務に対する志は清く尊い、そして美しい。特攻を美化してはならない、という人もいますが、私は我らの祖父母や父母のやってきたことを美化してどこが悪い、と言いたい。


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[ 2012/03/28 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

アイヌ民族党、その後!

私の友人のKさんの素晴らしい文章を紹介したい。Kさんは北海道道民にして”花の23年組”。そして渓流釣りはプロ並みの腕前。はたして渓流釣りにプロが存在するのかどうだかわかりませんが、一流ということでご理解いただきたい。釣行は単独行であり、釣り糸を垂れ、何を思いながら川面を見つめていらっしゃるのでしょうか。私の軽薄な趣味人としての推測では、それはもう「無心」であるに違いない。うつせみの世の苦悩をしばし忘れることでありましょう。その後ろ姿から想像する、いかにもKさんらしい文章である。











アイヌ民族党は、予定通り札幌市の隣町の江別市民会館で結党大会が行われました。ニュースでは100名程の来場者と言われていましたが、テレビの画面を見たところそんなには居ませんでした?。鈴木宗男さんが仮出所したのが、影響しているのかな~?です。アイヌ問題が世間に出るたびに、私の心は複雑になります。北海道に生まれ、そして住んでいる以上は、彼らとは何らかの繋がりが生まれ、そして付き合いが自然に出来ます。小中学生の時にも、クラスに居ました。言わなくても判ります。ズングリむっくりで、毛深くて、勉強は出来ないし、喧嘩っ早いし、家は貧しいです。祖父の時代まで、川に鮭を獲りに行き、山にヒグマや鹿を獲りに行っていたのですから、文明開化だから勉強して農業をしろとか、会社員になれとか言っても,それは無理な相談です。何千年の昔から、漁労採集・狩猟をしてきたので、民族のDNAは直ぐには変われません?北海道の歴史を紐解けば、彼らが辿ってきた歴史は正直に悲惨です!平安時代に「平将門の乱」で、負けた兵三千人が蝦夷地に逃亡して、雪崩込んだのが始まりです。室町時代後期には「コシャマインの乱」があり、江戸時代の初め寛文9年(1668年)には、「寛文蝦夷蜂起」の「シャクシャインの乱」が有りました。二枚目の写真はシャクシャインの銅像で日高にあります。当時、蝦夷は和人が10万人で、アイヌは50万人でした。江戸時代の商人は、それは酷い連中でした!騙す、とに角騙す!彼らには文字が無い為、数字の概念も無い?それを好いことに、騙す商人がたくさん居ました。そうです、商人はあの地の方たちです。歴史上百戦錬磨の商人です!赤子の手を捻るより簡単でしたでしょう?最初は松前藩が差配していましたが、武士の商法でへたくそで、次第に商人に任せるようになるのです。騙す?あれですよ!始め、そして1,2,3~10終りです。結果10匹の代金しか支払わない!幾らなんでも判りますよ!そして、

米一俵の中身も次第に減らす?最後は半分になり、此れには、ほんとに怒っていました。最終的には、江戸幕府は松前藩に任せていては、蝦夷地はロシアに侵略されるとの危機感から、文化4年・1807年に直轄支配にします。前年には利尻島及び択捉島に彼らは上陸して殺戮を重ねています。一時期、松前藩は福島県に移封されています。それくらい、幕府には信用が在りませんでした。アイヌと仲良くしないで、搾取と圧政です!上の写真は津軽藩が知床・斜里に100名余を派遣(文化4年・1807年)して、一冬で72名が遭難死亡する事件の慰霊碑です。これも、アイヌの意見を無視する事から起きた事件です。アイヌの言葉を聞いて、越冬の準備をすればこんな事は起きなかったのです。つまり、アイヌを馬鹿にして、蔑んだ自業自得の事件です。アイヌの人が、食料や毛皮を持ってきても、追い返す有様でした。冬に着物姿では寒すぎます?当時は、地の果ての知床ですよ~!浮腫病や壊血病です。そして、凍死です?この事件は津軽藩にとっても恥ずかしい事件で、秘密にされていました。戦後の昭和29年に神田の古書街で、遭難事件を記録した「松前詰合日記」が発見するまで、故郷の津軽でも誰も知らなかったのです。また江戸の学者がたくさん来て調査をしましたが、彼らの助けが無ければ、何も出来なかったのですが、いかんせん彼らには文字が無い為、それらを証明する事が出来ません!間宮林蔵は満州まで調査に行き、「アイヌ錦」の交易場を見て、彼の地は清国が支配しているとの報告書が幕府に提出されております。多くの調査の結果、幕府は北辺防備が国家の重要事項と認識して、多いときは東北諸藩から四千名の兵を稚内からオホーツク沿岸に派遣していました。巷間、幕府は無能とかバカとか言われていますが、する事・遣る事はきちんとしていました。

少なくとも、今の政府よりは立派ですね!俳優の「宇梶剛士」さんは、アイヌ民族の出身です。彼の親戚は馬産地の日高に居ます。彼は新宿で生まれたそうですが、彼の母親「宇梶静江」さんの名前を左翼人士の中に見ると、私は辛くなります!また利用されているのか?騙されているのではないかと、気になるのです?江戸幕府も明治政府も彼らには何らその協力に対して、見返りをしていません!したことは「旧土人保護法」を施行して、鮭を獲るな熊や鹿を獲るな~です!そして、アイヌの若者15名位を東京に派遣して、勉強をさせましたが無理でした?慣れない土地の為、病死者が半数近く出て中止になり、其の慰霊碑が確か板橋区か豊島区にあります。また農地を給付するから農民に為れといっても、それも無理でした?何千年にも渡り漁労採集・狩猟民族ですから!其の農地も酒一升と交換という愚かな騙され方をしたのです。開拓史は戸籍を作成して、兵役は普通に行われました。父が旭川第七師団に入営したら、アイヌの人が多く居たと話しておりました。彼らも、203高地・ノモンハン・ガダルカナル・そして沖縄戦では800名の戦死者を出してます。それでも、彼らは一言も文句を言ってませんね!沖縄人のように金よこせなんて、一言も言ってません!ただ黙々と「日本人」としての義務を歴史的に果たしております。北方領土問題で、ロシア中央政府は言いませんが、下級政府は北海道はアイヌの土地で、日本人の土地ではないと叫んでいます!アイヌのお陰でこの地に住んでいるのが現実です。明治の頃、我らの祖父母の移民を受入れてくれたのです。アメリカインデアンのような戦いには、なっておりません。だからこの地は日本国になりましたし、ロシアの南下を防いだのは、彼らのお陰です。彼らのお陰で、津軽海峡が国境線にはなりませんでした?北海道の農林水産物がたくさん内地に送られるのは、彼らが我らの御先祖様を受入れてくれたからです。

そうそう、アイヌ民族党の党首は「萱野茂」の息子さんです。萱野茂氏は、むかし補欠で繰上げ当選した、社会党の参議院議員で、残りの任期を四年くらい勤めました。当時、アイヌ社会でも「社会党」で、いいのかと問題にはなりました!私も、当時それでいいのかと、思いましたが?



付記

アイヌ協会の幹部は、道民の相当数は何らかの形でアイヌの血を引くと話していますが、思い当たる事が身の回りにもあります。

むかしから、そう特に明治からは「シャモ」に騙されたと話します。シャモとは、「和人」を意味します。

 悲しいかな、蝦夷地には彼らの政権や王権は建てられていませんでした。ただコタン(集落)に住んでいただけです!法的に言えば、無住の地ですね。

ですから、何らかの形で感謝の意を表したいのですが、彼らは「金」「女」「酒」にだらしないのが、有名です?管理できないのが、本当ですね!

それにしても、幕府役人は素晴らしい仕事をしておりました。さすが、当時のエリート官僚は違いますね。公平無私で、そんな僻地まで出張ですか~?

よく幕末の幕府中枢はアホとか馬鹿・無能と言われますが、こと北海道では素晴らしい業績を残してくれました。できたら、アイヌの人々に、報奨金を出して欲しかったです!今からでも遅くないし、出来たら「陛下」から、ねぎらいの「お言葉」があれば、最高です!兵役の義務は立派に果たしましたから! アイヌの事を話せば限が在りませんので、これで止めます。 お人好しで、アホで裏表が無く、すぐ騙されるのが、彼らです!

尚、宇梶剛士さんの名前は仮名にするつもりでしたが、俳優として大活躍しておりますので、あえて書きました。

よって、一ファンとして今後の活躍を祈念しており、他意はありません!

母上も市民運動家で政治的発言や活動をしておりますので、書きました。勿論、他意はありません。健康と長寿を祈念しております。

アイヌ協会及び関係者の皆様におかれましては、今後益々の発展をお祈りしております!  一道民より!





神話・伝説・昔話の区別をしておきましょう。神話とは神に関する物語であるということのほかに、神聖な物語として広く民衆に信じられていたこと、社会の規範を示すものと考えられていたもの、つまり宗教性、社会性、規範性をもつことが条件であるという。伝説は宗教性が減じて知的な興味が主になり、社会性(民衆性)が減じて一地域だけの特殊な物語となり、さらには規範性を持たず、特定の事物と結びついて、たとえばその由来を語るという具体性を増す。昔話はもっぱら知的興味だけの伝承といってよいだろう。話し手も聞き手もこれを事実と信じているわけではない。これが古代史学の常識らしいです。



世間には神代も人代も混同してしまってる人もいるようですね。○○文明の方が古いと言われても、現代の民族の優秀性とか誇りには何ら関係はない。つい、我田引水のうさぎワールドに飛躍してしまいましたが、それで、上記引用文は何であるかと言えば、一見勘違いしそうな神話でも伝説でも昔話でもない、それは歴史だと私は思う。

この文章の内容について、拙ブログの当初よりの方針として、いわゆる「とりまとめ」はいたしません。アイヌの歴史の真実は、こここを訪問くださった、聡明なる読者諸兄の心の中にのみある。なんちゃって。





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[ 2012/03/27 ] 未分類 | TB(0) | CM(1)

自民党も嫌いではありません

ローカルな話題で申し訳ありませんが、自民党新政会・鹿児島市議会議員団のホームページ「小森こうぶん」より引用。



・・・若い人々のエネルギーも大事であり、必要である。しかしその前に日本の歴史、日本の持つ良いところの風習も知るべきである。それには、知恵と経験を持った人々を選び、その人々のエネルギーを活用し鹿児島を盛り上げつつ、若い人々へ繋ぐべきである。今や鹿児島は成熟しつつある。成熟してきてはいると思うが、現実的な社会行動は未熟そのものであるように感じる。今、その未熟さに気付き、立ち上がるべきである。先ずは景気回復と働く場所の確保であろう。



私たち自身が鹿児島に対して「誇り」を持つことではないだろうか!私たち自身が「誇り」を失っているような気がする。

誇りを取り戻す為には、私たち自身で考え、参加し「まちづくり」をしなければいけない。(以下省略)



私は「日本の歴史」や「良き習慣」そして「誇り」といった言葉で語る議員は好きだ。前稿で自民党総裁を揶揄したのですが、決して自民党も嫌いではありません。

日本の歴史、伝統、文化、つまり日本人のアイデンテティを大切にするということでしょう。それには誇りを失ってはならない、と私は思う。各人の根底に誇りを持ち合わせていなければ、日本人の雄々しさも美しさも半減ではありませんか。



20日、春分の日、私はあいにくと仕事であった。市内を車で走ったが、残念なことに国旗を掲揚している家は無いに等しい。ところが市内のある町ではチラホラとではあるが、国旗がはためいていた。なぜこの地域は国旗が多いのだろう?と考えてしまいますよね。私なりの結論が出ました。

この町には日本共産党鹿児島県支部の事務所があるんです。ご近所であれば、赤旗の購読勧誘などもあることでしょう。アンチテーゼとして、立場を明らかにしているのではないでしょうか。今の自民党は現政権や橋下維新のアンチテーゼにすらなれない。でも、立派な地方議員もいるから嫌いではありません。

あ、共産党関係者に怒られそうですね。共産党も悪くはないんですよ。ただし、「天皇」「自衛隊」について綱領を正反対に変えれば。蛇足ですが、そうすれば共産党が共産党でなくなりますね。



4月には市議会議員選挙も始まりますので、そうすれば特定候補に対することも書けないでしょうから、今、申し上げておきます。小森こうぶんに6選を果たさせてあげたいものです。





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[ 2012/03/26 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

つもりのつもり





鹿児島税務署横の桜。昭和8年に建てられた鹿児島地方気象台も、平成13年に桜の木を残して他所へ移転し、跡地には税務署が出来た。この桜は標準木だったという。ローカルTVのニュースで知り、家の近くでもあるので、さっそく見に行った。私は咲いてる花を10輪以上は数えました。気象台がこの地にあったとしたら、当然、”開花宣言”でしょうね。

かと思えば、東北では大雪だという。こちらは黄砂です。嬉しさも中くらいですね。有害物質が飛来してくるのですから、やはり大陸も日本が統治しないといけませんね(笑)



夕刻、友人が掘りたての筍を持ってきてくれた。丁度、夕飯に間に合って幸運であった。筍ご飯、刺身にして、そして調理中の豚汁にも入れた。刺身は酢味噌に山椒の若葉が最高の組み合わせであるが、家の山椒の木は残念ながら枯らしてしまった。山椒の木を育てるのは、意外と難しいですね。お味の方は、初物であるので格別に美味しい。

そんなわけで、我が家の夕食では珍しく「おかわり~」の連発であった。日本の四季、旬、いいですねえ。こんな素晴らしい国はどこにありましょうか。




さて、当地では20日にはなでしこのチームと米国女子チームとの練習試合があった。私は川澄選手を見たくて、この試合を観戦するつもりでいた。また、21日、高校野球の第三試合のダルビッシュ対決だけはTVで見るつもりでいた。しかしながら仕事の都合で、どちらもできなかった。人はよく「つもり」或いは過去形で「つもりだった」と言うが、その「つもり」の裏側にある意図や背景を直感的に分かることがあります。最近ではAIJ投資顧問の社長が「あと100億円あれば挽回できたのに」などと「つもり」を嘯いている。その直感が正しいかそうでないかは別として、たとえばこんな・・・。



「ヒトラーが出てきた時もそういう雰囲気だったのだろう」 谷垣氏が橋下氏の大阪維新めぐり警鐘

自民党の谷垣禎一総裁は18日、橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」の国政進出に期待が高まる政治状況について、戦前に日本軍部やヒトラー、ムソリーニが台頭した際を想起させるとの観点から警鐘を鳴らした。

 京都府内で講演し「政党政治が駄目だということで昭和10年代に日本で軍部が出てきた。ヒトラー、ムソリーニが出てきた時もそういう雰囲気だったのだろう」と述べた。

 谷垣氏は、維新の会について「(事実上の次期衆院選公約である)維新八策はいろいろ問題点があり、方向性が明らかな政党になるかは未知数だ」と指摘した。同時に「既成政党に期待しても無理との気分があるから、第三極が期待を集めている」と分析。「軍部やヒトラーらが出てきたのは、既成政党や議会政治では物事を処理できないと多くの国民が思った時だった。議会政治家はそれを十分に意識し、国民の批判を受け止めなければいけない」と力説した。(2012.3.18産経新聞)




「国民の批判を受け止めなければならない」ということを言うつもりだったのでしょうが、「昭和10年代の軍部、ヒトラー、ムッソリーニ」、これは何ですか。まさか軍部の独走と仰っているのではないでしょうね。当時はそんな単純なものではなかったのではありませんか。そもそも日本の軍部をヒトラーやムソリーニと同列にすること自体が、日本の保守である自民党の総裁の頭の中身を疑わざるを得ない。かつてネット上で「ハニートラップ谷垣」と呼ばれていたことを思い出しました。また、韓国のお笑い王・ノ・ムヒョンさんを思い出してしまいました。

ノ・ムヒョンはヨーロッパに行き、首脳会談の相手かまわず「日本はドイツのように戦争の反省と謝罪がないニダ」と言ったんですね。相手国首脳はウンザリした表情をしたと言います。ヒンシュクを買ってしまった。どうやら、谷垣さんも韓国のお笑い王と似たような歴史認識の持ち主だったようです。



どうせ9月以降はタダの人、過去の人となる方ですのでどうでもいいのですが、でも、この人には美しい日本の空気すら吸わせてあげたくないですね、私は。





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[ 2012/03/25 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

お久しぶりね

マイペースで気楽にやる仕事ならいいのですが、期限を区切られたり、突発的にトラブル発生したりでする仕事は大変ですね。お気楽が一番いいのですが、気苦労が多ければ、ストレスが増えて、しまいには体調まで崩してしまいます。その悪いコンディションの中で、それでも、どうしてもやらなきゃならない仕事は本当に辛い。



年度末ということで、予算消化の駆け込み発注などと非難される公共工事があります。しかし、受注した業者もご苦労されていると思う。やっと受注できたのに工期は短い、年度内に済まさないと集金も6月以降になるかもしれません。4月になれば役所の担当者も定期異動でいなくなり、代わりに事情を知らない担当者でしょうからね。そういう工事の下請け、孫請けの職人さんたちも気苦労の多いことでしょう。そして、その工事が済めば、次はいつ受注できるかわからない。東北の復興景気を作り出さないと、地方の建設業は壊滅しますね。



東北の瓦礫を広域処理と言ってますが、これでは景気は創り出せない。考え方が間違っているのではありませんか。そもそも過疎の村や町であったんだから、土地はたくさんあるはずです。県内で処分できないものでしょうか。処理能力がなければ、突貫工事で処分場を県内に作り、しかも短期間で予算も消化しないと景気のカンフル剤にもなりません。当然、処分場建設工事、瓦礫処理とうで雇用は生まれるでしょう。県外への運送費もバカにならないでしょう。10トンダンプがどんだけ走らなければならないか、電卓ひとつで答え一発ではありませんか。



それにしても、1年も経ったというのに瓦礫の処理の進捗も進まないとは、情けない限りである。平常時に起きないようなことが起こってしまったのだから、それに対応するには通常の手法ではダメでしょうよ。すべてが遅い、遅すぎる。




留守している間に甲子園では21日から高校野球が始まりました。選手宣誓役を石巻工が引き当てたことにも驚いたが、見事な宣誓には日本国中で涙したのではなかったか。大人の作文ではなくて、高校生らしい現状認識で決意を語ってくれた。石巻工に勝ち進んでもらいたいなあ、と思ったが、皮肉にも初戦は鹿児島の神村学園であった。え、それで・・・私は今も複雑な心境です。



開会式の入場行進はいつ見てもいいですね。いつも思うのですが、保守団体の街宣デモもあんな風にできないものですかね。最高にアピールできると思いますよ。気分の高揚、そして何よりも美しい。保守とそうでない人との違いは美醜にあるんですね。東海(トンへではありません)に赫々と昇る旭日の美しいこと。どんな立派なことを言おうとも、勿論、美しいのは保守です。反日・左翼と言われる人々は醜悪そのものですね。この際、人を見た眼で判断していいとも。(タモリを思い浮かべたあなたはかなりのTV通。)



ユニフォームを着てはいないけど、今大会には他に二校が出場しました。開会式の司会役の女子高校生です。








第84回選抜高校野球大会の開会式で、司会を務める鹿児島県立甲南高校の緒方桃子さん

(2012,3,21産経新聞)



綺麗な声でしたね。賢そうな顔をしてますねえ。我が妻と娘の母校でもありますが、うちの姫たちもかつては、こんな可愛いかったのでしょうか(大笑)





20日、南洲翁異聞の制作スタッフの井上聡一さんがご逝去された。享年55歳。故人は確か、俳優の榎木孝明さんと同じころに県立大口高校に通ってらっしゃったはず。あまりに早すぎた。私とは共通の友人・知人が多く、話題は多かった。歴史四方山話に花が咲いた。時はまさに春、これから咲き乱れる花々を見ることなく逝ってしまわれた、またお会いするのを楽しみにしていましたのに。

心よりご冥福をお祈りいたします。





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[ 2012/03/23 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

花売りの少女と日系米国軍人

「週刊新潮」2月16日梅見月特大号、掲示板のページにこんな記事が載っていました。

朝鮮戦争の米軍海兵隊員として、1951年5月、米国から釜山へ。途中、横須賀に寄港。ある夜、船に戻ると、船着き場で10歳前後の少女が造花を売っていました。造花を全部買い、二度と夜中に来ちゃ駄目と言って別れました。ところが翌日夜、また少女がいたので叱ると、母親を連れてきて、前夜の御礼を述べ、”無事のご帰還を祈っています”と。母子の名前は知りませんが、帰還できたのは彼女たちのおかげと思っています。少女の消息を知りたく存じます。ロバート・ワダ(朝鮮戦争日系米人退役軍人会・南カリフォルニア支部長)



日本人母娘と日系米国軍人の心温まるいいお話しであり、この人たちが再会を果たされたらいいなあ、と私は願うのであります。でも、それだけではありません、簡潔な文章の中にも凄いことが書かれているのだと思う。。



実はこの少女は私と同世代だと思います。また、母親も我が母と同じくらいでしょうね。思い返してみれば、我らも小学生のころまでは貧しかったのだと思う。裸足で学校へ来てる子もいました。霜柱の立つ校庭で朝礼がありました。私は靴は履いていたけど、靴下は私もほとんどの子供も穿いてませんでした。靴下は中学生になってから穿くようになりましたね。

運動会でも裸足で走っている子もいました。運動会の服装も真新しい下着のパンツにランニングシャツでした。女子はブルマーでしたが。運動会が済んだら、それをそのまんま破けるまで、また醤油で煮しめたような色になるまで下着として使ったのでした。



子供たちも家でお手伝いをしていました。井戸の水汲み、畑仕事、牛や馬の世話、子守、お買いもの・・・。私の学生時代、友人に足に傷のある男がいた。聞けば子供のころに農作業の手伝いをしていてマムシに咬まれたのだという。マムシは動物のように歯や顎で噛むのではなくて、口を大きく開いてぶつかってくるそうですね。だから、マムシの咬傷は釘で刺したような痕が四つあるそうですね。そいつの場合には医者が切開したのかもしれません、そのような傷痕でした。

指が一本途中から無い男もいました。「お前ね、小指だったら迫力あったのにね、どうしたの?」子供のころ、牛や馬に餌を食べさせるのがそいつの日課だったという。藁を裁断する刃物で自分の指を切り落としてしまったそうだ。私は何とも軽薄なことを言ってしまい、それで10年くらい悩みましたよ。

我らはなんとか食べられたのですが、もっと貧しい時代もあったんですね。




花の他にマッチ売りもあったし、靴磨きの少年もいたし、花売りならぬ春売りもありました。

生糸が売れなくなれば、紡績工場が困る。そこで働いていた農家の娘は失業します。養蚕農家も貧乏します。凶作にでもなれば村のみんなが貧乏のどん底でしょう。すると、飯が食える仕事で綺麗な着物が着れて、とりあえず家族全員が飯が食えるから、ということで娘の身売りということもあったでしょう。どこの親であろうとも、娘を売春婦にしようなどと思う親はいないのだが、極貧がそうさせるのでしょう。また、ある村では出征する息子に親が「死んで帰ってこいよ!」と言った。死ねば国からなにがしかの金が出るからだという。こんなことを言う親はいるはずがない、ということは子を持つ親でなくとも十分に分かっていることではあるが。

真の貧困とはこういうものなのではなかったか。我らは「戦争を知らない子供たち」と呼ばれたが、今や「貧困を知らない子供たち」が大人になってしまったようだ。




一方、日系米国軍人の皆様も大変なご苦労をされた。米国での有色人種・日系人に対する差別は酷かった。日系人移民排斥運動も日米開戦の遠因のひとつであったかもしれません。大戦中も200名くらいの日本人が訓練に連れて行かれたという。その訓練は軍用犬に日本兵を襲わせるためのものであり、彼らは実験台にされたんですね。それでもヨーロッパ戦線で戦い、その後も朝鮮戦争、ベトナム、イラク等でも日系人は戦った。同じ日本人の血が流れているものとして誇りでもあります。昨今の朝鮮系日本人とエラい違いですね(笑)



で、「神も仏もあるものか」というわが身の不幸や不運、貧乏を嘆いたり呪ったりするときのフレーズがあります。あの日、横須賀のあの暗い夜の港の天上高く、どなたかが母子と日系米国軍人を見ていらっしゃったのではありませんか、きっと。




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[ 2012/03/19 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

我が家の春

長い人生で、「わが世の春」というものを一度くらいは謳歌してみたいものですね。諦めている訳ではありませんけど・・・なかなか。それでも季節は廻り、我が家にはささやかな春が訪れました。ささやかな春は広く万人に等しく来るようです。

今日、お昼前になって、金魚の餌やりにリビングへ行ったら、すごくいい香りがする。山川報歳蘭の一番下の方に二輪だけ開花していました。川中美幸さんの歌に「二人は二輪草♪」なんてのがありますが、二人は二輪花なのでしょうか、昨日は私たちの結婚記念日でした。ま~た、訳の分からないことを言っているようです。

そもそも報歳とは歳を報せるということらしいですね。情けを報せるのが情報でしたっけ、TVコマーシャルによれば。報歳は新しい年、旧暦のお正月を告げる意味らしい。それで、結婚記念日を報せる花であるかどうかは、これから先何年か観察してみなければなりません。これまで、こんなこと考えもしませんでした。



この蘭はほとんどベランダに放置したままであった。夏場は日陰だが、冬は陽が長いので直射日光が当たる。葉が陽に焼けたのか大分痛んだ。それに、葉に虫がついてしまった。もう今年は諦めていたが、花芽が二本でたので、つい最近になり室内に入れた。花が咲いてしまえば、かなり長い間芳香を放つ。どのくらい日持ちするのか、これも今年は監察することにしよう。
















今年は紫欄が芽を14本出した。去年までは11本が最高でした。これは10年くらい前に、他人様のお庭から数株いただいてきたものだ。画面には写っていないが、茗荷も2センチほどの芽を出した。

画像左にあるのは、先だって蒲生町「くすくす館」で購入した椎茸の原木です。ナメクジが気になりますが、雨が降っていたので外に出してみました。

右の方にあるのは万両と鹿児島では「けせん」と言われるものです。いずれも山から引っこ抜いてきました。けせんとは気仙と書くのでしょうか、ニッキですよね。ニッキをお分かりでない方には、シナモンと言えばよろしいでしょうか。この葉で両面を挟んだ「けせん団子」というのを作ります。我らの子供時分には、根を洗って表皮をかじってました。何本か輪ゴムでまとめて、駄菓子屋で売っていました。



団子といえば、「かからん団子」というのがあります。団子を包む葉を「かから」というのかな?違うかも。正式にはサルトリイバラという植物のようです。これは秋になると赤い実をつけます。ドライにして飾り物に最適ですね。私はこれも山から採って、自宅庭に植えてみましたが、失敗しました。これはかなり根が深いのです。根こそぎ掘り出して持ってこないと根付かないようです。つい、饒舌になってしまいましたが、早く春になればいいのに、ねっ。



朝7時半ごろ家を出た日でした。カーラジオ、FM放送で「昭和44年のヒット曲特集」というのをやってました。由紀さおり「夜明けのスキャット」、ビリーバンバン「ミドリーヌ」そして↓この曲が流れてきたら、私は涙が出そうになりました。ではみなさま、良き休日を!








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[ 2012/03/17 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

知覧へ行こう(3)



(画像は元は映画のポスターでしょうが、私のお友達のSさんからお借りしました。)



知覧特攻慰霊顕彰会から案内状が届きました。前年に参加された方々にもすでに届いているはずです。当日に受付をしてもいいのですが、あらかじめ同封のハガキで出欠を返信していたほうがいいでしょうね。私は私以外の参加者数を記入してから返信しようと思います。



第58回知覧特攻基地戦没者慰霊祭

平成24年5月3日(木) 受付11時より 受付場所 南九州市知覧体育館

慰霊祭13時より(15時30まで) 慰霊祭場所 知覧特攻平和観音堂前(特設テント)



式次第については、私は去年の資料が見つかりませんが、去年参加された方、教えてください。

平和会館(歴史資料館)の見学もありますので、今回は10時30には知覧に着くようなスケジュールでいかがでしょうか?いつも見学時間が少なかった、というご意見を頂戴しています。慰霊祭参加者は入館料(500円)は不要です。何度出たり入ったりしても無料です。受付も慰霊祭会場も資料館も同じ敷地内にあります。参加者には簡単な昼食がでますが、敷地内にはレストランも何軒かあります。

受付で香華料をお渡ししますが、事前に準備されてもいいし、受付に簡単な袋がありますので、これをいただいて、勿論、中身は各人が入れることになります。お気持ちでしょうが、私たちの仲間は2000円~1万円の間だったように思います。任意なのですが、参会者には知覧茶の新茶やお菓子、昼食、献花、資料館入館無料ということなどを思えば、やはりお気持ちを包むべきと考えます。



先の大戦の300万人の尊い犠牲の上に今の平和がある、と言われます。我らはその犠牲者の子孫であり、同時に遺族でもある、と思わざるを得ません。特攻の若者たちが機上から見た、あの新緑燃える知覧の地へ行きましょう。




茶谷武陸軍伍長は学徒出陣。陸軍に入隊し昭和20年4月23日、比島ルソン島にて戦死、享年22歳。そのご遺書。

私の肉体はここで朽つるとも、私達の後を私達の屍をのりこへて、私達を礎として立ち上がってくる第二の国民のことを思へば、又これ等の人々の中に私たちの赤き血潮がうけつがれていると思へば、決して私達の死もなげくにはあたらないと思います。

日本に生まれた者のみに許される永遠の生に生きる、ということがいへるのです。(靖國神社編「大東亜戦争終戦50年展」の記録「散華の心と鎮魂の誠」展転社刊より)





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[ 2012/03/15 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

女性白バイ隊員





いつぞやのお昼頃、ここはナポリ通りですが、直進していけばパース通りへ繋がる。鹿児島市はイタリアのナポリ市、オーストラリアのパース市と姉妹都市なんですね。私の前を女性白バイが走っていた。

この女性は美人なの?と仰る方がいますが、それは言わない約束でしょ?

はて、どこでどなたとそんな約束しましたっけ。でも、こんな会話はよくありそうですね。「やっぱり、男も女も顔じゃないよ、心だよ。」「そうよ、男は顔じゃないよ、お金でしょ、稼ぎでしょうが。」「な~にを、バーカ」「馬鹿とはなによ、馬鹿。」「馬鹿とは何よとは何よ、馬鹿」「馬鹿とは何よとは何よとは、え~、もうめんど臭い、馬鹿、馬鹿、馬鹿。」数えきれないほどの「馬鹿」を頂戴するのは、いつも男なのであります。ついでに「いやぁ~ん、馬ッ鹿ぁ~ん」なんて言われたりして、一体、この男女はどういう関係なのでしょうか。どういう二人であるかは、ここをお読みになる各々方の心の中にのみありますね。




え、ほんで、鹿児島県警並びに全国の警察官の皆様、お仕事ご苦労様です。私は警察の精鋭部隊に出遭えたら、我が幸運に感謝です。一日中嬉しい。最近では警察官も志望者が多くて数十倍の競争率だという。そして白バイ乗りになろうとすれば、また難関を突破しなければなれない。特に女性の場合は狭き門でしょう。実力があっても、欠員がなければ募集もないでしょうから、女性は運も実力のうちに入るのかもしれません。この人たちも危険と隣り合わせのお仕事であるが、単にバイクが好きなだけでは勤まらないでしょうね。やはり使命感といいますか、世のため人のため、という意識をお持ちなのですね。



消防署なんかもそうですね。私は最近仕事の関係で通う途中に、消防総合訓練研修センターというのがあります。ちょっとした小学校ほどの広さがあります。私は車を停めて、たまにはフェンス越しに訓練を眺めるのですが、大きな声を出してきびきびとした訓練をしてますよ。ここは土曜日も日曜日も関係なくやってますね。

この他にも、「海猿」や海上自衛隊の海難救助隊とか、陸自の不発弾処理隊等々あるでしょうが、これらに志願者が多数いるのだという。世の年老いた者の常として、いつの時代にも「最近の若者は・・・」と言われたのであるが、私は今の若者も捨てたものではない、と思う。




職業に貴賤はない、と言われるが、私はあると思います。どのような仕事であろうとも、「世のため人のため」という気持ちを少しでも持ってやる職業は貴い。自分の金儲けのためだけに働く人は賤しい。東大出ていいところに就職、なんて世の中の人がみんなそんなんじゃ、日本はどうなるのでしょうね。「世のため人のため」、それはともかく「国家のため」と言っても過言ではない。すると左がかった人たちから、右翼・軍国主義者なんて言われてしまいそうです。でも、左の人たちが世のため人のため何をやってきたんでしょうね。



そんなことを考えていたら、白バイは次の大きな交差点を右折していった。これまでの話の内容からすれば、左でなくてよかったのであるが、さすがコーナリングの上手いこと、ほれぼれいたしました。そのお尻の振りかたが例え様もなく・・・美しい。





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[ 2012/03/14 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

あれから一年・・・。

私事で恐縮ですが、去年の今頃は私はギックリ腰をやってしまい、一週間の安静が必要ということで、自宅で寝てました。腰痛の経験のおありの方にはお分かりのことでしょうが、あの激痛には身動きできません。食事はどんな格好してでも食べられますが、トイレには困りました。

それで、終日、寝たままの姿勢で、リモコン片手にTVを観てました。寝たきりの生活二日目が3・11でした。



その時、番組の途中で地震の情報を伝えてました。同時に、机の下などに入れとか、外に出るときの注意、火の始末をお忘れなく、とか何度もアナウンサーが言ってました。津波の恐れがあるので高台に大至急避難しろ、とも言ってました。とにかく、TVの前でボーッとしている人でも事の重大さに気づくようなアナウンスでした。そしてどこのチャンネルも災害報道番組に変わった。最近は偏向報道で、とかく非難されるマスコミであるが、そして、誰も言わないだろうから私が言うが、この時のテレビの対応は良かったと思う。有事の際にもこうあってほしいもの。



すぐ逃げろ、と言っても私のように動けずに寝ている人はどうなるんだろう?身につまされる、というのでしょうか、自分にとっても切実なことを考えてしまうんですね。奥さんが働いていて、自宅に一人で寝ているご主人はどうなるのでしょう。TVも見てなかったら、何も知らずに津波に呑み込まれてしまうことでしょうし、TVを見て知っていたにしても、同じ運命ですね。30分後の我が運命を知らずに突然死んでしまうか、知って残りの30分をいかにして過ごすか、人にもよるでしょうが、私は後者は嫌です。

長年寝たきりの人は「いや、もういい、俺は逃げない、いい機会だ、ここで死なせてくれ」と仰るかもしれない。私だったら、火事場の馬鹿力というので、意外と走って逃げるかもしれません。安全な場所に着いて、ホットひと息ホットコーヒーでも一口飲んで「あ、いててて・・・」なんて言うのかもしれません。(ホットにホットだって、あまり面白くありませんでしたね。)一刻を争う緊急時にも、いろんな方々がおられ、様々な状況もあるということでしょう。



平成5年8月6日の鹿児島の水害の時、我が家も床上浸水した。夢中で荷物を二階へ上げる途中、マイカーをどうにかしなければならないと思った。避難させる適当な場所も何箇所か思い浮かんだが、そんな緊急避難の時ですら、駐車違反をしてはいけないとか、こんな時こそ緊急自動車の妨げになってはいけないとか、さらには他人様の玄関先では失礼になろうとか、極めて常識的・良識的なことを考えてしまうんですね。平常時の一般社会通念でしょうが、考えている間にも瞬く間に水位が増していき、結局、車二台とも天井まで浸かってしまいました。緊急避難だ、と言葉では言えるけど、いざその場に臨んでみれば、そう簡単なものではない。

危難に遭った時は、人間も動物化したほうがいいのかもしれない。たとえば、沈没する船からネズミが居なくなるように、ライオンに追われた小動物がジグザグ走で逃げるように、またそのライオンも山火事から風下へ逃げるように。



戦前に白木屋デパートの火災がありました。勿論私めは生まれていません。後の東急百貨店でしょうかね。この時にはお気の毒に、和装のご婦人方が亡くなったんですね。下へ降りるのに、着物の裾を開かないように片手で押さえ、片手でロープを掴み、そして力尽きて落ちてしまったんですね。また、二階くらいなら飛び降りればいいのに、和服では躊躇されたのでしょう。これを機に洋装やズロースを穿くことが広まったという。しかし、最も教訓にしなければならないことは、緊急の場合には羞恥心など捨てて、敏捷な獣と化してでも逃げ延びる、つまり避難するということでしょう。



政府の対応、お粗末のひと言。犠牲者を悼むと同時に、自衛隊や消防、警察等々、現場で活動された方々には心より敬礼を捧げたい。





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[ 2012/03/12 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)