特攻の町・鹿屋

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知覧には陸軍航空隊がありましたが、鹿屋は海軍航空隊がありました。鹿屋からは908人が特攻として飛び立った。勿論、帰ることはなかった。
鹿屋には天保年間に創業された「富久屋」という老舗のお菓子屋さんがあります。戦時中は海軍御用達だったそうです。なぜ私が知っているかといえば、TVで観たのです。
富久屋の女将さんは5歳の頃、特攻の隊員の”お兄ちゃん”たちに可愛がられた。そして出撃も見送ったそうです。特攻機は上空を3回旋回していったそうですが、隊員の白いマフラーが印象的だったそうです。女将さんは、最後に出て行ったのは鹿屋だから、英霊は鹿屋に帰ってくるはずだということで、市内の広瀬川で灯篭流しを始められた。
また、隊員が特攻機の中で食べたお菓子を最近再現された。元お店にいた職人さんに訊いたりされたそうです。お父さんはどういう気持ちで海軍に納めるお菓子を作っておられたのでしょう?という質問に、娘だけ7人でお国のために尽くせない分、美味しいお菓子を作ることで精一杯仕事に励んだのではなかろうか、というようなことをおっしゃってました。
話は変わりますが、鹿屋には一時期、作家の山岡荘八さんが海軍報道班員としておられたそうです。毎日のように特攻機を見送られた。鹿屋の歴史資料館で山岡さんの色紙を見たことがあります。私の曖昧な記憶ですが、「桜の花びらが散って護国の城となった」といったことが書かれていました。

いつだったか、日本共産党が大躍進した時がありました。山岡さんはこれに危機感を持った人たちが結成した「日本を守る会」の委員でありました。この会は「日本を守る国民会議」と一緒になって、今の「日本会議」となりました。日本会議は結成20年を迎えます。
国民会議の方には江藤淳・三波春夫先生等がおられました。私がこの連休で思ったことは、日本会議批判をしている人たちは、共産党躍進を望む人達、江藤や国民的大歌手を嫌いな人達にちがいない。
あっ!話はまた元に戻りますが(笑)、お菓子の話を1日に夕飯食べながら千葉県民のOさんに話したのです。Oさんは2日に鹿屋へ行き、お菓子屋さんを尋ね、女将さんや若社長とお会いされているのです。この方の行動力や誰とでも親しく会話ができるキャラには感心します。で、3日に私たちが頂いたお菓子が↓これ。

包装も機内で片手で食べられるように工夫されています。包装紙をあけて写真を撮ればよかったのでしょうね。こしあんをカステラ様の生地で挟んであり、とても美味しかった。どのようなお菓子であるか、皆さまは透視してください、念力で(笑)。
実は、このお菓子に限らず、世の中の物や事は直視の上、透視して見なければならないことが多い、と私は思う。日本会議批判とか。

草むしりをやっていたら発見しました。柿の接ぎ木をして1ヶ月半ほど経ちましたから、接ぎ木成功ではないでしょうか。

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