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薩摩隼人の心意気!


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10月になってしまいました。季節の移ろいは早い。
わが日本列島は極めて当たり前のことですが、北は北海道から南は九州沖縄まで(笑)、3500キロと南北に長い。地理的に最も早く冬が訪れるのは北海道です。
さて今回は、私の永き友人でもある北海道のK通信員さんからのおたよりを紹介します。





明治期の薩摩隼人の心意気!

幕末から明治期の薩摩隼人の心意気が良く解かる逸話です!
鹿児島県人・清水三四郎(34歳・独身)は、昼夜兼行で職務を遂行するべく、中山峠(現・国道227号・別名ウズラ峠)を歩くが、残念ながら身は野に朽ちるが、心は天に招かれる!

清水三四郎遭難の碑です!

三四郎1


碑の案内文です!

三四郎2


此方は、左側の碑文の案内文です!

三四郎3


全文漢字ですので、読み下し文を載せます。
清水三四郎之墓碑 

 (碑文の解読)
 明治19年(1886年)、時任函館支庁長は管内諸郡の巡視を兼ねて鶉(江差)山道を見て回った。後に支庁長は私に言われた。
「以前、桧山郡役所に勤めていた清水という人がいた。函館に行き帰り道、鶉山道で凍死した。今、この地を通ると、魂がさまよい本当に哀れと思う。だから魂を招いて葬り、碑を天狗岳の下に建て後世の人に知らせたい」碑文を書くように言われ一旦は断ったが書くことにした。
文書を調べると、三四郎と言われた清水氏は、鹿児島県河辺郡清水村の農家に生まれた。明治5年(1872年)開拓使の募集に応じ札幌で仕事をしていた。後に市来氏に従えられ江差に来て、専ら市街の警邏に当たっていた。後、郡役所に仕えていた。

14年1月、たまたま役所の訴訟用罫紙が不足したため、急いで誰かが函館に赴き受け取らなければならなかった。          急を要するものであったから、三四郎が命ぜられ、直ちに雪を突いて出発した。20余里の道程を僅か24時間で到着したという。 当時の道路は険悪で、今の道とは比べものにならない。崖も谷も凍った道を歩き果たした。                        三四郎は疲れた様子もなく用務を済ますと、直ちに帰途に就こうとした。
支庁の人は「疲れたろうから明日の朝出発したほうがいい」と言うと、三四郎は「これから、大雪で阻まれないとは予測できないし、早く帰ることにこしたことはない」と、罫紙800枚を背負い出発した。

次の日、二股岳下の宿屋に着き、一休みして出発しようとしていた。もう夕暮れになって篩から降るように雪が飛んでいた。    宿屋の人達はこもごも引き止めたが、聞き入れずに出発した。この夜、再三引き返しついに宿泊した。
次の日朝早く起きて食事をし身支度をした。またしても烈風は雪を巻き上げ一寸先も見えず、寒気はいよいよ加わってきた。   旅人達は皆外へ出ようとしなかった。
宿屋の主人や家の人はまた忠告して言った。
「こんな時に旅をして遭難した人がいるのだから、晴れるのを待ったほうが良い」
三四郎は「昼夜兼行の命を受けている。一宿して一日遅れてしまい、役所に対して申し訳の言葉がない。
例え槍が降ろうが行かなければならない。こんな雪で止めるわけには行かない」と振り切って出発した。

明治14年2月6日の事であった。この日は異常の風雪であり、終日旅人の人影はなかった。                        主人は心配のあまり、次の日函館から郵便逓送人が到着したので、道の先ざきを注視して江差まで見てほしいと依頼した。
ついに人影は見えず郡役所に報せた。人々は皆三四郎の死を知ったのだ。
市来郡長は大いに悼み惜しみ、男達を出し山谷を捜索したが、死体は見つからなかった。更に雪解けを待って大捜索したが又見つからなかった。
郡長から具申があって若干の賜金をもって弔意とした。三四郎は34才の生涯であった。妻も子もなく悲しいことであった。

三四郎は素養あるものでなかったが、その死は義のため身を忘れ奮進して敵を倒す者に似ているが、そうだろうか。あるいは鹿児島士人の勇敢さの現れであろうか。三四郎は生来義に篤く、止むに止まれぬ行為だと思う。

ああ、公の碑を建て後世に伝える所以はこににある。すなわちこれを墓銘として記す。

職務に熱心で立派な人物である。命知らずのものとは大いに違う。この岳(天狗岳)を住まいとする。                  辺りは険しい岩だらけだ。後世何時までもここを通る人は誰もがそのに行跡に感心するであろう。

北海道庁属 小貫 庸徳撰  北海道庁属 小笠原純一書 明治20年 建立  

平成9年10月吉日 大野町教育委員会

付記                  

函館から江差へ行くには、海峡沿いに行くと、距離は163キロで車では3時間ほどかかります。中山峠(現・国道227号)を車で行くと、72キロで1時間半で江差に着きます。
清水三四郎の石碑が旧道の奥深くに在ることは以前から知っていましたが、中々訪れることは出来ませんでした。このたび、あいにくの雨模様でしたが、これも清水三四郎の嬉し涙でしょう。
旧道に入るところのゲートには、石碑の案内板も有りません。そしてゲートをくぐり、やっと見つけました。
現在の鹿児島県民の多くの皆様に是非とも知ってほしい逸話です。現・国道227号は、現在素晴らしい国道です!
また旧山道には、箱館戦争当時の有名な稲妻型の塹壕が今も残っています。



三四郎4




最後までお読み頂きありがとうございました。間もなく明治150年になります。平成の御代まで、遠い明治の時代に生きた薩摩人を語り継いでいただき、我ら北海道民に感謝です。


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8 Comments

花渡川 淳  

あやかさん、こんばんは

コメントありがとうございます。

>任務や責任感
当時は罫紙は貴重なものだったのでしょうが、それにしろ、あの時代の日本人はなんとも素晴らしい。我らはそんな日本人の末裔であります。
偉人伝は教育に必要ですね。

※世の中にはいろんな人がいらっしゃるようです。

2016/10/04 (Tue) 00:27 | EDIT | REPLY |   
あやか  

感激です

清水三四郎様のお話に、たいへん感動しました。昔は、自分を犠牲にしてでも、与えられた任務や責任感を全うする人が、おられたのですね。こういうかたが、日本社会の基礎を支えてこられたのだと思います。こういうお話は、ぜひとも学校の教科書か、少なくとも副読本に掲載してほしいですね。


※ところで、エンド教と称する投稿者、このひと、おつむのほうは大丈夫なんでしょうか?

2016/10/03 (Mon) 18:32 | EDIT | REPLY |   
花渡川 淳  

?????

 ?????
   ↓
   ↓ 

2016/10/03 (Mon) 10:07 | EDIT | REPLY |   
ジャップ・エンド教  

【日本よ、神が怒っているぞ!】


日本では大韓民国と違い、同性愛者が野放しになっている。これは、日本が下劣な下等国家であることの証明に他ならない。

独島を強奪する、慰安婦の方々に対する侮辱行為、アニメや漫画、女に人権を与える、同性愛者を野放しにする……これは偶然ではないだろう。
神は同性愛者を野放しにする日本人に怒っている。そこで、日本は同性愛者に対するRapeを合法化しなければならない。
我々健常者には同性愛者を犯す義務がある。同性愛者のけがれた膣を我々の聖なる大韓男根でほじくって同性愛者のけがれた膣を浄化し、同性愛者を治療するのだ。
同性愛者を正しき道に導くことは、我々大韓民国人の使命なのだ。

日本人よ、同性愛者に対するRapeを合法化せよ。日本人がこのまま同性愛者に対するRapeを合法化しなければ、神は日本人に裁きの鉄槌を下すだろう。



          ≪ジャップ・エンド教≫

2016/10/03 (Mon) 04:34 | EDIT | REPLY |   
花渡川 淳  

八目山人さん、菜穂子さん、見張り員 さん、こんばんは

コメントありがとうございます。

真田丸を観ようと大急ぎで返ってはきたのですが、なにせ日中は本業の何倍もきつい仕事をしたものですから、クーラーの効いた部屋は天国のようであり、ついに返信遅くなってしまいました。

>明治34年生まれ
我らが大人になっても、周りには明治生まれの人達が多かったです。近寄りがたい威厳というものが感じられたり、まあ、筋を通す人たちでした。
戦前を悪く言うようになったのは、戦後40年くらいからでしょうか。自虐史観という言葉が使われるようになったのは最近のことのように思います。明治生まれが居なくなったころと一致しますね。

>清水三四郎
旧川辺町に今も清水という地名があります。今は知覧町他と合併して南九州市になりました。確か、知覧へ行くときにその近くを通ったはずです。
日本人は素晴らしいですね。

>雪を知らない薩摩の人
昔は暖房設備もお粗末でしょうから、鹿児島人には極寒の地ですよね。
自衛隊OBの方が仰ってましたが、青森県三沢基地もそれは寒いところなんですって。そこにも任務とはいえ鹿児島県人が何人も頑張っているそうです。思えば、先日のスタンディングオベーションは全く正しい行為だと思います。

2016/10/03 (Mon) 01:12 | EDIT | REPLY |   
見張り員  

こんばんは

雪を知らない薩摩の人がその任務を命を懸けてなさったという事実に打たれました。
まさにこれこそ赤誠、インチ掛けの真心というものでしょう。今の日本人に欠けているものです。こういう素晴らしい話は学校などで広めてほしいものです。日本人の素晴らしい精神性を感じることでしょう。

2016/10/02 (Sun) 21:50 | EDIT | REPLY |   
菜穂子  

お久ぶりです

すっかりご無沙汰していました。
色々と忙しくしていました。
またよろしくお願い致します。

明治の薩摩隼人の清水三四郎さんの心意気をご紹介頂き有難うございます(^-^)
過去にこのような方がいられたとは、鹿児島県人ならずも、
日本国民として感動しました。また誇らしいですね。
また、現代人は恥ずかしい我が身を反省しなければなりませんね・・・。PP!

2016/10/02 (Sun) 21:32 | EDIT | REPLY |   
八目山人  

私の祖母は明治34年生まれです。 
大正11年と昭和17年に満州に住んで朝鮮にも旅行しています。
戦前の悪口を聞いたことはありません。誇りに思う事ばかり言っていました。
三四郎さんもそういう人だったのでしょう。

2016/10/02 (Sun) 09:00 | EDIT | REPLY |   

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